元禄時代に生きた尾張藩士朝日文左衛門の日記『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)の中で、御畳奉行として京大坂に出張していた時の食事が詳細に記録されている。「筍干、たまご、あわび、竹の子、しいたけ、かまぼこ、焼物鯛、鱠魚、大こん、香之物。酒のさかな、かまぼこ等、、、」(香坂次郎『元禄御畳奉行の日記』から。原文は岩波文庫で出版されている)。ずいぶん豪勢な食事である。やはり魚料理が多い。江戸っ子も魚が大好きで、東京・一橋高校遺跡から出土した徳川時代中期以降の生活跡においても、大量の魚の骨と貝類が出土した(竹内誠『大系日本の歴史 江戸と大坂』、小学館より)。しかし、葉ものや根菜の野菜類は、当時それほど豊富だったであろうか。『鸚鵡籠中記』に出てくるのは、大根が圧倒的に多い。後よく食べられていたものと言えば、せいぜいナスビぐらいだったのではないか。キャベツも白菜も人参もセロリもレタスもピーマンも玉ねぎも、明治以降の輸入野菜である。しかもこれらが大々的に消費されるようになったのは昭和戦後のことであろう。こうした野菜類が豊富になって、しかもこれらと合う牛肉豚肉の消費が伸びたことが、今の日本人があまり魚を食べなくなった主な要因なのだろう。
(以下は、一人前の分量)
豚こま切れ肉 50グラム 《下味》塩・こしょう 少々、酒 小さじ1、かたくり粉 小さじ1、油 大さじ1/2 |
キャベツ、ピーマン、にんじん 適量 |
しょうが 1かけ |
ねぎ 1本 |
《家常風調味料》 しょうゆ・みりん・酒 各大さじ1、酢 小さじ1、砂糖 小さじ1、中華スープの素 小さじ1、こしょう 少々、水 大さじ2 |
豆板醤 大さじ1 |
水溶きかたくり粉 大さじ1(同量の水とかたくり粉を混ぜる) |
調味料は混ぜ合わせておく。
今回は京都の夏の名産、万願寺とうがらしをピーマンの代りに使った。
まずは下準備。
- 豚肉は塩、こしょうをふって酒をからめ、かたくり粉をまぶす。最後に、油で肉の外面をコーティングする。
- 野菜は乱切り。
- ねぎは1cm幅に斜め切り。しょうがは薄切り。
油少量をひいて、野菜を強火で炒める。火が通ったら、取り出す。事前に火を通しておくのは、最後の仕上げを一気に行なうため。
再び鍋を熱し油大さじ1を入れて、肉を入れる。肉に火が通ったら豆板醤、ねぎ、しょうがを入れて、手早くかき回しながら炒め付ける。これらの薬味に火を通すことによって、香りが出る。
野菜を放り込んで、すぐに調味料を入れてからめる。最後に水溶きかたくり粉を入れて、まとめる。
肉の代りに火通ししたイカの切り身を入れてもいい。野菜炒めだから、余っている野菜を他にいろいろ入れても構わない。キャベツの代りに白菜を使うと甘みがあっておいしい。ただ、アボカドやトマトは入れたらどんな味になるか、ちょっと予測がつかない。