中国歴史小説「知兵之将」

今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。

内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。

始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、

これらの名前にピンと来た方、あるいは、

郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、

こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、

よろしければ読んでやってください。

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She Loves You - シー・ラブズ・ユー(歌曲)

(カテゴリ:英語版Wikipedia

@Wiki本記事@

「シ-・ラブズ・ユー」はジョン・レノンとポール・マッカートニーによって書かれたヒットソングであり、1963年にシングルとしてリリースするためにザ・ビートルズによってレコードされたのがオリジナルである。このシングルは英国チャートのいくつかの記録を新たに作るか、あるいは塗り替えた。またアメリカにおいては、未だに破られていない記録であるチャートのトップ5の(同時)占拠を達成したビートルズソングの中の一つとして記録されている。このシングルは、ザ・ビートルズの英国において一番売れた曲である。この曲はまた、初めてクレジットでジョン・レノンの名前がポール・マッカトニーよりも前に記された曲でもある。それまでは、"McCartney/Lennon"とクレジットされるのが彼らのならわしであった。「シー・ラブズ・ユー」は"Lennon/McCartney"というクレジットで出されるこれから後の多くの曲のさきがけなのである。

この曲は、ザ・ビートルズの曲が初めてアメリカで適当にあしらわれる以上の扱いをリスナーに受けた曲の一つである。それまでのアメリカでチャートに入ったザ・ビートルズの曲といえば、1963年8月の三週間に最高116位までしか上がらなかった「フロム・ミー・トゥー・ユー」"From Me To You" だけであった。この曲は当時、各ヴァース(verse、連)の後につけられた"yeah, yeah, yeah"の突飛さによって論議を巻き起こし、多くの批評家によってあげつらわれる曲となった。「シー・ラブズ・ユー」はまた、ザ・ビートルズがドイツ語で録音したただ二つだけの曲としても、ユニークである。そのときの題は、"Sie Liebt Dich"であった。

2005年10月、Uncut Magazineは「シー・ラブズ・ユー」を世界を変えた偉大な曲の第三位にランクした。その上には、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」"Heartbreak Hotel"とボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」"Like a Rolling Stone"がランクされた。


日本は世界の中でもビートルズのファンが飛びぬけて多い国の一つだろう。ひょっとしてロックファンの中でビートルズ崇拝者が占める相対的比率ならば、一番高い国かもしれない。ジョン・レノンが何かと日本に縁があったり(一説には日本の某地に墓があるとか?)、伝説の武道館ライブを行なったり(彼らのライブの全体的な水準から見れば、ひどい手抜きライブだった)などと日本にファンが多い原因はいろいろ考えられるのだが、私が思うに日本人にこれほどまでに強い印象を与えた主な要因は、三つだろうか。一つはビートルズが活躍した時代がちょうど1960年代であり、日本にとっても高度成長と学生運動の真っ只中で社会が沸騰していた時代であって、時代とシンクロしてノスタルジックな神話が語られ続けていること。二つめにリズムよりもメロディーに重点が置かれた曲づくりで、リズム音痴の日本人でも受け止めやすかったこと。そして最後に、彼らの行動やレコーディングの周辺には無数のトリビアなトピックが満載していて、日本人のオタク心に強烈にアピールしていること。こういったところだろうか?

そんな日本人に愛されているビートルズだが、Wikipediaの記事については英語版の圧勝である。このビートルズや、プログレッシヴロックのピンク・フロイドPink Floyd関係の記事などは、英語版がやたらと詳しい。よほどのフリークが記事を書いているのだろう。

さて、「シー・ラブズ・ユー」は、ビートルズがアメリカでブレイクするシングル「抱きしめたい」"I want to hold your hand"の一つ前のシングルである。この頃すでに本国イギリスはおろか、スカンジナヴィア諸国など大陸ヨーロッパでも人気沸騰していた。当然この曲も空前の大ヒット。後年何かと初期の曲をけなしたジョン・レノンが珍しく「『シー・ラブズ・ユー』はいい」とプラスの評価をした曲でもある。

ジョン・レノンとポール・マッカトニーがほとんど勢いで作った曲なのだが、イントロの衝撃的な入り方といい、ト長調(G)なのにロ音と嬰ヘ音とを半音下げてヘビメタみたいな重さを出したジョージ・ハリスンのギターリフといい、途中のジョン・ポール・ジョージの三部コーラスといい、締めの余韻を持たせる三人コーラスの"Yehhhhhhh........!"など、余計なものが何も入っていない見事な出来のシングルである。一般にこの曲のいちばんのキモはファルセット(裏声)で歌う"Ooooohhhhh~!"(首振りアクションつき)だと言われているが、私があえて挙げたいのは、ニ番の歌詞。"You know it's up to you, I think it's only fair./ Pride can hurt you too, apologize to her."の箇所。一連目で"to you"と言ってニ連目で"you too"と言う。このひっくり返しは、わざとやっているに違いない。そのためニ連目ではこの曲の歌詞で唯一非人間の"pride"を主語に持ってきて、代名詞を後ろに置く操作をしている。言葉の響きを鋭く感じていなければ、なかなかできない歌詞づくりだ。

この曲は、「抱きしめたい」と並んでドイツ語版のレコーディングが存在している点でもユニークである。プロモーション用の吹き込みで、いずれもあまりやる気の感じられない出来なのだが。Wikipediaでは、そのレコーディングの際のエピソードについても言及されている。彼らのこの仕事に対してのやる気のなさが伝わってきて、笑える。

スタジオでの仕事

曲のレコーディングは1963年7月1日であったが、この日は当時のビートルズの他のヒットソングのレコーディングのときとは違って、珍しく何のイベントも組まれていなかった。同じ例は、「抱きしめたい」のレコーディングのときがある。「シー・ラブズ・ユー」は2トラックの録音機で収録されたのであるが、オリジナルのステレオマスター録音は失われてしまっている。結果として、1963年から現在に至るまでのこの曲のリリースは、すべてモノラルである。どうしてステレオ録音が失われたのかについては、完全に確認が取れていない。

しかしながら、「シー・ラブズ・ユー」を他のビートルズソングから際立たせる、一つの特殊なレコーディングがあった。EMIはザ・ビートルズの英国内レコードレーベルであるパーロフォン・レコードの親会社であったが、そのEMIのドイツ支社であるエレクトラ・ゲゼルシャフトElectrola Gesellschaftは、ドイツでザ・ビートルズのレコードを売り出す唯一の方法はドイツ語で録音することであると決断した。ザ・ビートルズはその考えをアホらしいと思ったが、ジョージ・マーティン(George Martin、EMIの社員でザ・ビートルズの音楽プロデューサー)に無理強いされて従った。"Sie Liebt Dich"は1964年1月29日に、他のいくつかのドイツ語版ソングと共に、パリのパテ・マルコニ・ストゥディオPathe Marconi Studiosで録音された。これは、ザ・ビートルズが彼らのキャリアの中でロンドンの外に行ってレコーディングした唯一の出来事である。

マーティンは、後にどうやって彼がザ・ビートルズにドイツ語で録音するように説得したかを回想している。「連中は新しい生活を楽しんでいた。連中はとても忙しくて、成功の初めての果実を味わっていたのだ。私は彼らにある午後の日、EMIスタジオに来るように頼んだ。私はそこにドイツ人の社員を連れて行った。彼はそこで連中にドイツ語をコーチする予定だったのだ。だが4時かっきりだったと思うが、約束の時間が来たのに、連中は影すら見せない!私はちょっと面食らって、『連中に何かあったのか?』と考えた。そこで連中のいるホテルに電話して、ニール・アスピノール(Neil Aspinall、ザ・ビートルズのロードマネージャー)に問い合わせた。彼は言った、『ああ、彼らならお茶飲んでますよ。行く気ないみたいです。』と。」

マーティンは困惑してしまった。「『どうしてだ!』するとニールはこう答えた、『うーん、彼らはいやなんですよ。結局、ドイツ語でレコ―ディングしたくないと決めたんですよ。』と。私は猛烈に腹が立って、そのドイツ人といっしょにタクシーに飛び乗り、ジョージ五世ホテルGeorge V hotelに直行して、そこで連中がお茶を飲んでいる現場に乗り込んだ。、、、私が部屋に乗り込んで連中をどなりつけたら、連中は部屋の隅っこに逃げ込んだ。、、、クッションとかイスとかを見回して、隠れるそぶりをして、そして笑っていた。私は言った、『おい!君らは、この方にとんでもなく謝らなければならないことをしたんだぞ!彼はわざわざドイツからやってきたんだ。謝れ!』そうしたら連中は、小馬鹿にしたようなリヴァプール流で言った、『いやーすみません、すみません!』と。その後、連中はやって来て、スタジオでドイツ語のレコーディングに従事した。連中はそれでもあまり乗り気でなかったが、とにかく録音をした。あれは、私が彼らと言い争いをした初めての出来事で、そしてたぶん唯一の出来事だった。」

ロンドンで働く上流階級のプロフェッショナルであるジョージ・マーティンと、リヴァプールから最近やって来た労働者階級の若者であるザ・ビートルズたちの、姿勢のすれ違いもまた見て取れるエピソードである。

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