この三月末には、私鉄二社が廃線となった。
今や、人口の停滞によって新線が建設されるのは、ほとんど東京圏だけとなってしまった。隠れ鉄道マニアの私としては、淋しい時代となってしまった。
だがこのインクラインは、すでに廃線となってから五十年以上が経過している。線路の上を車両が走ることは、すでに絶えて久しい。今は線路だけが残されて、花の下に休んでいる。
明治時代の琵琶湖疏水建設事業の一環として、台車に舟を載せて高地まで引っ張り上げることを目的として敷設された。滋賀県と京都府との間には、比叡山塊が延びていて交通の難所となっている。その利便を図るために、疏水とインクラインを使って舟運のルートを開通させたのであった。
だが舟運の意義は、鉄道と自動車によって意義を失った。それで、順当に廃線となった。しかし、市街地を走る鉄道ではない特殊な路線であったから、更地にされることもなく残された。元はこの横の路面を走っていた京阪京津線は、地下鉄の開通によって廃されて、今や跡形もない。