中国歴史小説「知兵之将」
今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。 内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。 始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、 これらの名前にピンと来た方、あるいは、 郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、 こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、 よろしければ読んでやってください。 もしお気に入れば、ついでにランキング投票も。 |
祇園祭もいよいよたけなわだが、今年はどうやら雨に祟られそうだ。
本来旧暦七月七日の行事のはずの七夕を新暦でやっても、空が晴れないのは当たり前。学校の夏休み前にやっちまおうという考えからたぶん定着してしまっているのだろうが、それだったら「七夕当日はふつう空が晴れない」という前提で行事を工夫した方が、無駄な期待を子供たちに持たせるよりももっと楽しく演出できると思うんだが。大方晴れているだろう富士山頂の施設にみんなで願い事のeメール送るとか、いいのではないかな?
しかし祇園祭は古来旧暦六月に行なわれていたので、元々梅雨の季節とわずかにかぶっている。だからこっちは致し方ないか。
雨の降る、安井金毘羅宮の石灯篭で。生き物に好かれない性分の私だから、黒猫氏が一瞬こっちを向いてくれただけでも、僥倖(ぎょうこう)。
この辺ではようやく雨は下火となったようだが(なんだこの言い方は、形容矛盾だ)、全国的にはひどい状況で、家計にとってもこれから野菜の値上がりが直撃するだろうから、影響は続いていく。
生きとし生けるものはすべて、食わなきゃ生きていけん。
いつもより水量の多い鴨川を、エサを求めて飛んでいく鳥の名は、、、
知恩院の大鐘楼の裏手から、東山三十六峰の中に入ることができる。
「峰」というよりもほとんど丘であって、少し登ればすぐに山上にたどり着くことができるのだが。
中に入ると昼なお暗く、ヒグラシの鳴き声が聞こえてくる別天地である。
山道に、ヤブミョウガの群落があった。つやつやとした葉っぱをつけて、今は白い花の季節である。
夏の盆の季節がやってきた。
夏の季節に迎え火(むかえび)を灯して死者の霊を迎える、迎え日(むかえび)のシーズンの始まりである。京都の盆は、十六日の大文字送り火に火が灯されることによって、クライマックスとなる。
月並みながら、京都の夏は五山の送り火がなくては始まらない、もとい、終わらない。
8月16日、夜の八時から点火される大文字山の送り火は、五山の中で最も大きく、そして最も美しい。
この火に送られて、死者の霊は再びあの世へ戻っていくという。写真は平安神宮からの、大文字の遠景。
今日は、旧暦の端午の節句。中国文化圏では、詩人の屈原の霊を祭るための日として祝われる。屈原は戦国楚国の貴族であったが、王にその献策が容れられず疎まれ、多くの憂憤の賦(ふ)を書いた。やがて楚は秦に敗れて王は捕われ、彼はついに政治に絶望して汨羅(べきら)の淵に身を投げて死んだという。端午の節句は、川に沈んだ屈原の霊を慰めるために、水上での祭りが行なわれる。彼の故国の楚は長江流域で、日本と同じ季節に梅雨前線の影響を受けて雨が降る。屈原の祭りは水の祭りであり、雨の祭りでもある。
さて、しかしながら今年の日本の梅雨は、どこに行ったのであろうか。紫陽花の花はいたるところで花盛りであるが、雨は時々季節を思い出したようにしか降ることがない。これからようやく梅雨も本格化するであろうという天気予報はあるものの、もし予想が外れれば今夏は水不足だ。台風も困るが、水不足も頭の痛い話だ。
祇園・白川沿いも、紫陽花やガクアジサイの花盛り。紫陽花の花が観賞されるようになったのは実に明治以降のことであって、それ以前は厠(かわや)のそばの花として忌み嫌われていた歴史があった。彩りの少ない梅雨時を飾る水色の花は、今や押しも押されぬ六月の花。