中国歴史小説「知兵之将」

今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。

内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。

始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、

これらの名前にピンと来た方、あるいは、

郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、

こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、

よろしければ読んでやってください。

もしお気に入れば、ついでにランキング投票も。

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毛球寶兒2006/10/13

(カテゴリ:毛球寶兒

非戰之罪←漫畫(まんが)ページへ



というわけで武闘派三人の登場。こいつらと互角に戦っている四闘神に挑みかっかった阿茲は、言うなれば「匹夫之勇」(ひっぷのゆう。一人で大敵に気勢を上げているような、何の効果もない無意味な勇気)というものだ。

「非戦」は戦国時代の中国で「墨家」と呼ばれた思想集団が唱えた理想だ。彼らは「非戦」と共に「兼愛」を主張して、えこひいきなく全ての他人を愛することによって、人どうしが敵味方に分かれて対立することをなくすことを提唱した。だが話が通じない相手から挑みかかられる場合というものがあるわけで、その場合にはどうすればよいのか。そのとき墨家の信奉者たちは集団で防衛技術を磨いて、敵の攻撃からの専守防衛に徹する道を選択した。個人と個人との殴り合いではなくて、国と国との戦いは「勝てばそれで終わり」ではない。戦いの後も人々のなりわいが続いていくことを考えて、賢明に慎重にことを進めなければ、それは「勇」でなくて「暴」というものだ。

「惱羞成怒」はイディオムのようだ。出典は清朝後期の小説『兒女英雄傅』(作:文康)だとか。意味は「内心で感じた恥ずかしさのあまり、それがねじれて外に向けた怒りとなる」ということ。今日は成語解説でまとめてみました。


(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)


[非戦の罪]


毛球寶兒・阿甘・神秘兔「おのれーっ!我らの仲間をコケにするとは!どけい、プロに任せろーーっ!武闘派登場!





(パン!)(パン!)

(ケケケ!)(おーーーっ!)

(ウォラララララ!)




少隊長「お、オマエたちの視線は、何を意味している!?ひでーなあ!オレはただの一般的地球人だぞ!」

(、、、恥ずかしさが余って、怒り出しています。)

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