比待(ころまち)得たる桜狩り、比待得たる桜狩り、山路の春に急がむ。
謡曲『西行桜』は、全文が名文。京都市中の桜の名所が、謡(うたい)の中に色々と出てくる。
上なる黒谷下河原、昔遍昭僧正の、憂き世を厭ひし花頂山、鷲の御山の花の色、枯れにし鶴の林迄、思ひ知られてあはれなり、清水寺の地主の花、松吹風の音羽山、爰はまた嵐山、戸無瀬に落つる、瀧津波までも、花は大井河、井堰に雪やかかるらん。
ここ清水寺に、境内にある地主神社、音羽山の桜もまた、謡曲の作られた室町時代当時からの桜の名所であった。
埋木(うもれぎ)の人知れぬ身と沈め共、心の花は残りけるぞや、花見んと、群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の、咎にはありける。
西行法師が隠棲する、西山の庵室の桜を見ようと見物の客がひきもきらない。修行のさまたげとなることを嘆じた法師が、上の歌を歌った - 花を見ようと群れて人が来ることだけが、惜しや桜の咎ではないか - 。その夜、法師の夢枕に桜の老木の精が現れて、法師の歌を難じる。どうして非情無心の草木に、憂き世の咎がありましょうか。それでも桜の精は今宵法師と会合できたことを喜び、やがて夜が明け夢が覚めていくことを惜しみつつ、幽玄に消えていくのである。
夢は覚めにけり、夢は覚めにけり、嵐も雪も散り敷くや、花を踏(ふん)では、同じく惜しむ少年の、春の夜は明けにけりや、翁さびて跡もなし、翁さびて跡もなし。
しかし、この清水寺は桜の名所であると共に、紅葉の名所でもある。桜の花の陰では、楓の若葉が今にも萌え出し始めている。花は散っても、ここは新緑に包まれるであろう。いかで夢ぞ覚めんや。いかで夢ぞ覚めんや。