「いも」を表す漢字には、「芋」と「薯(藷)」がある。「芋」は元来小芋を指した字で、「薯」はもともとヤマノイモ類を表す字である。現代の漢語でも、「芋」(ユー)と一字で書けばこれは小芋のことを指す。専用の漢字が存在していることが示すように、小芋とヤマノイモ類は中国で古い時代から知られていた「いも」であった。日本もまたそうで、ヤマノイモ(自然薯)はそもそも日本の山林に土着で自生していたもので、中国由来のナガイモ(漢語名:山藥)の類縁種である。いっぽうの小芋は、おそらく縄文時代ごろにはもう日本に入っていたと思われる。
だがヤマノイモ類を我々は全然ありがたいものと思わないのに、小芋はどうして正月や月見の行事の際にハレの食べ物として頂くのだろうか。その真の理由などは、文化人類学者に聞いても確定した答えなど出るまい。だが私が少しだけ思うことは、弥生時代以降に稲作が全国的に展開していった前の段階においては、炭水化物を得られる農作物としては何よりも小芋であった時代があったのではないだろうか。日本文化の古層と恐らく連続していると思われる東南アジア地域においては、タロイモ類が主食として盛んに栽培されている。小芋は中国南部あたりからはるか昔に入ってきた、タロイモ類の一である。いっぽう大陸から建築・農法・暦などとセットで渡って来たであろう稲作は、日本文化の古層に上からかぶさった文明の一大システムである。ひょっとしたら、それらが外来的なものであって元々は存在しなかったという記憶が後世に残されて、ハレの時季にはあえて先祖返りをして昔ながらの小芋を食べるという習俗に変化したのかもしれない。かつて日本本州に点在していた習俗として、「餅なし正月」と言われるものがあった。これは、正月の雑煮にはあえて餅を入れずに、小芋だけとする風習である。この風習は、ユダヤ人がペサハ(過越の祭り)において、あえて種の入っていないパンを食べる習俗と似通っていないだろうか。つまり後から入ってきた技術(ユダヤでは種入りのパンであり、日本では稲作)の産物をハレの時季にはあえて捨てて、はるか昔の生活習慣を蘇らせることによって普段は自然なものと思っている生活がいかに人工的であるかを思い起こさせるという、シンボリックな意味合いを持っているのではないだろうか?
(以下は、2人前分の分量)
小芋 中1袋 |
薄揚げ 大1/2枚 |
だし カップ2、しょうゆ 大さじ1、酒 大さじ3、みりん 大さじ3 |
合わせみそ 大さじ1 |
塩 |
小芋がごろごろ。まずは、たわしでこすって表面のくずを取り除こう。
きれいに皮をむいて、大ぶりの芋は食べやすい大きさに切る。
小芋はぬめりを取らないとよく煮上がらないし、特に他の素材との炊き合わせの場合には、だしにぬめりがつきすぎるとちょっと気持ち悪い。そこでぬめりを取る前処理をする。まずボールに入れて塩少々を加えてもみ、水を加えて軽く洗う。
鍋に沸騰させた湯に、芋を放り込む。このように泡が立つまで火を加える。
火から下ろして湯を捨て、水を加えてすすぐ。これでぬめりはだいたい取れた。
鍋にだしを張って小芋を入れて、強火で沸騰させる。沸騰したらしょうゆ、酒、みりんを加えて、おあげを入れる。
火をやや強めの弱火にして、落としぶたをして約10分間煮る。
最後に、だし少々を小鉢に取ってみそを溶き合わせ、鍋に回しかける。まんべんなく絡めて、もう一煮立ちさせる。
大根との炊き合わせも、いい。