梅一輪 - 建仁寺(豊川稲荷)
何と、早くも梅がほころび始めた。一月中旬といえば、まだ一足早く咲く蝋梅がようやく花を見せ始める季節だ。今年はやはり暖冬なのであろう。祇園・建仁寺横の豊川稲荷のお狐さまの隣にある、小さな梅の木に一輪の紅梅がほころんでいた。よく見ると、他のつぼみもすでに赤くふくらんでいる。開花はもう間もなくだろう。
何と、早くも梅がほころび始めた。一月中旬といえば、まだ一足早く咲く蝋梅がようやく花を見せ始める季節だ。今年はやはり暖冬なのであろう。祇園・建仁寺横の豊川稲荷のお狐さまの隣にある、小さな梅の木に一輪の紅梅がほころんでいた。よく見ると、他のつぼみもすでに赤くふくらんでいる。開花はもう間もなくだろう。
南禅寺の数多い塔頭(たっちゅう。脇寺)の一つの聴松院は、建仁寺横の禅居庵と同じく、摩利支天を本尊に祀る。そのためお堂の両脇には、ちゃんと今年の干支のイノシシが鎮座しているのだ。イノシシは、軍神摩利支天を乗せる聖獣なのである。
その境内にある、白梅がもうほころんでいた。やはり暖冬なのか。今日も朝は0℃まで冷え込んだが、昼間は大変穏やかで暖かかった。これから先も厳しい寒さは当分なさそうだ。旧正月の一ヶ月も前に、早くも梅の季節となろうとしている。
今日は、桃の節句。といっても、桃の花など巷のどこにも見当たらない。それは当たり前であって、旧暦で言えば今はまだ新春一月だ。桃の花が咲くのは、桜とほぼ同時期の清明(せいめい)の節気の頃。新暦で祝うからなんとも締まりがないが、とにかく今日は雛祭りの日である。
三十三間堂の隣にある、法住寺。大陸様式の寺門が、愛らしい。この門から禅宗寺院であるかのと思えば、天台宗であった。
今でこそこの「法住寺」と名乗る寺は、隣の三十三間堂に比べるとずいぶん小さくなっている。しかし、もともとの「法住寺」は、藤原氏の広大な私寺であった。それが平安時代半ばに焼失して、衰微してしまった。その寺地に、後白河上皇は「法住寺殿」を営んだ。平氏政権と癒着した上皇の、広大な院御所であった。隣の三十三間堂も、近くにある新日吉神社も、上皇が建てたものである。しかし、木曾義仲が平氏を追って京に入り、院御所を焼き討ちしてしまった(法住寺合戦)。その後、思い出深きこの地に葬られた上皇の陵墓を守るために、同名の寺が再建された。それが、現在の法住寺である。
境内には、美しいしだれ梅が咲いていた。栄華の輝きなどは、木々が作る花の一輪にすらかなわないではないか。
今の季節は三寒四温と言うが、それどころではなくてずっと寒い日が続いている。
今日は、聖パトリックデー(Saint Patrick's Day)。アイルランドにキリストの教えを持ち込んだ守護聖人のための祝祭日で、本国のみならずニューヨークやロンドンなどでも、今日は大きな祭りが催される。この日のシンボルカラーは、緑色。シャムロック(Shamrock)という緑色の三つ葉のクローバーが、シンボルだ。まさしく今は寒い冬が終わって、野が緑色に芽吹く季節のはずなのだ。なのに、今年の日本は、日中ですら寒々とした風が吹く。芽吹き始めた柳も葉をいまだ伸ばしきれずに、強風にあおられるばかりだ。
そんな寒い日々が続く中でも、桃と山須萸(さんしゅゆ)の花は、すでに盛りとなった。四条河原の歩道に、赤と黄色の花が競演して、雲ちぎれる青空を彩る。春の色は、こうして目にも鮮やかだ。桜はまだか?
ようやく寒さがゆるみ、白川の柳が一斉に青めいた。
生命力の強い木である。中国人は、古来からこの春の柳の芽吹きをこよなく愛した。春分の二週間後の清明節を飾る樹木は、何といってもこの新緑の柳であった。冬には魚の骨のようだった弱々しい枝から、わずかの間に芽を出してこんなにも初々しく生え繁る。これぞ、春の神秘の情景だ。
三条通りが白川を跨ぐ橋が、白川橋である。橋の沿いに、このような石碑が建っている。
是よりひだり、ちおんゐんぎおんきよ水みち
石碑の脇にも、文字が彫られている。読み下すと、このような内容である。
京都無案内旅人ノ為ニ、之ヲ立ツ
延宝六年戌年三月吉(日?)、施主、二世安楽ノ為ニ、、、
石碑のとおり、この川を下っていくと、やがて知恩院の門前に出る。さらに南に行けば、祇園かいわい。祇園を過ぎれば、清水寺への道となる。三百余年前と同じく、この川沿いの道が観光客への案内となっていることには、変わりがない。
藤の、季節である。
この花は日本原産。漢字の「藤」の原義は、単につる植物の総称に過ぎない。
藤原氏のシンボルであり、佐藤、斎藤、伊藤、、、など、日本でこの花の字を持った姓は最も繁栄している。
『源氏物語』でも、藤花の宴が出てくる。宮中の藤壷の藤が花盛りのときの出来事である。藤の淡い紫の色は、古風で懐かしい女性美の象徴であろうか。同じく今の時期を盛りとしている牡丹の花は、これ見よがしに一輪一輪が咲き誇る。それに比べて、この花の美しさは、寄せ合ってすら静かに控えている。
藤の花今をさかりと咲きつれど船いそがれて見返りもせず
坂本龍馬
忙しい今の時代には、合わない花なのかもしれない。
東山の安井金毘羅宮は、崇徳天皇を祀っている。天皇は、藤の花をこよなく愛したという。それで、境内には天皇にちなんで、小さな藤棚がしつらえられている。残り桜の後ろに、淡い紫の花が咲いていた。
竹の秋、という。
初春から仲春にかけて、冬にも青々しかった竹の葉が、にわかに黄ばんでくる。
そして、春風が吹くたびに、その葉を落としていくのだ。ゆえに、「竹の秋」は春の季語である。
どうしてか?
― それは、竹林が筍を育てるためであるという。地下の筍を一気に大人に成長させるためのエネルギーを送り込むために、一時的に余計な葉を落としてしまう。そうして、筍は夏までには若竹となって、青く光る大人の姿に変わるのである。
霊山護国神社の近くにある正法寺の境内脇にも、竹林から生え出た筍が大きく育っていた。このまま放置すれば、すぐに竹の皮を脱いで大人になるであろう。ものすごい生命力である。
だが、こうしてゲリラ的に生える若竹は、時として造園の邪魔となる。現に、この正名寺でも以前境内に大きな筍が生え出ていたのを見たことがあったが、しばらく後に再訪すると切り取られていた。「竹害」という言葉すらあるのが、悲しいかな現状なのである。
しかし、竹は筍のみならず、成長した木ももっと有益な用途があるはずなのだ。木質で固く、なによりも成長が早い。竹材を使ったオフィスインテリアが、エコフレンドリーと言われるゆえんである。数十年後には、成長した先から片っ端に切られて積み出されるようになっているかもしれない。
今日は夏日になったかと思いきや、後で調べればまだ三〇度に届いていなかった。
だが、もう春も終わりである。すでに、日の光は暑さを感じさせる。
まだ長ふなる日に春の限りかな(安永五・三・十五)
けふのみの春をあるひて仕舞(しまい)けり(明和六・三・十〇)