雑テーマ アーカイブ

Korea!2009/03/02 --->2009年03月02日

総入歯寸前 --->2009年03月03日

Korea!2009/03/08 --->2009年03月08日

Korea!2009/03/21 --->2009年03月21日

滝廉『花』の韓国語訳 --->2009年03月25日

『花』韓国語バージョン --->2009年03月31日

多文化交流会 at Tsuruhashi --->2009年06月21日



2009年03月02日

Korea!2009/03/02

JR西日本にメールを送った後、Park君にもメールを送りたいと思った。
まず、英文を作った。

Dear,
Now I'm in Japan.
I hope, hope, and hope you to come to my country, and love these beautiful islands.
I hope splendid youths like you to know and love Japan.
This is my blog, I wrote about you.

http://suzumoto.s217.xrea.com/

Maybe now you can't read it, but, at least, I can say that I told Japanese people how beautiful heart you have, and your home country's people have.
Still I can't read the letter what you gave me fully, but I can understand you gave me a warm goodbye.
I hope you also try to read my haiku I gave you.

それを、まず日本文に、直した。

前略。
今、私は日本にいます。
私は、君が我が祖国を訪ねてくれることを、心から望んでいます。心から。
私は、君のような素晴らしい若者たちに、日本を知って、そして、愛して欲しい。
これが、私のブログです。私は、君について、書いた。

http://suzumoto.s217.xrea.com/

たぶん、今は読めないだろう。
だが、これだけは言える。
私は、日本人に対して、いかに君と、君の祖国の民が、美しい心を持っているかを、書いたつもりだ。
まだ、私は君からもらった手紙を、十分解読できないでいる。
だが、私は君が心のこもった別れの挨拶を私にくれたことだけは、読み取ることができた。
君もまた、私が贈った俳句を、読むことに挑戦しておくれよ。
草々

Exciteの自動翻訳機に、かけた。
その結果を拾って、今度は韓文和訳マシーンに、かけてみた。

一見しただけで、自動翻訳の結果が、文章になっていないことが、知れた。
サイトの記事を拾い読みするぐらいならば自動翻訳でもよいが、手紙に自動翻訳は、使ってはならない。
残念ながら、Exciteの訳は、その程度だ。
私は、手持ちの日韓・韓日辞書を、取り出した。
この辞書は、初心者にとって極めて使いにくい。
2002年のワールドカップ時代に発行された辞書の古本を、amazonで安く手に入れたものだ。
カバーに「W杯観戦必携」などと、書かれている。
しかし、この辞書は、残念ながら一つのメッセージを、私に発していた。
-日韓は、しょせん分かり合えないよ。
日韓辞書の各項目の地の文に、韓国語が出て来る。

「紀念」으로도 썼지만 「記念」이 일반적임。

こんな説明をされても、初心者は読めない。
この日韓辞書は、韓国語の文法をマスターしている日本人だけにしか、使えない。そして、そんな日本人は、百人に一人も、いるだろうか?

私は、自分の手で、翻訳を始めた。
自動翻訳機では、「民」が「백성」になっていた。
「백성」を、辞書で引く。
漢字(ハンジャ)が、分かる。
-「百姓」。
これでも韓国語ではよいのかもしれないが、もし日本語とニュアンスが近いのであるのならば、この語はだめだ。私は、「사람」を使った。
訳していくうちに、韓国語は日本語とまことに文法が似ていることに、ますます気づいてくる。
直訳の感覚で、文章を組み立てることができる。
韓国語と日本語は、同窓生のようなものだ。
スペイン語とイタリア語のような、兄弟ではない。日韓の民族の血は交じり合っていても、日韓の言葉は、遡ればおそらく別系統の言葉だったのであろう。この二つの言語は、原始から持っていたであろう単語については、共通性が見られない。たぶん韓国語は北の大地から南下して来た言葉で、日本語は昔からこの島にいたか、あるいは南の海を渡って北上して来た言葉だ。
同じ時期に、同じ隣にいるチャイナ先生から、文明と漢語を学んだ。
互いの国が疎遠となってからも、文献により間接的に、チャイナ先生から文物を輸入し続けた。
だから、同窓生なのだ。
漢語の圧倒的な影響を受けながら、文法の構造に漢語の単語を組み込む、膠着語となった。
だから、21世紀の現代になっても、驚くほどに文法が似ている。これは進化論の言葉で言えば、互いに種として関係がないのに外見や生活活動が似通っている、収斂進化"convergence"というべきものであろう。たぶん。
そして、ともに儒教の影響を受けて、人間のつながりを社会の根本に置く。
韓国では家族の結合で、日本では組織の結合の点であることが、ちょっと違うが。
だが、両方ともに、中国の引き写しではない。
楽天的な中国人と違って、両国民は清貧を愛し、やせ我慢を愛する。
そして、清潔を愛する心が、強烈に強い。
「ウマミ」を嗅ぎ分ける舌を、持っている。中華料理はやたらに料理を飾り立ててみたり、野菜に細かい細工を施したりする。彼らはそれをよしとしてやっているのだろうが、私は率直な意見を言わせてもらえば、そんなことにかかるお金が、もったいない。美味いものを食わせてくれれば、それでよい。そう、思ってしまう。華やかとは決して言えない韓国料理を食べている韓国人も、同意見ではないかと思っている。
さらに、これは悪い面であるが、集団の多数意見が時に熱狂的世論を作り、しばしば少数者を「空気」で圧迫する。
これらは、おそらく血の影響であろう。同じジャポニカの米を太古から食ってきたことと、同じく。

ワープロで、翻訳を続ける。
まだこの言葉をマスターしていないので、自分で十分理解できない言い回しは、避けることにした。「私」には、「나」を使った。「君」には、「자네」を使った。私の方が、彼より年長である。それで、日本語の感覚で、これらを使うことに決めた。間違いかもしれないが、ここに私の学習の記録を残すために、今回はこれで通す。

思いの他早く、できあがった。
以下の文章をもう一度Exciteにかければ、文法的にはだいたい合っているであろうことが、推測できた。


전략.
지금, 나는 일본에 있습니다.
나는, 자네가 내 조국을 방문하는 것을, 진심으로 바라고 있습니다.진심으로.
나는, 자네와 같은 훌륭한 젊은이들가, 일본을 알고, 그리고, 사랑하는 일을 바란다.
이것이, 내 브로그입니다.나는, 자네에 관해서, 썼다.

http://suzumoto.s217.xrea.com/

아마, 지금은 읽을 수 없을 것이다.
하지만, 이것만은 말할 수 있다.
나는, 일본인에 대해서, 얼마 자네와, 자네의 조국의 사람들이, 아름다운 마음을 가지고 있을까를, 쓴 셈치다.
아직, 나는 자네에게 받은 편지를, 충분 해독할 수 없다.
하지만, 나는 자네가 정성 어린 이별의 인사를 나에게 준 것 만은, 읽고 이해할 수 있었다.
자네도, 내가 준 하이쿠를, 읽는 일에 도전하는 일을 바란다.

이만 줄이겠습니다


私が生まれて始めて書いた、韓国語の手紙である。ここに、記録する。
おそらく、この訳はへんてこな、ものであろう。
だが、それでいいのだ。
人の労苦を借りるよりも、私は自分でやる。そうしなければ、身につかない。

英文の下に、韓国語訳を貼り付けて、メールを作る。
教えてもらったアドレスに、送った。
だが、届かなかった。

昨日、夕映氏が、酔いながら私に、忠告をした。
-あんまり、舞い上がるなよ。
彼は、私よりももっと沢山、挫折を経験している。
挫折を経験しながらも、それでも精一杯前を向いて、生き続けている。
そんな彼だから、私を危ぶんだのであろう。
私はついその時、電話口の彼に、反論してしまった。
だが、日が明けた今は、彼の忠告の意味が、よく分かる。

その後、ちょっとだけ機転を利かせて、教えてもらったメアドをもう一度よく見た。
メアドの先頭部分は、よく見ると気の利いたしゃれになっていた。
それで、たぶんこう書きたかったんだろうと類推して、もう一度送ってみた。
今度は、届いたようだ。
ひょっとして、違う誰かに送ってしまったかも、しれないけれどね。ハハハ。

2009年03月03日

総入歯寸前

私の歯は、芸術的なまでの、乱杭歯だ。
親から受け継いだのだから致し方もないことであるが、これまでは気にも止めず、生きてきた。
だが、今後はこの歯ではいけない、と思った。
それで、本日梅田にまで足を運んで、矯正歯科で事前診察を、してもらった。
結果。
私の歯は、もうほとんど手遅れであった。
歯周病が、治癒不可能なほどに、進んでいる。
「たぶん上は、総入れ歯でしょうね。下も、残るのはわずか。」
これまで、放置して来たのだ。
もはや、致し方あるまい。
「最低、一年は覚悟しなさい。二年、かかるかもしれません。それでも、よいですか?」
もう決心するしか、あるまい。

2009年03月08日

Korea!2009/03/08

京都市内で、韓国人を連れて行くための、Best&Worst Places(?)。

第一カテゴリー 日本では神格化、韓国では悪人
・豊国神社(東山区、秀吉が神として祀られている)
・高台寺(東山区、秀吉の正妻の寺)
・方広寺(東山区、秀吉が建てた寺)
・本圀寺(山科区、清正が帰依した寺)
・伏見桃山城(伏見区、秀吉が建てた城)
・明治天皇・皇后陵(伏見区、日韓併合時点の天皇)

清正(チョンジョン)はただの指令官であり、悪の張本人は秀吉(スギル)その人なのだが、韓国での伝承では両方とも極悪人となっているので、現状では致し方なかろう。

第二カテゴリー 日本では微笑ましいエピソード、韓国では侵略者の政治的エピソード
・北野天満宮(上京区、秀吉の茶会)
・醍醐寺(伏見区、秀吉の花見)
・円山公園(園内の洋館、長楽館は、伊藤博文の命名)
博文が韓国でどのような評価をされているか、今さら言うまでもなかろう。

第三カテゴリー 日本人はあまり知らない、韓国関係の歴史上人物
・知恩院(東山区、家康が帰依した寺)
・金戒光明寺(左京区、家康の保護を受けた寺。儒者山崎闇斎の墓もある)
・二条城(中京区、家康が建てた城)
・平安神宮(左京区、祭神の桓武天皇の母が、韓国系)
家康(キガン)は秀吉の家を成敗し、李朝と友好を回復した偉人である。角倉了以に命じて高瀬川を開削し、京都が流通の拠点となる基礎を築いた。家康は、京都のまち作りにおいても、桓武天皇、秀吉、北垣国道と並ぶ功績を打ち立てたのだ。韓国人には、あまり知られていないかもしれないけれど。
桓武天皇の母、高野新笠の出生には異説もあるのだが、まあ通説に従おう。

・相国寺(上京区、大儒者李退渓(イ・テゲ)の業績を日本に初めて紹介した、藤原惺窩が学んだ寺)
・建仁寺(東山区、藤原惺窩から朱子学を学んだ林羅山が学んだ寺)
徳川時代の儒教は、はじめ李朝朱子学を模倣するところから始まったことは、日本人として覚えておきたいものだ。時代が進むにつれて、伊藤仁斎、荻生徂徠、太宰春台らの独創的儒者が、日本にも現れ出てくる。伊藤、荻生らの名前と業績は、李朝の学者たちもまた知るところであった。朱子学から逸脱した彼らの業績への評価は、複雑なものであったようだが。
ただし藤原惺窩は李朝の儒者に面会したとき、「明と朝鮮が結んで日本を征服してほしい」と望みを述べたという、売国的思想家でもある。日本人として、そこだけはわきまえておきたい。


李進煕氏が引用する、朝鮮通信史に対する幕府の接待料理覚書が、たいへん面白い。
それによると、肉と魚は、基本的にオーケー。エビ、タコ、ハマグリでもよい。一番の好物は、牛肉。
生魚すなわち刺身も、オーケー。
だが、塩魚は、あまり好きでない。
野菜、海藻、油揚げ、全てオーケー。
果物は、全部オーケー。
にゅうめん、そば、オーケー。
和菓子は、たいていオーケー。
酒は、古酒。焼酎。酒類は、たいていオーケー。
もちろん、個人により好みはある。
料理は、「あつき物を嫌、大概ぬるき物を好」むとか。

以前夕映舎氏が、慶州の高級酒を「日本の古酒のようだ」と批評したが、なんと幕府もまた、彼らの好物の酒として、筆頭に古酒を挙げているでは、ないか。

この書を読むと、いかに徳川幕府が、朝鮮通信使の接待に丹念に心をくばり、彼らの好物を徹底的に調べ上げていたかが、分かる。日本のサービス業の精神が早くも十八世紀の時点で満開していたことが、ありありと見て取ることができる。そして、幕府が持っていたおもてなしの心を忘れ去ってしまったのが、明治政府の外交であった。

『海游録』を著した申維翰(シン・ユハン)は、1719年通信使の製述官であったが、彼は日本で味わった味についても、書き残している。
-諸白を、上品となす。
諸白とは、要するに日本酒のこと。いっぱんに、李朝の使者は、日本酒のうまさを絶賛している。
他に、梅酒、桑酒、忍冬(すいかずら)酒などのリキュール類も、味がよいとしている。
とか言いながら、一行が道中で一番好んだのは、道中で作った白酒、つまりマッコルリだったりする。
本国からも持参していて、それは焼酎(ソジュ)と秋露酒(チュロジュ)であった。秋露酒とは、どんなものかまだわからない。
思うに、彼らにとって日本酒は、「うまいけれど、飽きる」味なのかもしれないな。
通信使たちの酒の記録を見て、そんな印象を持った。

他に、マクワウリやスイカが、甘くて味がよいと言っている。
申維翰は、食物については、
-粕漬をもって美食とす。
と、言っている。サワラの西京漬けみたいなやつだ。私も、好物である。
また、鰹節に興味を示している。鯨の肉については、柔らかくて油っこくて珍味と思えないと、評価が低い。また、すき焼きにも注目している。

2009年03月21日

Korea!2009/03/21

桜の季節用にトップページを編集していたら、過去に撮った洛東の桜たちが、思い出されてならない。
-そうだ、竹中稲荷には、ぜひとも行かなければならない。
知られていないが、神楽岡竹中稲荷は、京都の桜で個人的に最も美しい地点の一つであると、私は人に薦めたく思っている。薦めたいが、名所なんぞになってほしくない。もどかしい、ところである。
-日本は、こんなにも美しい。外国人には、日本のよいところを、賞賛してもらいたいものだ。
ここ最近の私は、政治に悩むあまり、日本のネガティブな面を抉り出して断罪しなければならないという思いに、駆られていた。
その思いは、今でも忘れたわけではない。日本の過去の悪事は悪事として、目を背けてはならない。
しかし、それよりもさらに、日本の良い面は、確かにある。ありすぎるほどにあることを、自分が撮った写真を見て、思い出した。
二月に、私が韓国の思いもよらなかった美徳なる面を旅行して見たことが、以降の私を走らせているのではないか。
じつに悲しきは、両国の国民が、隣国の美徳なる面を、ちっとも知っていないことである。
私は、韓国人に、日本の良い面が余りあることを、伝えなければならない。
そして同時に、日本人に、韓国の良い面が余りあることを、伝えなければならない。
憎むべきは、己を誉めて相手を貶める精神であり、己を卑下して相手に媚びる、精神ではなかったのか。その両者を、斬らなければならない。

-ソウルに、行かなければならないな。

私が二月に行った慶尚道は、韓国の歴史で言えば、両班(ヤンバン)の牙城。
最も、保守的な地域であった。
北部の平安道、黄海道が日韓併合前後にキリスト教によってラディカルな抵抗運動を繰り広げたのとは対照的に、慶尚道は「本学」つまり朱子学から来る攘夷思想によって、ラディカル化した。
今回の旅行ではどの辺が両班の伝統と言うお国柄であったのか、それともそんな伝統はなくなってしまったのか、私にはよく分からなかった。
しかしソウルは、慶尚道とはまた違う世界のはずに、違いない。

2009年03月25日

滝廉『花』の韓国語訳

私が訳した『花』の韓国語訳を、歌えるように小節ごとに区切ってみた。
試しに自分で歌ってみたが、歌える、歌える。バッチリだ。

화창한 봄의, 스미다강.
ファチャンハン|ポミ|スミダガン
올라 내리는, 뱃사람들의
オルラ|ネリヌン|ペッサラムドゥリ
노의 물방울이, 꽃이 되고, 지다.
ノイ|ムルバンウリ|コッチ ドェゴ チダ
이 경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
イ ギョンチルル|ムオセ|ピユハルスイッソ

보지 않았어?새벽의 이슬을 받아
ポジ アナッソ|セビョギ|イスルル パダ
나에게 이야기를 거는 벚꽃나무를.
ナエゲ|イヤギルル コヌン|ポッコッナムルル
보지 않았어?황혼에 손을 펴
ポジアナッソ|ファンホネ|スヌル ピョ
나를 부르는 푸른 버들을.
ナルル|プルヌン|プルン ポドゥルル

비단의 옷을 껴입는 긴
ピダニ|オスル|キョイッヌン キン
제방 위에 와 오르는, 어슴푸레한 달.
チェバン ウェエ|ワ オルヌン|オスムプリョハン タル
확실히 一刻이 千金인
ファッシリ|イルガギ|チョングミン
경치를 무엇에, 비유 할 수 있어?
キョンチルル|ムオセ|ピユハルスイッソ

コード進行は、至って簡単。
(一、二番)
G | C | G | D
G | C | D | G
G | C | Em Em7 | D
G | C | D | G

(三番) 
G | C | G | D
G | C | D | G
G | C | Em Em7 | D
G D | C A | D | G


2009年03月31日

『花』韓国語バージョン

以前に韓国語訳した滝廉太郎の『花』を、ギター伴奏で歌ってみた。

2009年06月21日

多文化交流会 at Tsuruhashi

6月20日、鶴橋本通にある韓国伝統茶店「ハナ」で、多文化交流会がありました。
「ハナ」とは、韓国語で「ひとつ」という意味です。
私は、先週あった「ワンコリアフェスティヴァル」の集会の席でもらったチラシをつてに、JR鶴橋駅から歩いていきました。

P6200016.JPG

この日は、夏至の前日。
厨房以外の明かりを消し、冷房も消して、再利用の廃キャンドルを点しての交流会。
かつての時代の夜を再現した、エコナイトでした。
主催した手塚さんと山中さんの、アイディアです。


P6200004.JPGP6200009.JPG


「ハナ」は、普段は韓国伝統茶のお店です。
壁には、著名なイラストレーター、黒田征太郎氏の絵が、いっぱいに描かれています。


P6200020.JPG


キャンドルライトの下、集まった皆さんと、楽しく会話しました。
喫茶店ですが、今夜はマッコリをメニューに出していただきました。これがなくっちゃ。
アンジュ(つまみ)として、駅前でチヂミとチョッパル(豚足)を買ってきました。
持ち込みOKのパーティーでしたので。
マッコリといえばチヂミかな~と、思ったので。
聞けば、チヂミの焼ける音は、雨の音だとか。
その音を聞きながら、雨の日にチヂミをアンジュに、マッコリを楽しむ。それが、韓国の風流というものなのかな?

-この日は梅雨の最中で蒸し暑かったものの、雨は降りませんでしたけれど。


P6200008.JPGP6200001.JPG


手塚さんは、韓国語の講師もやっています。
韓国に留学までして、韓国語をマスターした、すごい人です。
山中さんは、オーストラリア留学中に韓国人と知り合ったことを通じて、隣国に興味を持たれたと聞きました。
今夜集まった人々は、いろいろなきっかけで、多文化交流の集いに集まったみなさんでした。

私が隣国に興味を持ったきっかけは、今年2月に行った、韓国旅行からでした。
私は、自分が感動した三つの点を、皆さんに説明しようとしました。


하나 - 한국의 길이 아주 아름다웠어요.
ひとつ-韓国の道は、きれいだったです。

둘 - 음식이 다 싸고, 그리고 맛있었어요.
ふたつ-料理がみな安くて、そして美味かったです。

셋 - 사람의 인정에 감동했어요.
みっつ-ひとびとの人情に、感動しました。


実際には、こんなにすらすら言っていません。
私の韓国語は、まだまだです。
私は、「道がゴミもなくてきれいだった」と言おうとして、

아름다웠어요. アルムダウォッソヨ。

の言葉を使ったら、手塚さんから、「その場合はむしろ、『ケックタダ』(清い、清潔だ)のほうがいいですね。」と教えられた。
私が「ケックタダ」のハングルを書けないでいると、彼女はすらすらと「깨끗하다」とカードに書いてくれた。
「『アルムダプタ』は、『わあ、素敵できれい!』といった感じの、言葉です。」
「あと、『コップタ(곱다)』っていう言葉もありますよね。その違いは?」
「たとえば、年配の方が綺麗なチマチョゴリを着ていたりしたとき、『コップタ』ですね。」
日本語ならば「清楚だ」って、感じだろうか。
さすが、上手に指摘なさる。


韓国語で「趣(おもむき)」は、モッ(멋)といいます。

멋이 있어요. モシ イッソヨ。

と言えば、「趣があります」=「すばらしい」と言う意味になります。
今晩は、まことに、モシ イッソッソヨ。(すばらしかったです)


P6200026.JPG
P6200026.JPG