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黄順元『日月』 --->2009年04月15日



2009年02月14日

Korea! 序

『金笠(キム・サッカ)選集』(東洋文庫)の編訳者である、崔碩義氏は解説に言う。


金笠(1807-63年)は朝鮮王朝末期、全国各地を放浪した天才詩人である。彼の自由奔放な詩は、奇異なその人生と相俟って民衆に愛好され、今日でも朝鮮半島の南北で人気が高い。金笠の領域は多岐にわたるが、やはりその真骨頂は旅人として、人生の世知辛さを詠い、当時の腐敗堕落した両班支配層にたいしても歯に衣着せぬ諷刺詩を放ったところにある。金笠とその破格的な詩篇は朝鮮詩文学史上異彩を放つ存在であるといえるだろう。

解説の略歴に、頼る。
金笠の真の姓名は、金炳淵。笠(サッカ)は、彼がいつも笠をかぶって全国津々浦々を放浪したので、世間の人が呼んだ俗称である。
安東(アンドン)金氏の、末流である。
純祖(スンジョ)時代から大院君(テウォングン)時代までの李朝末期、安東金氏は政権を壟断して、歴史上に勢道政治(セドチョンチ)と呼ばれる。金笠は、祖父の宣川府使、金益淳が洪景来の乱に巻き込まれさえしなければ、政府の高官に昇る展望すら開けたかもしれない。

洪景来の乱(1812)は、北部の平安道で起った、農民反乱であった。
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird,1831-1904)が彼女の『朝鮮旅行記』で描く李朝末期の支配階層たちの姿は、一般民衆たちの姿と鮮明な対象を成している。
彼女が歩いた漢江流域の農村の住民たちは、外国人に対してその好奇心から失礼なふるまいをややもして行なうものの、概して性は善良で友好的であるという姿を、好意的に描いている。
彼女の指摘で注目するべきは、民衆は確かに漢字は読めないものの、たいていは諺文すなわちハングルを読むことができる、という点である。


諺文[ハングル]は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。とはいえ、わたしの観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める。
(バード『朝鮮紀行』時岡敬子訳、講談社学術文庫、pp.111)

それが本当ならば、李朝末期において、民衆の識字率は、実は高かったはずである。単に、科挙(クァゴ)を受けるために必要な漢字(ハンジャ)を、両班だけが学び使う公用文字の漢字を、知らなかっただけであった。バードが半島を旅行した1894年から1897年の時期と同じくして、李朝政府は諺文すなわちハングルを、政府の公認する文字に昇格させる。
その支配階層である両班たちや、それにぶら下がっている吏員や従僕たちの姿は、バードの目から見て、どうしようもない。「朝鮮の災いのもとの一つにこの両班すなわち貴族という特権階級の存在があるからである。」(『朝鮮紀行』、pp137)ソウルと地方の両班や、その代官としての下僕たちは、民衆から無法に搾れるだけ搾り取る。肉体労働を恥辱とする両班たちは、自分では何もせず、隷下の民に地元の瓦や農産物をソウルまで無償で運ばせる苦役を課す。地方都市の吏員たちは、外国人に対して倣岸にして、無礼なばかりである。バードは李朝の農村の貧しくもつつましい生活を愛するものの、両班や従僕たちが集まる大小の地方都市に対しては、賞賛する言葉が極端に少ない。洪景来の乱は、バードが観察したような李朝末期の農村社会の圧制に反抗して起った、李朝末期の一連の農民反乱の一であった。

さて反乱は燃え上がって、金益淳は為すすべもなく、反乱軍に投降を余儀なくされる。
後に政府軍が反乱鎮圧に成功して、金益淳は中途で脱出することに成功したものの、結局許されずに、乱の最中に大逆罪で処刑されてしまう。当時の李朝の法は中国を倣った法であって、大逆罪の罪は、三族に及ぶ。権勢高い安東金氏の一流であったために、罪は思いの他軽くすんだ。しかし、金益淳の末流たちは、滅門廃族、すなわち両班の身分から追放されてしまったのであった。

金炳淵は、長じて自分が大逆者の孫であることをはじめて知り、動揺する。彼は狂騒し、二十二歳でついに妻子までを捨てて、放浪の旅に出た。笠をかぶり、李朝の北辺から済州島まで、歩いた。そうして、両班たちを罵り、民衆たちを憐れむ詩を、後世に残したのであった。彼の漢詩は破格であって、時に猥褻であり、それで民衆の愛するところとなったという。

私は、解説を読んでから、期待して金笠の詩を読んだ。
だが―
現在、私はこの金笠という高名な詩人の作品が、どうして韓国人の心を打つのか、まだ理解できない。
陶淵明やランボーならば、私は理解できる。
彼らは読み下したり、訳文で読んでも、その詩心がはっきりわかる。
私はフランス語でランボーの詩を読んでみたが、読めばますますこの詩人が言葉の魔術師であったことを、正しく理解できた。厳格に韻を踏む漢詩ならば、なおさらのことである。


松松栢栢岩岩廻
水水山山処処奇
(『金剛山』)

だが、金笠の詩を、今の私はいまだに、理解できない。
確かに技巧的な律詩や絶句もあることはあるが、上の作品のような日本人にとっては手抜きにすら見える作品が、傑作と言われているようだ。
私は、選集に収められた金笠の金剛山詩を読んだ後、イザベラ・バードの南北漢江(ハンガン)及び金剛山(クムガンサン)旅行記を読んで、少しだけ金笠の描写する風景が、分かったような気がする。だが、バードが激賞した風景の華麗かつ詳細な描写を読んだ後でもう一度金笠の詩を読み返せば、その色彩の乏しさに今度は淋しくなってしまった。

選集に収められた金笠の詩には、数字をやたらと多用した作品が目に付く。漢詩好きの私から見れば、小学生の作品のように見えてしまう。

一峰二峰三四峰
五峰六峰七八峰
(『夏雲多奇峰』)

一読して思ったことは、どうも韓国人は我ら日本人と、漢詩に対する感覚が、違うようだ。日本人は、読み下して日本語に変えてしまう。韓国人は、漢字の並びのままに、読む。

同知生前双同知
同知死後独同知
同知捉去此同知
地下願作双同知
(『輓詞』)

明らかに、これは何かの詩世界を、作っている。
だが、日本人であり、読み下した漢詩を長らく楽しみすぎている私には、金笠の漢詩は異様に見える。

主人呼韻太環銅
我不以音以鳥熊
濁酒一盆速速来
今番来期尺四蚣
(『濁酒来期』)

日本人流に読み下しても、何がなんだかわけがわからない。
編訳者の崔碩義氏が解説してくれているが、この詩は韓国語で読まないと、わからない。
漢字を読んだ時に起る、ダブルミーニングを使用しているのである。
金笠の諧謔詩は、漢字を独占して、詩文に耽る両班に、攻撃の矛を向ける。
この詩は、七言絶句のふりをした、実は韓国語詩なのだ。解説によると、とある田舎の詩会で、濁酒を賭けた出題に対して、金笠が即妙に披露したという。
だが。
韓国語詩だから、韓国語が血肉の中に入り込んでいないと、楽しめない。この詩を日本語に訳してしまうと、その内容は、じつにくだらない。

彼の詩には、怒りが多い。傑作と言われる詩は、罵りに満ちている。怒りと、罵りと、そして哄笑の世界が、金笠の詩の世界には、広がっている。
金笠の詩は、韓国語というこの子音の響きの美しい言葉に、強く結び付いているのであろう。今はそう、予感する。
そして、彼を生んだ韓国人の愛する風景とは、岩と水と空の、あくまでも地味な風景なのであろう。
日本人と韓国人は、確かに異質である。
そして、互いの芸術作品は、余所者にとってわかりにくい。中国やヨーロッパのような、誰にでもよいと分からせる、普遍性の味がかなり薄い。金笠の詩は、韓国の言葉と、韓国の山水と、そして韓国の人間が分かっていなければ、味わいづらいのであろう。我が万葉・古今の和歌が、ひとたび英訳してしまえば、もとのうたが持っていた呪術的な魔力を、ほとんど消し去ってしまうように。


柳柳花花
ポドルポドル・・・コッコッ(버들버들・・・꼿꼿)
(『訃告』)

翌日、もう一度読み直した。
すると、彼がどうして韓国で人気があるのかの理由が、わずかながら私の前に透けて見えたような、気がした。
上の、たった一行四文字の諧謔詩の漢字を韓国語で読めば、カナのようになる。
なんとなく分かると思うが、この読みは、擬態語に通じている。
ためしに、日本語訳してみよう。


柳柳花花
ブルブル・・・コッテン

そうなのだ。
この愉快な訃告を、しかも生気あふれた(そして「花柳」で色道にも通じさせた)漢字でもって、金笠は作って見せたというのだ!
なるほど、愛されるわけだ。
やっと、彼の楽しみ方の、一条の光が私に見えた。

だが、まだこれでは、今の日本人に楽しめるとは、言いがたい。
だからこそ。
だから、こそ。
この両国は、もっと互いを理解しあうべきなのだ。私は、金笠の詩を読んだ後、そう思った。
日韓の血と文化は、歴史を遡れば、確実に濃く混じり合っている。
もとより、別民族である。
イギリス人とドイツ人が、日本人と韓国人以上に濃厚に血と文化を重ね合わせていたとしても、イギリス人とドイツ人が同民族であるなどという主張は、一部の北方人種優越主義に凝り固まったフェルキッシュ(Völkisch)思想家のたわごとにすぎないように。イギリス人とドイツ人は、別民族である。日本人と韓国人は、なおさら別民族である。別の言葉を持ち、別の文化を愛好している。
だが、互いは異質であるが、きっと最も近い、文明である。
私は、今回の七泊八日の旅行をもって、両国民の心の底流に流れているものが、驚くほどに似ていることが、よく分かった。そして、我らとは異質ながらも、韓国人と、韓国語と、そして韓国の山水が、極めて美しいことを、知った。

旅行記の中で、ハングルをカタカナに直す場合には、原則として韓国での読み方に準拠した。ただし、引用した文の中で著作者が自らの姓名を別のカタカナ表記で著している場合には、著作者の意図を尊重した。
また子音の「ク」が、末尾にあるか、あるいは別の子音に続く場合については、促音すなわち「ッ」で表示した。これは、私が旅行中に通った食堂でイイダコの混ぜごはんを頼んだとき、店員の声が私の耳に「ナクチポックム」とは決して聞こえず「ナッチポックム」としか聞こえなかったこと、そして旅の途中で会ったパク君が韓国の餅を発音したとき、私の耳に「トッ」と聞こえて、「トック」と聞こえなかったこと。これらの経験から、あえて旅行記では、上の表記を使いたいと思う。(ただし、韓国の大姓である「朴」などは、「パク」というカタカナ表記があまりにも定着しているため、これを用いる。本当は「パッ」と聞こえるのであるが。)

2009年02月26日

Korea!2009/02/21その十

今、図書館から『現代韓国文学選集』(冬樹社)を借りて、韓国の現代詩を読んでいる。
どういうわけか、訳者の名前が書いておらず、編集委員の連名があるだけである。末尾の作家ノートに、高名な金素雲(キム・ソウン、1907-81)氏が訳を行なったと書いているので、少なくとも編集委員の一人である金氏の訳は、選集に入っているはずだ。
「青馬紀念館」から、柳致環を導き出すのには、大変苦労した。
韓国でだけしか知られていない人物、と言っても、過言ではない。「青馬祈念館」を「청마 기념관」とハングルに直して、韓国語のホームページを用いて、検索するより他はない。四苦八苦しながら巨済市のホームページを開いては、エキサイトで翻訳する。そうして、ようやく「青馬祈念館」が巨済市屯徳面にあり、「유치환」という詩人の記念館であることを、知る。「유치환」を、韓国語Wikipediaで、検索する。項目が、あった。他国語では、英語と日本語の項目だけがあった。そうして日本語Wikipediaで、彼の全貌を知ることができた。英語版の説明は簡単すぎて、参考にならない。たぶん日本語の項目は、誰か研究者の方が、書かれたのであろう。

柳致環(ユ・チファン、1908‐67)。
日帝時代を生き、戦後にまで生き通した。詩人であった。教育者であった。
慶尚南道忠武市、太平洞の生まれ。忠武市とは、私が今さっきまでいた、統営市の旧名である。彼と巨済島との関係は、この稿の時点で私がいる、巨済島屯徳面が父親の柳煖秀の出身地であったことに、由来する。
彼の生家は、裕福であった。
それで、父親が、八人の兄弟のうち三人を日本の旧制中学校に留学させた。
柳家の次男である致環は、その一人であった。
東京の、豊山中学校で学んだ。現在とは違って旧制中学校であるので、現在の中学一年生から高校二年生までの期間に当たる、五年の課程である。さらに言えば、旧制中学校は義務教育でなく、その後の旧制高校、そして帝国大学へと進む進路を前提とした、特権的教育機関であった。
しかし彼は、日本の学校を中途の四年で帰国した。父親が事業に失敗して、学資が困難となったためであった。その後は、韓国の学校で学んだ。以降、ごく短期間日本に滞在したことはあったが、韓国や満州ハルビンなどでいろいろな事業に挑戦しながら、戦前を過ごした。
金素雲の援助を受けて、1939年に詩集『青馬詩抄』を出版した。金素雲は釜山出身で、渡日して活躍していた詩人であった。彼は日本文壇に自ら採取した半島の口伝民謡・童謡を紹介して発表、半島の文化を知らぬ日本人たちに衝撃を与えた、詩人にして研究者であった。
戦後はKorean Warに従軍し、随筆や詩を発表すると共に、多くの学校で校長となった。赴任した各学校では、生徒たちに非常に慕われたらしい。1967年、自動車事故により、死去。

私は、手元にある『現代韓国文学選集』に訳された七葉の彼の詩を、読んだ。
残念ながら、私はその訳詩に、感心しなかった。これはもう、私の心が言っているのだから、どうしようもない。
彼の作った多くの詩のうちたった七葉であるし、原語の響きはまた違ったものであるに違いないから、今は彼の作品を批評することは、私にはできない。

Googleで、検索してみる。
「柳致環」で、2060件。
「柳致環 詩集」で、734件。
つまり、日本では、知名度がほとんどゼロだということが、わかる。チェさんには申し訳ないが、私がこの詩人を知らなかったことは、日本人の常識の範囲内なのだ。
帰国して調べると、微妙な問題を、感じ取る。
彼は、「親日派(チニルパ)」の疑惑が、掛けられている。
「親日派」とは、現在の韓国で、最も憤慨を起こさせる対象の一つである。
日帝時代に日本に協力したとみなされる人物は、「親日派」である。
私が見た祈念館の内容と、日本で調べた限りのこの詩人の戦前での活動内容は、食い違っている。
だから、韓国で「親日派」の疑惑がかけられているのであり、あの祈念館の中でだけは、彼は反日の闘士とされていた。
私は、今の時点で、この問題についてここから先に踏み込むことが、できない。
彼らを突き放すのは、簡単だ。
だが、それは必ず、両国の将来のために、ならない。両国を現在の行き詰まりから突破させるのは、両国の政治と経済の同盟しか、ありえない。今の私は、そう信じている。それはできるはずのことだと、私はこの旅行で強く感じた。そして、それを為さなければ、将来あの北朝鮮の建て直しは、きっとできないだろう。現在の韓国の国力では、北朝鮮はあまりに重荷に過ぎる。
だから、重大な問題である。ブログごときで、「親日派」問題を簡単に批評したくない。
その代わり、『現代韓国文学選集』より、戦後韓国の現代詩人たちのうたを、引用しよう。


ここは日本列島九州
東支那海の波打ち寄せる
指宿海岸
黒い砂浜
湧き出る温泉。

訪ねる友はおらず
真っ暗がり
静まり返った宇宙、

ひりつく思いに
雲が流れる

・・・(中略)・・・

ぼくと
ぼく
人間、所詮は独り行く旅。

(趙炳華『指宿』より)


韓国の詩は、内情の吐露である。
日本人ならば、指宿温泉の情緒を称えて、人間と自然を一体化させたい欲望を放ち、うたにするだろう。
しかし、韓国詩は、人間の心の叫びを、よしとする。
もとより、私の読んでいるのは、訳である。
詩は原語から別の言語に翻訳されると、別の詩になる。
韓国語の原語で趙炳華の詩を読んだときには、必ず日本語訳とは別の響きが、あるはずだ。
だが、訳だけでも、彼らが自分という存在の叫びに最大の詩心を置いていることは、わかる。

おお、ここに列なして横たわる魂魄たちには
目をつぶる安らぎもなかったに違いない。

きのうまできみたちの命を狙い
引き金引いたそのぼくたちの手で
崩れ爛れた肉片と骨を拾い
ここにこうして 日向を選んで
墓も建て、芝もどうやら着せた。
まこと死は、憎しみよりも 愛よりも
いやさらに神秘なもの。

(具常『敵軍墓地』より)


日本の歴史は、1945年8月15日で、時計が止まった。
それ以降の日本の戦後には、歴史が存在しない。
ただ、GDPとインフレーションが線的に伸びて、それと共に風景がめまぐるしく移ろって行った、それだけのことだ。1990年代以降には、GDPとインフレすら、平らかになってしまった。
しかし、韓国では、歴史はいまだに、終わっていない。
1945年8月15日の光復は、歴史の終わりではなくて、新しい不条理と悲惨の始まりであった。
1950年6月25日、半島では不条理な戦争が始まり、人が死に、村が焼かれて、その犠牲の結末は、それから59年経ったにも関わらず、いまだに精算されていない。いまだに、民族分断という不条理が、続いている。世界では冷戦が一応終結したにも関わらず、よりによって彼らだけが、まだ。
彼ら韓国人の心象風景の痛みは、叫びによってしか、満たされない。現実が、水に流してくれないのだ。現在の不条理の源に日本の占領があった以上は、これだけを切り離して笑って忘れるわけには、彼らとしてはいかないのであろう。

八月の江(かわ)が手を打ち鳴らす。八月の江が身もだえする。
八月の江が憂い悩む
八月の江が沈潜する。

江はきのうの溜息を、泪を、血のしたたりを
そして 死をすらも記憶する。

(朴斗鎮『八月の江 - 8/15に寄せて -』より)


上の詩、おそらく原語は、「八月江(봘월강)」であろう。パルウォルガン。いや、むしろ、パウォッガーンと表記した方が、日本人によりよく伝わるのかも、しれない。韓国語の響きは、我らがアイウエオの柔らかな母音を愛するのとは違って、子音の硬質な響きを愛する。

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
(三好達治『甃のうへ』より)

日本の詩は、流れて移ろう。上の三好達治の詩が、それを表している。それは、母音の響きがそうさせるのだ。一方、韓国詩は、留まり考える。私が読んだ訳詩からだけでも、それがわかる。

どこかで受信する秋の人は
仕事の手を休めて
いっときボンヤリと想いに耽る。
こおろぎの送信がハタと止めば
天(そら)はぜひなく
青瓷の深淵だ。
(申瞳集『送信』より)

彼らは、夏に憂い、秋に悩み、冬に苦しみ、そして春に逢っては、季節の美とこの世の不条理を対比させて、怒る。
それが、彼らの詩情なのだ。どんな季節においても意味もなく泣きたがる詩心の日本人と、不思議さとしてはそう変わりはしない。彼らの怒りには悪気がないのだから、怒りたければ怒るに任せれば、よいさ。こちらは、泣きたくてしようがないんだから、泣いていればよいんだ。

からたちは
棘の身ながら
からたちの実をつけ

私は
詩を病むゆえに
詩をつくる。

歳々 年々
年々 歳々
行けども 行けども
人は
そのままの人。

きょうも明日も
われは われ
いつもの そのままの われ。

むかしも いまも
時計は
時計の音、
めしは
めしの匂い。

(柳玲『枳殻は』より)

彼ら韓国人の詩心と、われら日本人の詩心は、異質である。
しかし、両者ともに、詩心があることだけは、確かである。
互いに違うことを分かっていれば、互いを尊重しあうことだって、きっとできるはずなのだ。
韓国の、石と。
日本の、花は。
ともに、美しい。

2009年03月08日

Korea!2009/03/08

崔貞煕『静寂一瞬』と鮮于煇『テロリスト』の二編の短編小説を、読んだ。

いずれも、舞台は1950年代、6.25戦争の最中と直後を描いた、物語である。

読後の感想-

歴史が、ない。
両者ともに二千年の都ソウルが舞台であるにも関わらず、歴史が舞台装置として、使われない。

風景が、ない。
あるのは、空気だけといってもよい。夏の暑さか、ひりつく冬の冷たさか。風景が、描かれない。

モノが、ない。
建築や、家の品物に対する、愛惜を通じた描写が、ない。

両者の小説ともに、戯曲の台本を読んでいるような感がある。あるのは、人物同士の激しい対立。それが、熱い。北と南で民族家族が相別れるという劇的な悲惨をエネルギーとして、人間だけが、描かれている。このまま小説を舞台にすることが、簡単にできる。なるほど、韓国映画にエネルギーがあるわけだ。
唯一、小説らしい描写としては、食い物に関する執着。これだけが、読み物独特の世界として、描かれる。日本人の私としては、食い物の描写に行き当たると、ほっとしてしまう。

韓国小説は、日本小説のような、歴史、風景、建築にたいする愛惜的な描写とは、無縁であった。逆に日本小説には、韓国小説のような対立も会話も、ほとんど存在しない。

読後に、ふと思った。
日本人が物語を思い浮かべるとき、その登場人物たちは、おそらく全て最初から和解しているのではないか。和解しているから、そのままでは物語とならず、ゆえに歴史や風景や建築を描写して、寄り道だらけの文章を書き上げる。
いっぽう韓国人の登場人物は、対立して和解できない。ゆえに、えんえんと人間を描写しなければならない。描写しても、描写しても、対立は終わらない。風景や歴史を楽しむ瞬間は、物語がぶっつ切れるまで、とうとうやってこないのか、、、

できれば韓国人の書き手には、この言葉過剰の国に赴いて、人の対立を抉り出して風穴を開けてほしいものだ。
私は、韓国の山河に赴いて、そこで静かに歴史と風景と建築を愛でる言葉を、紡ぎ出そう。

2009年03月11日

Korea!09/03/11

鄭漢淑『旧家』

現代の訪れを描いた、短編である。
伝統ある両班の宗家が、因習にまみれた家父長制の家が、嫡孫である主人公の成長と共に、崩れ去って行く。しみじみとした悲しい語り方は、日本人にとっても親しみやすい一篇となっている。

それにしても、韓国の書き手にとって、日帝と6.25は、重たい。この二つの事件によって、半島は強姦されるように、現代の市民社会に突入させられた。彼らの市民社会化は、司馬遼太郎が日本について描いたような「明治よいとこ節」(批評家、高橋敏夫氏の表現)の調子によって、明るく描くことができない。現代の韓国人が自らの市民社会化の歴史を冷静に評価することが難しく、かえっていまの現代と前近代の時代を両方とも絶対肯定するような、日本人にとって奇妙な歴史感覚を選ばざるをえないのは、彼らの歴史がそうさせているのである。あたかも現代のロシア人が、忌まわしいながらも間違いなく現代社会を作り上げたソビエト時代を冷静に評価することができず、いまのロシアと帝政時代を両方とも称える歴史感覚の欠如に追い込まれているのと、相同していると思われる。

Korea!2009/03/11

釜山港!関釜連絡線!そこは朝鮮人にとてどんなところであり、どんなものであっただろうか。

(金達寿『玄界灘』より)

在日朝鮮人作家、金達寿(キム・タルス)氏の代表作、『玄界灘』を読んだ。
前半は、文句なしに面白い。
この作品もまた、人間同士のぶつかり合いである。和解できないバックグラウンドが、ある。日本。朝鮮。征服者。被征服者。和解できない背景を背負わされた登場人物たちが、ギリシャ悲劇のように葛藤し、意識の上ではなかったことにしていた根本的な対立が、意識に上せざるをえない状況に追い込まれて、登場人物を切り裂いて行く。

後半は、つまらない。
作者の思想的立場から言って致し方のない、ことではある。
私は、全篇を義務として読んだ。
だが、読み物としては、残念ながら前半で終わっている。
後半は、コミュニズムに目覚め、反日独立運動に立ち上がるレールに、全ての登場人物が乗せられてしまっている。書かなければならなかったことは、分かる。しかし、それはもう物語ではない。
逸脱する個性があれば、もっと分厚い物語になったであろう。
日帝の人を人とも思わぬ暴虐な抑圧の下で、逸脱など許されない、許したくない心情は、痛いほどに分かる。
だが、最後に種明かしされる特高の「李元」のつぶやきなどは、もっと深刻な問題を、本当は示唆しているはずなのである。
そこを書かなかったのは、思想的制約であったか。
いまだ統一が成されていない悲惨の前に、描く筆先が震えたか。
残念な、小説である。そして、残念な、半島の現状である。

2009年04月02日

朴景利『金薬局の娘たち』

朴景利(パク・キョンイ)の中篇小説『金薬局の娘たち』を読了。冬樹社『現代韓国文学選集』の訳で、読んだ。このシリーズにおいては編集委員の名が連名で記されているだけで、訳者の個人名は記載されていない。

読後の、感想。

骨が見える、物語だ。

長編小説といってよい分量の物語であるが、結末を導くための人物配置、事件の絡ませ方に関する筋立てが、はっきりと見える。それは、小説を書くことを試みてみた私の経験から言っても、物書きとしては事前に用意するのは、当たり前だ。そして、それに対するディテールの描写が、長い物語のよしあしを決める決定的要素であることも、小説を中途であるが試みた私には、分かるのだ。

この小説は、だがディテールが残念ながら薄い。読後に、そう思った。
物語はタイトルが示すように、裕福な金薬局の家に生まれた五人の娘の事件を描いている。
だが、この物語は、彼女たちのうちいったい誰を、真に描きたかったのか。
次女の、容斌(ヨンム)なのか。
三女の、容蘭(ヨンラン)なのか。
それとも、長女の容淑(ヨンス)、はたまた四女の容玉(ヨンオク)なのか。
これら全てに焦点を当てようと作者が思うならば、これだけの長さではとても足りない。
『カラマーゾフ』の巨大さが、必要だ。
しかし、金薬局の娘たちには、ドミートリー、イヴァン、アレクセイの三兄弟のような、人間としてのスケールの大きさがない。だから、印象を積み重ねる、中編小説のスタイルで描くより、他はない。キリスト教、仏教、土俗宗教、そして反日独立運動が、ディテール描写の素材として用いられている。しかし、ドストエフスキー小説に見られるような、思想の徹底した掘り下げは、この小説が試みるものではない。時折出てくる思想に対する描写は、生煮えに終わっている。美味しく頂けない。
だから、この分量ならば、モーパッサンやフォースターのように、特定の人間に焦点を絞って、ディテールを積み上げたほうが、小説として成功したのではないか。それを、あっちこっちで不幸な事件を勃発させて、悲劇を作り出そうと試みるものであるから、読後感が消化不良に襲われてならない。たとえは悪いが、まるでサドの『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』を読んだ後の味気なさのようだ。サドの小説の狙いは皮肉な笑いであるが、この『金薬局』は悲劇を目指しているはずだから、味気なさが読後感となっては、困る。

各民族には、得意な物語のジャンルがある。
思想を徹底的に突き詰める深刻さがあるロシアやドイツの小説は、大長編が最も素晴らしい。
生活を愛しながら、ディテールを積み上げて人間の悲喜劇を作りあげることが得意なイギリス人とフランス人は、中篇小説に最大の持ち味がある。
日本人は、思想的深刻さとは無縁であるうえに、あまり人生を楽しんでいない。ゆえに、風の一瞬のそよぎや、石の上に差した一条の光に、あわれなる情緒を感じて描く、俳句が優れている。小説ならば、短編小説だ。日本人の物語は、長くなれば長くなるほど、質が落ちる。
韓国人も、そうなのではないだろうか。
私は、韓国文学の短編は、これまで読んで大変に面白いと思った。
しかし、長編を読むことを試みた現在、日本と同じく何かが足りないと、感じた。
思想的深刻さ、それから人生をまるごと愛するまなざしが、日本人以上に韓国人に、あるのだろうか。
私は、韓国人の物書きもまた、その持ち味は一瞬の情緒を描く、詩あるいは短編にあるのではないだろうかと、現在予感している。

2009年04月15日

黄順元『日月』

人間のジャングル。互に酒を酌み交わすときだけは、いとも睦ましげに振舞っても、一旦自分に不利と見て取ると、いとも無関心な他人になってしまう世界-、仁哲はその魅力にひきずられてここの常連になったのかもしれないと自分で思った。(pp320)

わが早稲田大学英文科出身の作家、黄順元(ファン・スンウォン)の長編、『日月』を読了。例によって、冬樹社『現代韓国文学選集』の訳を読んだ。

本作の基本テーマは、白丁(ペッチョン)と呼ばれる被差別階級を出自に持つ主人公の、周囲に起こるドラマである。
白丁とは、李朝において牛の屠殺解体を生業とした集団であり、わが国の「えた」階級との類似がしばしば指摘される。
韓国人は日本人と違って牛肉を常食する習慣があるために、牛の解体という職業の需要は、日本よりずっと多かったと推測される。しかし、本小説でも結局その出自や分布状況がはっきり示されていないように、歴史的な実態は、今となってはよく分からない。わが「えた」階級に比べて、どれほど社会内での差別が深刻なものであったのかも、外国人である私には、よくわからない。

しかし、この物語において、主人公の仁哲の一族が実は白丁であったというテーマは、物語全体においてあくまでも寿司ネタの一つにすぎない。島崎の『破戒』のごとく、このテーマを中心にどすんと据えて重々しく展開するような、迫力を持たせた書き方ではない。むしろ、作者が英文学専攻であったところからも嗅ぎ取れるように、イギリス小説の淡々とした人情劇の積み重ねが、この小説のメインなる味わいといえよう。

結局、主人公の仁哲が、多恵と美奈のフタマタかけたうらやましい奴で、うらやましい境遇のくせに、知らなくてもいい自分の父親の出自を見つけて悩み、結局美奈が自分の祖先を許して、ハッピーエンドとなる。物語全体として、悲しみは最後に用意されているが、深刻さはない。これが白丁という存在が韓国ですでに忘れ去られた存在となった歴史の反映と見なすべきなのか、それともこの物語の中だけの理想的状況なのかどうかは、外国人である私にはよく分からない。

この物語の登場人物は、じつによく酒を飲む。

「馴染みの店らしいな」
起竜が店の中を見まわすでもなくそう言った。
「そう見えますか?」
「路地に入ったときから体じゅうがここの雰囲気に溶けこんでいたよ」
仁哲は笑った。(pp384)

この書き手は、酒を知っているな、というところがわかるくだりに、ちょっとニヤリとさせられる。
仁哲といとこの起竜がサシで飲むシーンで繰り返し出てくる、やかんの中の酒は、きっとマッコリであろう。そして、仁哲や美奈、それに芸術家仲間たちが集まる居酒屋で饒舌な会話中に飲まれるのは、薬酒(ヤッチュ)だ。美味そうだな、と喉を鳴らしてしまう。

「ところで、あんたの顔色、前より良くないな。無理して酒飲むことないんじゃないかな。酒に頼るってのは一番拙いやり方だよ。もちろん酒の方でもそれを受け付けてくれないしね。」
起竜は近ごろの仁哲の心境を見抜いているような口ぶりだった。(pp383)

この物語も、キリスト教が出てくる。韓国の作家にとって、キリスト教はマッコリか薬酒のように、なくてはならない道具なのだろう。しかし、信仰について、大して掘り下げてはいない。まあ、これで終わらせた方が、アジア人としては無難だろう。取り上げたテーマに比して重さはない小説であるが、結構楽しく読むことができた。