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Korea! 序

(カテゴリ:韓国旅行記

『金笠(キム・サッカ)選集』(東洋文庫)の編訳者である、崔碩義氏は解説に言う。


金笠(1807-63年)は朝鮮王朝末期、全国各地を放浪した天才詩人である。彼の自由奔放な詩は、奇異なその人生と相俟って民衆に愛好され、今日でも朝鮮半島の南北で人気が高い。金笠の領域は多岐にわたるが、やはりその真骨頂は旅人として、人生の世知辛さを詠い、当時の腐敗堕落した両班支配層にたいしても歯に衣着せぬ諷刺詩を放ったところにある。金笠とその破格的な詩篇は朝鮮詩文学史上異彩を放つ存在であるといえるだろう。

解説の略歴に、頼る。
金笠の真の姓名は、金炳淵。笠(サッカ)は、彼がいつも笠をかぶって全国津々浦々を放浪したので、世間の人が呼んだ俗称である。
安東(アンドン)金氏の、末流である。
純祖(スンジョ)時代から大院君(テウォングン)時代までの李朝末期、安東金氏は政権を壟断して、歴史上に勢道政治(セドチョンチ)と呼ばれる。金笠は、祖父の宣川府使、金益淳が洪景来の乱に巻き込まれさえしなければ、政府の高官に昇る展望すら開けたかもしれない。

洪景来の乱(1812)は、北部の平安道で起った、農民反乱であった。
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird,1831-1904)が彼女の『朝鮮旅行記』で描く李朝末期の支配階層たちの姿は、一般民衆たちの姿と鮮明な対象を成している。
彼女が歩いた漢江流域の農村の住民たちは、外国人に対してその好奇心から失礼なふるまいをややもして行なうものの、概して性は善良で友好的であるという姿を、好意的に描いている。
彼女の指摘で注目するべきは、民衆は確かに漢字は読めないものの、たいていは諺文すなわちハングルを読むことができる、という点である。


諺文[ハングル]は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。とはいえ、わたしの観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める。
(バード『朝鮮紀行』時岡敬子訳、講談社学術文庫、pp.111)

それが本当ならば、李朝末期において、民衆の識字率は、実は高かったはずである。単に、科挙(クァゴ)を受けるために必要な漢字(ハンジャ)を、両班だけが学び使う公用文字の漢字を、知らなかっただけであった。バードが半島を旅行した1894年から1897年の時期と同じくして、李朝政府は諺文すなわちハングルを、政府の公認する文字に昇格させる。
その支配階層である両班たちや、それにぶら下がっている吏員や従僕たちの姿は、バードの目から見て、どうしようもない。「朝鮮の災いのもとの一つにこの両班すなわち貴族という特権階級の存在があるからである。」(『朝鮮紀行』、pp137)ソウルと地方の両班や、その代官としての下僕たちは、民衆から無法に搾れるだけ搾り取る。肉体労働を恥辱とする両班たちは、自分では何もせず、隷下の民に地元の瓦や農産物をソウルまで無償で運ばせる苦役を課す。地方都市の吏員たちは、外国人に対して倣岸にして、無礼なばかりである。バードは李朝の農村の貧しくもつつましい生活を愛するものの、両班や従僕たちが集まる大小の地方都市に対しては、賞賛する言葉が極端に少ない。洪景来の乱は、バードが観察したような李朝末期の農村社会の圧制に反抗して起った、李朝末期の一連の農民反乱の一であった。

さて反乱は燃え上がって、金益淳は為すすべもなく、反乱軍に投降を余儀なくされる。
後に政府軍が反乱鎮圧に成功して、金益淳は中途で脱出することに成功したものの、結局許されずに、乱の最中に大逆罪で処刑されてしまう。当時の李朝の法は中国を倣った法であって、大逆罪の罪は、三族に及ぶ。権勢高い安東金氏の一流であったために、罪は思いの他軽くすんだ。しかし、金益淳の末流たちは、滅門廃族、すなわち両班の身分から追放されてしまったのであった。

金炳淵は、長じて自分が大逆者の孫であることをはじめて知り、動揺する。彼は狂騒し、二十二歳でついに妻子までを捨てて、放浪の旅に出た。笠をかぶり、李朝の北辺から済州島まで、歩いた。そうして、両班たちを罵り、民衆たちを憐れむ詩を、後世に残したのであった。彼の漢詩は破格であって、時に猥褻であり、それで民衆の愛するところとなったという。

私は、解説を読んでから、期待して金笠の詩を読んだ。
だが―
現在、私はこの金笠という高名な詩人の作品が、どうして韓国人の心を打つのか、まだ理解できない。
陶淵明やランボーならば、私は理解できる。
彼らは読み下したり、訳文で読んでも、その詩心がはっきりわかる。
私はフランス語でランボーの詩を読んでみたが、読めばますますこの詩人が言葉の魔術師であったことを、正しく理解できた。厳格に韻を踏む漢詩ならば、なおさらのことである。


松松栢栢岩岩廻
水水山山処処奇
(『金剛山』)

だが、金笠の詩を、今の私はいまだに、理解できない。
確かに技巧的な律詩や絶句もあることはあるが、上の作品のような日本人にとっては手抜きにすら見える作品が、傑作と言われているようだ。
私は、選集に収められた金笠の金剛山詩を読んだ後、イザベラ・バードの南北漢江(ハンガン)及び金剛山(クムガンサン)旅行記を読んで、少しだけ金笠の描写する風景が、分かったような気がする。だが、バードが激賞した風景の華麗かつ詳細な描写を読んだ後でもう一度金笠の詩を読み返せば、その色彩の乏しさに今度は淋しくなってしまった。

選集に収められた金笠の詩には、数字をやたらと多用した作品が目に付く。漢詩好きの私から見れば、小学生の作品のように見えてしまう。

一峰二峰三四峰
五峰六峰七八峰
(『夏雲多奇峰』)

一読して思ったことは、どうも韓国人は我ら日本人と、漢詩に対する感覚が、違うようだ。日本人は、読み下して日本語に変えてしまう。韓国人は、漢字の並びのままに、読む。

同知生前双同知
同知死後独同知
同知捉去此同知
地下願作双同知
(『輓詞』)

明らかに、これは何かの詩世界を、作っている。
だが、日本人であり、読み下した漢詩を長らく楽しみすぎている私には、金笠の漢詩は異様に見える。

主人呼韻太環銅
我不以音以鳥熊
濁酒一盆速速来
今番来期尺四蚣
(『濁酒来期』)

日本人流に読み下しても、何がなんだかわけがわからない。
編訳者の崔碩義氏が解説してくれているが、この詩は韓国語で読まないと、わからない。
漢字を読んだ時に起る、ダブルミーニングを使用しているのである。
金笠の諧謔詩は、漢字を独占して、詩文に耽る両班に、攻撃の矛を向ける。
この詩は、七言絶句のふりをした、実は韓国語詩なのだ。解説によると、とある田舎の詩会で、濁酒を賭けた出題に対して、金笠が即妙に披露したという。
だが。
韓国語詩だから、韓国語が血肉の中に入り込んでいないと、楽しめない。この詩を日本語に訳してしまうと、その内容は、じつにくだらない。

彼の詩には、怒りが多い。傑作と言われる詩は、罵りに満ちている。怒りと、罵りと、そして哄笑の世界が、金笠の詩の世界には、広がっている。
金笠の詩は、韓国語というこの子音の響きの美しい言葉に、強く結び付いているのであろう。今はそう、予感する。
そして、彼を生んだ韓国人の愛する風景とは、岩と水と空の、あくまでも地味な風景なのであろう。
日本人と韓国人は、確かに異質である。
そして、互いの芸術作品は、余所者にとってわかりにくい。中国やヨーロッパのような、誰にでもよいと分からせる、普遍性の味がかなり薄い。金笠の詩は、韓国の言葉と、韓国の山水と、そして韓国の人間が分かっていなければ、味わいづらいのであろう。我が万葉・古今の和歌が、ひとたび英訳してしまえば、もとのうたが持っていた呪術的な魔力を、ほとんど消し去ってしまうように。


柳柳花花
ポドルポドル・・・コッコッ(버들버들・・・꼿꼿)
(『訃告』)

翌日、もう一度読み直した。
すると、彼がどうして韓国で人気があるのかの理由が、わずかながら私の前に透けて見えたような、気がした。
上の、たった一行四文字の諧謔詩の漢字を韓国語で読めば、カナのようになる。
なんとなく分かると思うが、この読みは、擬態語に通じている。
ためしに、日本語訳してみよう。


柳柳花花
ブルブル・・・コッテン

そうなのだ。
この愉快な訃告を、しかも生気あふれた(そして「花柳」で色道にも通じさせた)漢字でもって、金笠は作って見せたというのだ!
なるほど、愛されるわけだ。
やっと、彼の楽しみ方の、一条の光が私に見えた。

だが、まだこれでは、今の日本人に楽しめるとは、言いがたい。
だからこそ。
だから、こそ。
この両国は、もっと互いを理解しあうべきなのだ。私は、金笠の詩を読んだ後、そう思った。
日韓の血と文化は、歴史を遡れば、確実に濃く混じり合っている。
もとより、別民族である。
イギリス人とドイツ人が、日本人と韓国人以上に濃厚に血と文化を重ね合わせていたとしても、イギリス人とドイツ人が同民族であるなどという主張は、一部の北方人種優越主義に凝り固まったフェルキッシュ(Völkisch)思想家のたわごとにすぎないように。イギリス人とドイツ人は、別民族である。日本人と韓国人は、なおさら別民族である。別の言葉を持ち、別の文化を愛好している。
だが、互いは異質であるが、きっと最も近い、文明である。
私は、今回の七泊八日の旅行をもって、両国民の心の底流に流れているものが、驚くほどに似ていることが、よく分かった。そして、我らとは異質ながらも、韓国人と、韓国語と、そして韓国の山水が、極めて美しいことを、知った。

旅行記の中で、ハングルをカタカナに直す場合には、原則として韓国での読み方に準拠した。ただし、引用した文の中で著作者が自らの姓名を別のカタカナ表記で著している場合には、著作者の意図を尊重した。
また子音の「ク」が、末尾にあるか、あるいは別の子音に続く場合については、促音すなわち「ッ」で表示した。これは、私が旅行中に通った食堂でイイダコの混ぜごはんを頼んだとき、店員の声が私の耳に「ナクチポックム」とは決して聞こえず「ナッチポックム」としか聞こえなかったこと、そして旅の途中で会ったパク君が韓国の餅を発音したとき、私の耳に「トッ」と聞こえて、「トック」と聞こえなかったこと。これらの経験から、あえて旅行記では、上の表記を使いたいと思う。(ただし、韓国の大姓である「朴」などは、「パク」というカタカナ表記があまりにも定着しているため、これを用いる。本当は「パッ」と聞こえるのであるが。)