《読者の皆様へ》
お待たせしています。
間もなく、第一章から再開します。
第四章まで書き改めた後で、最終章を書いて締めようと思います。
中途で、後の部分と若干矛盾するところが出るかもしれませんが、おいおい修正しますので、気にせず読んでください。

『知兵之将』は、毎週月~土に連載中です(だいたい正午ごろに更新)。


「知兵之将」は、二千二百年前を舞台とした現代小説のつもりで書いています。だから、時代設定は古代中国ですが、出てくる人間たちは完全に現代人です。「二千二百年前の古代人がこんなことを思ったわけがねーじゃん!」― ごもっとも。しかし、シェークスピアだって坂口安吾だって、歴史上の人物を現代人の一人として書きました。だから、私も彼らの顰(ひそみ)に習おうと努力したいと思います。しかし、一つだけ申しておきたいことは、二千二百年前の古代中国は、我々が想像している以上に合理的・相対主義的・かつ無神論的な考えが浸透していた印象を、私は深く持つのです。


― 作者の序 ―


二千年以上前の中国大陸に、沸き立つ社会があった。

人々は、その時代に生きる中で、「なぜ?」を問う魂を持って生きていた。

時代の向こうに、人間の欲望渦巻く業の向こうに、何があるのだろうか。それを問い掛ける時代。それが、中国大陸の戦国時代であった。

だから、この時代の、最後の輝く瞬間を書きたいと思った。暫定的な答えを出す、その寸前の瞬間の年代記。不世出の君主であった始皇帝が成し遂げた、天下の統一。その統一が崩れて、項羽の楚帝国と劉邦の漢帝国との争いが起った。最終的に漢が勝利し、以降二千年以上続く古代帝国の形が決まった。その遺産は、現代の中国大陸にも大きく影を落としている。

タイトルは、『孫子』作戦篇の以下のくだりから取った。

「故に知兵の將は、民の司命、国家安危の主なり。」

(だから兵を知る将軍は、人民の命を左右する者であり、また国家の安全と危険の主宰者なのである。)




~以下、最新の執筆文です~



«« 前回”三十一 風吹いた後に(1)”



2008年10月07日

三十一 風吹いた後に(2)

諸侯軍は、項王を討ち取った後、直ちに勝利の凱旋に移った。

            

勝者たちの間には、秩序が必要である。
結局は、誰か一人だけが、覇者とならなければならない。これまで覇者であった項王は、今や消え失せた。その後に空いた座は、時を措かずして、誰かが占めるべきなのだ。
漢王は、斉王韓信を強いて、凱旋の道中に引き連れて行った。
この時、いまだに、彼の別将の灌嬰は、楚の平定を続けていた。灌嬰の軍は川を渡って江東にまで進み、呉中・会稽に残る項王の残党を、討ち果たすことに忙しかった。
だが漢王は、残された戦などは今さら些事に過ぎないと主張して、韓信を北に連れ去った。
軍師の陳平は、漢王に忠告していた。
「陛下の家臣のうち、韓信の下で功績を挙げた、曹参と灌嬰。戦後の恩賞について、この両名は、高く評価してはなりません。」
項王を倒したこれまでの戦で、漢王の沛以来の家臣の中で、武勇において大功を挙げたのは、もっぱら曹参と灌嬰の両名であった。
彼らの功績の源は、言うまでもない。韓信の指揮下にあって、韓信の軍略に従った故の賜物で、それ以外にない。
漢王は、ゆえに彼ら両名の功績を、大きく評価してはならない。
陳平は、言った。
「項王に勝利したのは、陛下が天命を受けられたからなのです。斉王は、陛下の委任を受けて、働いたにすぎません。ましてや、その下にいる下将などは、、、!」
漢王は、この小才子めが、と侮って苦笑した。
しかし、彼は陳平の意見を聞き過ごすほど、政治に愚かではなかった。小才子の進言には、常に冷たい真実がある。
漢王は、しばし小考した。
「ふむ。功績の、第一番は―」
彼は、頭を二三度ひねった後で、にやりとした。
「― 蕭何だ。丞相に、しよう。」
陳平は、平伏して言った。
「見事な、ご裁断です。丞相は陛下と同郷人で、挙兵以来常に漢の行政を、司って参りました。その功績は、武人どもよりもはるかに大きい。大義名分が、立ちます。」
漢王は、武勇の功も、智謀の策も、彼の天下取りの最大の功績から、斥けた。
残されたのは、彼と同郷人で、常に忠実かつ誠実で、しかも戦場から遠く離れて、後方の支援を黙々とこなし続けた男。丞相の蕭何こそが、漢王に天下を取らせた最大の功労者であるとされた。
漢王は、言った。
「朕は、智謀も武勇も、他の英雄たちに敵わぬ。だが、智謀の士も武勇の将も、しょせんは人よ。人ならば、操ることができる。朕が長けているのは、人を操る術だ。」
彼はそう言って、一笑した。

凱旋軍は、北に進み、魯に入った。
魯は、周公以来の伝統ある文化国で、孔子の出身地であった。
孔子の死後も、その門徒たちはこの地にて儒家の伝統を守り続け、礼節を守る気風は土地の民の誇りとなって、染み渡っていた。
魯は、戦国時代に楚の属領と化した。秦末の反乱によって楚が復活したとき、魯は再び楚の勢力下に入った。項王は、かつて楚の懐王によって初めて封建されたとき、この地を与えられて、魯公とされた。項王は、彼が覇王となる以前から、魯の主君であった。
いま、楚が諸侯軍によってすっかり陥落してしまった後になっても、魯の父老たちだけは、あっさりと降伏する安易を退け、城門を閉じて頑なに抵抗を続けた。さすがに、礼節を守る民であった。
凱旋軍を率いる漢王は、魯を力攻めなどする気は全くなかった。
「あの手合いは、泣かせれば陥ちる。そういうものだ。」
彼は、項王の首を、父老のもとに丁重に送り届けた。
そして、使者をして、彼らに告げさせた。
― 漢は項王を魯公に遺封し、この地にて遺骸を葬りたいと、望んでいます。
敗者を鞭打たず、敬意を表す度量を、漢王は見せた。
果たして、間もなく父老たちは、抵抗を解いた。
漢王は、降った父老たちに会見して、哀悼の意を表した。
「かつては秦を破った、覇王です。その功績を、この漢王が惜しまずに、どうしていられましょうか。どうかこの地で、彼の魂を慰めてやってください―」
父老たちは、漢王の言葉に、さめざめと泣いた。
魯の父老たちが受け持って、魯公の葬儀が行なわれることとなった。
葬る土地は、穀城(こくじょう)と定められた。
葬儀は、日を措かずして、行なわれた。
漢王と、連れ立った諸侯が、列席した。
漢王は喪に服し、項王の墓前に進み出て、倒れ伏して泣いた。
このときばかりは、漢王は感極まって、本気で涙を流した。
彼は、墓前にすがり付くように体を投げ出して、泣きわめいた。
「お前は、偉大であったよ、、、項羽!」
漢王は、若く才気にあふれたあの英雄のことを、心の底では何一つ憎んでなど、いなかった。
ただ、自分が天下人として浮かび上がった以上は、彼と戦うより他はなかった。
漢王は、非情の天下の成り行きによって、彼を葬った。
もう今後、あの英雄を見ることができないという事実を思うと、漢王は泣かずにはいられなかった。
「― 項羽!」
漢王は、もう一度、墓前に語りかけた。
韓信は、漢王の後ろで、諸侯の列と共にあった。
彼もまた、項王の墓前に座し、瞑目して祈った。
「― 項王!」
彼は、心の中で、彼の姿を思った。
「君と、戦場でさえ、会わなければ―!」
韓信もまた、項王のことが憎かったはずがない。ただ、乱世の中で巡り合い、対決したことが、二人にとって悔いるべきであった。
「だが、不幸な戦は、終わったのだ―」
韓信は、項王の霊前にて、一心に祈った。
葬儀に参列していた諸侯は、目を閉じて祈る彼のことを、時折ちらちらと、覗き見ていた。
彼らの間には、噂が流れていた。
漢王は、韓信を襲うつもりだ。
噂の真相は、誰にも明らかでなかった。
だが、もし本当ならば、どのような結果が待っているのだろうか。そのとき、この韓信は、どう動くつもりなのであろうか。諸侯は、内心でうろたえながら、漢王と韓信を代わる代わるに覗き見ていた。
韓信は、いまだに墓前で祈り続けて、動かなかった。

― 第十章 垓下の章・完
(カテゴリ:垓下の章


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