夜となり、視界が尽きたときが、包囲を脱出する機会であった。
項王の従騎たちは、生き残った者から、夜陰に紛れて走り去った。
「― よく、生き残っていたものだ!」
項荘は、東に逃れる道の途上で、再び合流した仲間を確かめては、互いに呆れ返った。
あの大軍の攻撃を一日中受けて、彼らはまだ生きていた。
不思議としか、形容のしようがなかった。
走るうちに、追い付く者の数が一人、一人と増えていった。
「お前も、、、!」
「お前もか!」
彼らは、生存者を確かめるごとに、目を丸くして驚いた。
彼らのうち、二十人以上が、包囲を破ることができた。
全員、馬も甲(よろい)も血と傷だらけで、さながら悪鬼のようであった。
それでも、彼らは生き残ったことを喜び、笑い合った。
項軍は、やはり無敵であった。
それを、彼らは十分すぎるほどに、証明して見せた。
「、、、だが、大王は?」
駆けて行くうちに、しかし笑いは尽きて行った。
項王と、項王と共に進んだ一隊が、まだやって来なかった。
彼らは、馬を停めて、主君を待った。
しかし、時が経っても、項王は駆けて来なかった。
「― まさか!」
ついに、誰かが言った。
「あの大王が、討たれるはずがない!」
項荘が、怒って否定した。
彼らは、覇王を信じた。
覇王は、無敵のはずだ。
項荘たちは、待つことにたまらず、戦場に向けて引き返した。
「大王、、、!」
彼らは、気が気でなく、駆け戻った。
だが、それも杞憂であった。
前方から、馬蹄の音が聞こえて来た。
先頭を駆ける馬の姿は、夜陰の中でも明らかに識別できた。
項王が、騅に乗って、戻って来た。
彼の後ろには、項荘たちよりもさらに深く傷にまみれた騎兵たちが、従っていた。
項王は、一笑して言った。
「こ奴らが、敵に囲まれていたのでな。囲みを蹴散らすのは簡単だったが、少し遅れてしまったよ。」
彼もまた、全身が敵兵の血で、染め尽くされていた。
敵をかわして逃げるつもりであったが、結局ずいぶん多くの兵馬を、斬ってしまった。
「甲も馬も、血だらけだ、、、川の水が、恋しいな。」
項王は、まるで遊びを終えた子供のように、莞爾(にこり)とした。
彼の従騎たちは、主君の子供のような微笑を受けて、少年のように笑い合った。
項王と従騎は、こうして敵の包囲を突破して見せた。
これぞ、覇王の武勇であった。
再び集まった主従は、生き残った数を調べた。
一、、、二、、、三、、、
残った数は、二十六人。
「― 無念。両騎が、討ち死に!」
項荘が、悔やんだ。
「数千の敵軍を、突破したのだ。致し方、ない。」
項王は、今日の戦を総括した。
今日の戦こそが、項王の戦であった。
彼は、韓信のように、兵法を知らない。
彼は、漢王のように、陰謀ができない。
兵法も陰謀も持たない彼は、常識ならば戦に勝てる、わけがない。
だが、彼の独特な点は、彼が一箇の非常識であったところであった。
非常識で、前代未聞であるからこそ、武勇で戦に勝つことができた。そして、天に挑戦して、天下を掴むことすらできたのだ。
彼は、今日の戦で、彼の生き方を、貫いた。
項王という一箇の生命の姿を、示し切った。
項王と従騎たちは、馬を留めて、円陣を組んだ。
すでに高く昇った月が、主従を照らしていた。
従騎たちは、項王の前に、ひざまずいて感服の意を示した。
項王は、彼らの中心にあって、独り立っていた。
彼は、聞いた。
― 何如(どうだ)?
項荘らは、ひれ伏して答えた。
― 大王の、言の如し。
それから、皆で大笑した。
我らの武勇を、見るがよい。
君たちに、できるか?
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