一 斉王に昇る(1)
本当のことを言えば、作者はこれをもって、この物語を終わらせてしまいたい。
これから後の歴史は、作者にとって書くに耐えないことが、積み重なって行く。
だが、楚漢の死闘は、まだ最後の部分が残っている。
そして、死闘の後にも、未解決の問題が残り、歴史はそれを収めるべきところに収めていくのである。
致し方ない。最後まで、書くことにしよう。
本当のことを言えば、作者はこれをもって、この物語を終わらせてしまいたい。
これから後の歴史は、作者にとって書くに耐えないことが、積み重なって行く。
だが、楚漢の死闘は、まだ最後の部分が残っている。
そして、死闘の後にも、未解決の問題が残り、歴史はそれを収めるべきところに収めていくのである。
致し方ない。最後まで、書くことにしよう。
漢王の本陣では、諸将と軍師たちが、広武山以降の方針について、喧喧(けんけん)と議論を戦わせていた。
張良子房は、もと韓の宰相家の、子息として生を受けた。
広武山に入った漢王のもとに、張良が戻って来た。
斉都の臨淄(りんし)は、大都会であった。
疲弊した国を、立て直さなければならない。
宮城に伴われて入った黒燕は、わざとしているかのように、はしゃいでいた。
蒯通は、韓信と共にいた黒燕の姿を見て、一瞬だけ驚いた。
張良は、言った。
「皇帝となることは、天下でただ一人、富と位を独占する存在となることなのだ。それが、どれだけ恐ろしく、そしてどれだけ汚らわしいことか、君に分かるか?」
こうして、斉王に遣わされた張良は、広武山の漢軍のもとに戻った。
張良は、広武山の漢王城の一角に、質素な居室を構えていた。
広武山の対岸に覇王城を築いて、対峙する項王軍。
騅の背に乗って、項王と虞美人は、語り合った。
漢軍が繰り出した騎兵の正体は、楼煩(ろうはん)の兵であった。
嘲笑って騒ぐ漢王城とは対照的に、覇王城は静まり返った。
時刻は午後に入り、強い陽射しが、戦場の土を乾かしていた。
広武山での対峙は、何月も続いた。
黒燕の言葉を聞いた韓信は、思い当たるふしが有るやら、無いやらが一緒くたになって、いっぺんに顔を紅潮させた。
韓信は、小楽からようやく淮陰の消息について、連絡を得た。
蒯通は、言った。
蒯通は、言った。
「大王。残念ながら、あなたには、追い求める夢が、ありません。そして、飽くこと無き欲望も、持ち合わせておられません。それが、あなたの器です。あなたは、ただの人としては、まことに結構なお方です。だが、悔やむべきかな。あなたは、いま斉王として、天下の三つの覇者の一角を占めてしまっている。あなたは、いざ項王と漢王に相対すれば、亡ぼされるばかりです。なぜならば―」
蒯通は、韓信にしなだれ掛かった。
「いずれも、巷間誰でも知る、俚諺(ことわざ)です。私は、それを譬えに引きたいと、存じます。」
蒯通は、言った。
韓信は、いまだ動かない。
焼け付くように、陽が高い。
両者は、しばし語らず、目と目で対峙した。
漢王城の中では、軍師の陳平が、事態の推移に困惑しきっていた。
怒りに燃える項王を、しかし漢王は突き転ばした。
漢王城内では、陳平が、ひとまず大事が去って、大きくため息を付いた。
つんざく怒声に支持されて、漢王は、項羽の罪状を、数え続けた。
城内から湧き上がる声は、いつまでも続くかのようであった。
広武山は、天下万人の注目の的となっていた。
韓信は、斉から動かなかった。
蒯通は、斉王の自邸に飛び込むや、直ちに王に面会を求めた。
不思議なことが、起った。
漢王は、聞いた。
候公は、続けた。
漢四年、九月。
漢王城に帰還した漢王は、彼の股肱たちに、揃って出迎えられた。
項王がこんなにも早く、漢軍の前に現れた理由―
ついに斉王韓信に向けて、漢王からの急使が走った。
韓信は、聞こうとしない。
斉王韓信は、漢への加勢を、決断した。
韓信が動いたという報せは、たちまちのうちに、諸国に伝わった。
漢王は、韓信の前で、膝を着いて願った。
項王は、この頃、率いる軍の糧食が尽きてしまったことを、知らされた。
漢の五年、十二月。
寒い冬の一日が、始まろうとしていた。
項王は、戦場で騅を駆けさせた。
垓下の城に、夜が来た。
更けて行く夜の空に、一つの楚歌が、響き渡った。
呂馬童は、聞いた。
夜半となって、垓下城の中で、にわかに火が灯った。
力ハ、山ヲ抜キ
気ハ、世ヲ蓋フ
時、利アラズ
騅、逝カズ
騅ノ逝カザル、奈何(いかん)スベキ?
虞ヤ!虞ヤ!若(なんじ)ヲ奈何セン?
宴は、終わった。
駆ける平原は、まぶしい朝の陽に、彩られていた。昨日の戦場にあった雲は、今朝はどこかに消え去っていた。
項王と彼の騎兵たちは、再び立ち上がった。
冷たい雨が、降り注いでいた。
追われ、討たれて、追い詰められた騎兵たちの、どこにこれほどの力が、残されていたのだろうか。
夜となり、視界が尽きたときが、包囲を脱出する機会であった。
こうして、項王の一行はついに、江水(長江)のほとりにたどり着いた。
こうして烏江の亭長は、項王の望みを容れて、騅を譲り受け、江東に戻ることとなった。
項王が気が付くと、そこは森の中であった。
全ては、終わった。
諸侯軍は、項王を討ち取った後、直ちに勝利の凱旋に移った。
第一章 開巻の章
第二章 伏龍の章
第三章 皇帝の章
第四章 動乱の章
終章~太平の章
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