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十九 最後の、戦へ―(2)

(カテゴリ:垓下の章

漢王城に帰還した漢王は、彼の股肱たちに、揃って出迎えられた。

夏候嬰。
周勃。
樊噲。
廬綰。
周昌。
これらは、沛での挙兵以来、漢王に従って来た、同郷人たちであった。
王陵は、漢王と同じ沛人であったが、後の時期になってから、漢王の勢いに乗って合流した。今や、かつての子分であった漢王に、忠実に仕えている。
酈商は、兄の酈生と共に、漢王が秦を倒す中途で、配下に加わった。
酈商の兄と、周昌の親族であった周苛は、漢王のこれまでの戦略の犠牲となり、倒れてしまった。漢王は、勝つために狡猾で、非情であり続けた。その成果あって、漢王はいまだに彼ら股肱を引き連れて、生き残っている。
漢王を迎えた股肱の輪の中には、だが曹参と灌嬰の両名がいない。彼らもまた沛以来の配下であったが、今は斉王韓信の指揮の下に入っていた。
漢王は、拝礼して迎えた彼らをじろりと一瞥して、口を開いた。
「総軍を、動員する。関中から、丞相がありったけの兵を、送り出して来るだろう。諸将は、関中からの兵を併せて、漢の総軍をもって、項籍を誅殺するべし、、、!」
命を受けた諸将の間に、緊張が走った。
夏候嬰は、聞いた。
「― 全て、予定の通りに。」
漢王は、うなずいた。
「項籍が、背中を向けて帰ろうとしている。そのうちに、全ての片を付けるのだ、諸君、、、!」
すでに、関中を守る丞相の蕭何には、最後の戦いのための動員が、命じられていた。
漢軍は、洛陽まで行って引き返し、不意を付いて、鴻溝の南方に兵を出す。
北からは、韓信、彭越。
南からは黥布と、漢王の一族の劉賈が進む。
漢王は、一挙に天下を平定する、心づもりであった。
張良子房と陳平の両軍師が、策を作った。
どうせ滅ぼすべき存在の項王ならば、今の機会に滅ぼさなければならない。
いま、彼の国は、しばらく立ち直れない程に、疲弊し尽くしている。
項王に付き従い、諸国に恐怖を撒き散らした江東の子弟は、消え去ってしまった。
天下の戦乱は、もう終えなければならない。ならば、終える機会は、今しかない。項王との和睦は、全て最後の戦のための、前段階であった。
漢王は、宣言した。
「死んでも、この機会に項籍を殺せ、、、分かったか!」
彼の声は、断固として響いた。
了解の返事が、挙がった。
諸将は、最後の戦に向けて、一応は前向きな返事を返した。
だが―
漢王は、受け取った返事の声色に、どことなく気合が入っていない様子を、感じ取った。
(怖がって、いやがる、、、、)
漢王は、思った。
(― 臆病者め!)
あの項王と面と向かって語り、胸に矢を受けて死の寸前まで行った彼には、配下の心中にあっていまだ離れない項王への恐怖が、苛立たしくてならなかった。
(そりゃあ、項王は恐ろしいさ。だが、俺はあいつに立ち向かって、論議して、あいつに勝った。俺と同じことが、なんでお前らにはできない、、、できない、、、?)
漢王は、そこまで思った後に、思う筋道を曲げた。
(― できないから、今だに俺に、付き従っているわけか。)
漢王は、ため息をついた。
彼の配下の諸将は、しょせん項王に敵うべくもない。
樊噲は強いが、力だけに過ぎない。
酈商はなかなかの名将であるが、項王とは比較にもならない。
夏候嬰は、あくまで漢王に忠実な、一凡人であった。凡人が、天才の項王と戦えるわけがない。
その他の者どもなどは、言うにも値しない。単に、漢王の周囲にいたから、出世しただけの連中であった。
巨大な不安を残しながらも、すでに最後の戦は、漢王の口から命じられた。
和睦の盟約を交した舌の根も乾かぬうちに、相手の背後を襲う。
漢王の真骨頂が現れたような、作戦であった。

最後の戦いが、発令された。
漢軍は、関中に戻る中途で、にわかに総軍をもって、引き返した。
漢軍は、韓の地を通り抜けて鴻溝の南に表れ、楚領の入り口に当る陳の土地に侵入した。
漢軍は、陳の近辺の固陵にまで、進んだ。
ここまでは、作戦の通りであった。
だが―!
漢軍は、直ちに項王の激怒に、襲われた。
固陵に、項王がやって来た。
もう漢王の裏切りなど予定のうちだと言わんばかりに、騅を走らせて突撃して来た。
「― 漢王、やはりお前は、そんな奴であったよ。は、は!」
漢軍に単騎で駆け込み、斬り散らす項王は、もはや笑っていた。
項王の勇姿に煽られた楚軍は、いまだに強かった。
漢軍は、項王を包囲することもできず、散り散りに散らされてしまった。
漢軍は敗れて、ほうほうの体で山中の塁壁に、駆け込んだ。
将兵の間に、彭城の戦での恐怖が、甦った。
最後となるはずの戦は、早くも挫ける寸前となった。
どうして、予定が狂ったのか。
なぜ、軍師の立てた作戦が、外れたのか。
「― 大王!」
漢王の陣営に、張良子房が、怒りに満ちた声で、駆け込んで来た。

          

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第二章 伏龍の章


           
第三章 皇帝の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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