一 帝のいない帝国(1)
中国は、一つの国であるには大きすぎる。
中国は、一つの国であるには大きすぎる。
義帝が、どうして項王にとって邪魔者なのか。
項王が義帝を亡き者にしたのは、彼らしいと言えば彼らしい明快な決断であった。
項王は、日々を楽しまなかった。
漢元年― 何度も言うようであるが、後世の歴史観から遡った暦であるが― 八月、漢王は兵を率いて漢中を抜け出した。
気が付いてみると、年内に塞王司馬欣と翟王董翳は漢に降っていた。
常山王張耳が、漢王の下に走って来た。
「田栄を、討つ!」
斉出兵の号令が、項王の軍に隅々まで伝えられた。
冬、項王は彭城を発して斉を討った。
戦の結果は、田栄にとって予想外であった。
呂馬童の不安は、正しかった。
夫の劉邦は漢王に昇り、その漢王の正后はといえば、阿雉すなわち呂雉。
「― 俺は、この身一つあればいいのさ。たとえ裸にされても、またすぐに富貴を取り戻すことができる。俺にとって富貴を掴むことなど、簡単にすぎる。」
亜父范増の前に現れた陳平は、重大な情報を持ち出した。
まず全土の諸侯に調略の手を回して、暴虐の王を丸裸にする。
戦で勝つためには、「勢」に乗ることが肝要であった。
漢王とて、これが項王を葬る一戦であることなど、半信半疑であったのかもしれない。
張良子房は、ここ数日もまたすこぶる体調が悪かった。
四月。
漢軍をはじめとした諸侯の連合軍五十六万が、ついに項王攻撃を開始した。
韓信は、馬を走らせていった。
諸侯の軍は、暴虐の項王を討つ義軍。
漢王は、いにしえの武王に倣う、仁義を尊ぶ盟主。
それが、今回の出師の宣伝文句であった。
深更に、月が出た。
虞美人は、漢王に言った。
項王と、漢王。
直前の頃、項王は確かに斉で孤立していた。
機械による動力が発明された以降の文明に住んでいる我々から見れば、目的地に最も早く移動する方法といえば、鉄道か自動車、あるいは飛行機を使うべきことが常識となっている。
賭博的な戦と、謗(そし)る者は謗るがよい。
彭城から南に向かえば、わずかに高地があった。
またも、項王の天才であった。
彭城の戦は、終わった。
漢王の一行は、果たして沛に向けて脱出していた。
彭城の項王のもとに、重要人物が送り届けられた。
漢王は、下邑に落ちのびて周呂候の兵と合流した。
韓信は、言った。
韓信は、言った。
第一章 開巻の章
第二章 伏龍の章
第三章 皇帝の章
第四章 動乱の章
終章~太平の章
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