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四 軍師も戻る

(カテゴリ:楚漢の章

常山王張耳が、漢王の下に走って来た。

張耳は、むかし漢王劉邦が素寒貧の時代に、魏に赴いて入門した任侠の親分であった。劉邦は、魏の大任侠であった信陵君に憧れ、それでかつて信陵君の食客であった張耳を慕い、わざわざ郷里の沛から魏に赴いた。劉邦が張耳のところに転がり込んだ頃には、張耳はすでに魏の名士であった。いっぽう劉邦は、一介の若い遊び人であった。両者の間には、持てる富も世間の地位も動かせる人脈までも、すべてに天と地との差があった。
年月が、流れた。
張耳は、項王に嘉されて常山王に昇った。世にも稀なる、出世であった。
いっぽう劉邦は、漢王に成り上がった。張耳よりも、出世の角度がさらに大きい。
互いに王となって肩を並べた後、再び風雲がやって来た。
漢王は、自ら挙兵して関中を奪い、進んで風雲を掻き乱す旗手となった。
いっぽうの張耳は、みじめなものであった。
彼のもとの盟友、陳餘に国を襲撃されて逐われた。
項王に冷遇されて三県の小領主にされた陳餘は、憎悪に燃えていた。
陳餘は、かつて秦軍を降伏させた功績が自分にはあると、思っていた。なのに、張耳は王となり、自分はわずか三県の領主であった。不公平で、あった。張耳とは、鉅鹿の籠城戦を巡って絶交した。全て悪いのは陳餘の方なのであるが、彼は自分の非を認めるような殊勝な性格ではなかった。もとの盟友が項王の下で優遇されたことが、陳餘にとっては目の玉から血を流すほどに憎らしかった。
憎悪が、彼に強大な活力を与えた。
田栄に配下の夏説(かえつ)を送り込んで、斉と組んで蜂起する作戦を説いた。
田栄は願ってもないことだと兵を与え、陳餘は手持ちの兵全てを投入して、常山王を急襲した。
常山王は、惨敗した。国を、取られてしまった。
寄る辺なき境遇となった張耳は、関中攻略を進める漢王のもとに身を寄せたのであった。
漢王の御前に、彼の客となった張耳が現れた。
「張兄!、、、きっと来ていただけると、思いました。」
漢王は、大喜びで張耳を迎え入れた。
「敗残の身を容れていただき、漢王にはまことにかたじけない。」
張耳はもはやすっかり老齢であったが、漢王の前で礼儀を崩すことはなかった。むかし魏の名士として周辺諸国にまで名の聞こえた男の面影は、老いてもまだ消えず残っていた。
漢王は、張耳に言った。
「張兄は、常山王です。つまり、漢王の寡人(それがし)と対等。対等の礼をもって、張兄をお迎えさせていただきます。」
張耳は、拝礼して感謝した。
もはや、かつての親分と舎弟の関係は、逆転してしまった。恩を与えて厚遇する漢王の、勝ちであった。なごやかに応対する二人の間には、そういった人間関係の勝負のあやが、密かに隠れていた。だが張耳が内心どう思っていたかは、外からは読み取ることができない。
漢王は、張耳と対等の礼で語り合った。
張耳は、漢王に言った。
「― 陳餘に、してやられました。奴は代王に移されていた歇(あつ)を呼び戻して、再び趙王の位に就けました。そして自分は彼の庇護者となって、代王の位を受け取ったのです。」
漢王は、不思議に思った。
「寡人も陳餘のことはよく知っておりますが、、、あの男は、偽君子でしょう?偽君子のくせに、ずいぶん手際がよいですな。」
張耳は、漢王の毒舌に苦笑した。
彼は、言った。
「偽君子でも、下に人材がいれば仕事ができます。奴の配下には、どういうわけか有能な人物が多い。普段は己の自負心が強すぎて、奴はそれらの才を使いこなせていませんでした。だが今回は、違ったようでした。夏説を弁士として斉に送り込み、李左車という兵法者を抜擢して将軍に就け、そして趙王を篭絡する絵を描いたのが、謀士の蒯通です。奴の今回の手際の良さは、きっと怒りのためになりふり構わず配下を走るがままに走らせた結果というべきでしょう。」
漢王は、言った。
「じゃあ、怒りが解けたなら奴は怖くありませんな。さっさと解いて、しまいしょう。」
だが張耳は、真剣な顔で言った。
「、、、この私を殺さなければ、奴は気が済まないでしょう。」
漢王は、まずい事を言ったかと、頭を掻いた。
「― 張兄を殺すなど、寡人のすることではございませんよ、、、!」
漢王は、真剣に否定した。
張耳は、彼の真剣な否定を謝した。
こうして、張耳も漢王の旗の下に集うこととなった。
河南王申陽も、漢に降った。
韓には、もと呉の県令であった鄭昌という者が、項王によって送り込まれていた。彼は韓王に立てられて漢王に備えることを命じられたのであるが、漢軍が討った。韓は、たちまちに平らげられた。ついに、漢王の版図は関東にまであふれ出た。
漢は、平定した韓の土地に韓王家の一族の大尉信という者を王に据えた。彼はもと張良子房の下で韓の将軍の職にあった者であったが、漢王が漢中に入るときに、漢王に付き従った。おそらく、張良が遺していったのであろう。その大尉信が、韓の王族として韓王とされた。(この韓王も、『史記』では韓信と呼ばれている。それで、わが大将軍の韓信と混同されて、紛らわしい。)
韓は実質の上では、漢の領土であった。しかし今あえて王を置いたのは、漢が関東の併合を企てているわけではないという、素振りを見せるためであった。
この策を出した者が、すでに漢王のところに戻っていた。
「子房、、、無理をしてはならん。もっと、養生に努めよ。」
漢王は、彼のもとに舞い戻ってきた張良子房が、病で衰弱しているのを見て心を痛めた。
張良は、言った。
「命を永らえるために、休まざるをえない時もあることをお許しください。ですが、本日はまだ調子が上向きです。ご心配、なく、、、」
漢王には、張良の調子が上向きのようには、とても見えなかった。
張良は、苦しみを払い退けて、漢王に言った。
「― 北と西で兵が挙がって、項王の陣営はどちらから攻めるべきか、迷っています。今、これを一押しして、項王を北に向かわせるのです。北の戦線で項王は勝つでしょうが、広大な戦場ゆえにすぐには勝てません。大王は、項王が北にいる間に、諸侯を束ねて西楚の本領を奪ってしまうのです。そのために必要なことは、まず第一に諸侯に漢が秦のごとく戦後に国を廃するわけではないことを、示すこと。これが、韓王を置いた理由です。そして第二に、項王の陣営を油断させる、こと―」
張良はそう言った後、激しく咳き込んだ。
いたわる漢王の気遣いを無用として、張良は続けた。
「― 油断させるために、項王に書を送りましょう。『漢王が不満であったのは、関中の王となるべきかつての約束が守られなかったことです。ゆえに、漢王は関中さえ得られれば満足です。東進は、いたしません』と、、、」
漢王は、不審がった。
「それで、信じて北に向かうだろうか?」
張良は、答えた。
「迷っている者には、一押しでよいのです。一押しで、人間は希望的観測を膨らませて一方を選択します。ましてや、項王は内心大王を嫌っていない。これは、確実なことです。必ず、項王は北に兵を進めます。進めたならば、勝負を一挙に付けなければなりません、、、これから、大将軍と協議して来ます、、、」
そう言って、張良は立ち上がろうとしたが、足がふらついて倒れた。
漢王は、彼を支えた。
真に無心である彼には、漢王は疑心を持たなかった。地位が上がってますます窮屈になって来た漢王にとって、張子房が戻って来たことは軍師の智恵以上に有り難かった。

          

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第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
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第十章 垓下の章



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