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十八 戦は続く(3)

(カテゴリ:楚漢の章

韓信は、言った。

「彼が、私の力となった。彼は、かつての工匠の秘密につながる者であった。」
小楽の後ろに、いつの間にか一人の男が座っていた。
小楽は、ぎょっとして振り向いた。
男は、彼にうなずいて言った。
「鄧陵子と、申します。もっとも、仮名ですがね。本当の姓氏は、棄てました。」
小楽は、この人物のことを知らなかった。
韓信は、言った。
「― 以前、私が命を助けた者だ。」
韓信は、それ以上彼の素性について、小楽に明かさなかった。
韓信は、かつて新安の大虐殺の現場で、項王に殺されようとしていた一団の秦兵を、密かに逃したことがあった。男は、その秦兵の引率をしていた軍吏であった。今、彼は再び韓信のもとに現れて、彼のために働こうとしていた。
小楽は、もと項軍の一員であった。新安の虐殺の現場にも、居合わせていた。だが男は、戦の中で起こった悲惨については、既往を問わぬ掟に生きていた。男の属していた集団にとって、戦は憎むべきものであった。しかし、戦をする人間については憎まず愛さなくてはならないということが、彼らの信仰告白であった。それで、小楽が項軍の一人であったことについても、すでに戦から手を引いた以上は咎めることもしなかった。彼を咎めず、むしろ彼がこれから自分と他人の命を大切にして生きていくことを望んだゆえに、過去の悲惨については決して語らなかった。
韓信は、言った。
「鄧陵子は、項王のような鑒(みなごろし)の戦を嫌う。死傷者を最少にするべく配慮した戦でなくては、協力できないと言う。私の理想と、一致している。」
鄧陵子は、笑って返した。
「もっとも、私のその思想ですら、他の鉅子(きょし)たちからは戦を好んでいるとして非難されました。私は、和平をもたらすためには戦も致し方ない場合があり、そして戦が避けられないのならば、それをできるだけ血を流さぬように仕組むべきであるという思想に到ったのです。それで、私は教団から袂を分かちました―」
彼が袂を分かった教団とは、墨家であった。
墨家は、非戦兼愛の理想を唱えて、戦国時代を通じて各国に進出しては防衛の技術を提供して回った。彼らは教団でありながら技術者集団であり、その築城・土木・機械製作の技術は中国はおろか当時の世界水準でも突出していた。だが、彼らはその技術を決して外部に伝えることはなかった。彼らの技術が、諸侯にとって征服戦争に悪用されることを憂えたためであった。それで、墨家教団の内情について、外部の人間はほとんど知るところがなかった。
戦国末期、始皇帝は圧倒的な武力を用いて、諸国を次々に亡ぼしていった。
墨家教団の内部では、始皇帝の暴力的征服を阻止するべきだという意見が、多数であった。
しかし鄧陵子は、天下を平定するであろう秦を助けるべきであると、主張した。
― 手段がいかに暴虐卑劣であれ、天下の平定は我らが待ち望んでいたことではないか。始皇帝の性は邪悪であっても、彼が統一すれば中国から戦はなくなる。彼の統一に、進んで協力するべきではないか?
彼の意見は、他の者の容れるところとはならなかった。墨家の徒は、開祖の子墨子から二百有余年の間、兼ねて愛しあうという理想によってのみ地上に平和が訪れるだろうと固く信じていた。なのに、現実は彼らの兼愛の理想ではなく、圧倒的に兇悪な武力が諸国から戦を取り除こうとしていた。その現実は、彼ら信徒の良心にとって、とても耐えるところではなかった。
鄧陵子は、少数の同調者と共に教団から離れた。空虚な理想よりも、現実の平和を始皇帝の統一に望んだ。以降彼は、秦のために働き、秦のために城を造り、土を掘り、水を引いた。
だが、始皇帝は国内を統一すると今度は外征を始め、内には次々に宮殿馳道を企画して民を徴発していった。統一は、決して平和をもたらさなかった。鄧陵子は裏切られた思いに捉われながら、戻ることもできずに秦に仕え続けた。
始皇帝が倒れた後、速やかに反乱が広がった。彼は、秦の防衛のために働かざるをえなかった。いったん統一を支持した以上は、今度は統一を破る反乱軍を払いのけなければ、それは思想の矛盾であった。しかし、反乱軍は勝った。項王が、秦軍を完膚無きまでに叩きのめした。秦は亡び、天下はまたも乱れるようになった。
鄧陵子は、秦に投じていた仲間と共に死すべきであったのを、たまたま韓信に救われた。その後の彼は、やがて漢の大将軍に昇った韓信の戦い方を観察した。そして鄧陵子は、確信した。
― 彼こそは、暴虐の項王を暴虐ならざる戦で倒すことができる、知兵の名将だ。
秦敗れて道を見失った鄧陵子は、今度こそこの戦乱を鎮めるべき人に手を貸すべきだと思った。それで彼は、彭城で敗れて漢王のもとに戻っていく韓信のもとに、姿を現したのであった。
韓信に問われて、鄧陵子は人工の沼沢の秘密を教えた。それは、かつての墨家教団が為した仕事の一つであった。
遠くから水を引く技術とは、このようなものであった。
高い土地にある水源から、水道を引く。その水道を、山を越して低い土地まで通す。
そのままでは水は流れないが、水道の中の空気を抜き取ると、やがて低い土地に開いた出口から水があふれ出る。いったん水が通れば、水道は水源からどんどん水を吸い取って、低い土地を水で満たすのである。
この仕掛けを、サイフォンという。古代に発見された、不思議な原理であった。だがサイフォンは、管に再び空気を入れただけで流れは止まってしまう。かつての工匠たちは、水道に空気を入れて去ったのであった。鄧陵子は、仲間と共にもう一度水道の空気を抜き取ればよかった。たちまちに、沼沢は息を吹き返したのである。
「あそこは一見草原に見えたが、かつての沼沢の底だったのですよ。水を注ぎ入れれば、地面はゆるみ深い沼が現れたというわけです。もとより、敵を防ぐための仕掛けでしたからね。」
鄧陵子が説明した知識は、小楽の常識を越えていた。これが、墨家の技術力であった。
韓信は、小楽に言った。
「小楽。今後のお前は、郷里で農を営むなり、あるいは商人にでも官吏にでもなるがよい。だが、せっかく持っている頭を、よく使うことを心掛けろ。お前がしばらく私のそばにいて、それでお前の役にどれだけ立つかは、分からない。だが、万事には理(ことわり)がある。理に逆らえば、万物も、世の人ですらも、自分に逆らってしまうのだ。理を知って、その理を指針として生きることを学ぶがよい。私ごときの兵法を習ってお前が得ることができるのは、それだけだ。」
そう言って、韓信は莞爾(にこり)とした。
後ろの鄧陵子も、笑ってうなずいた。

― 第七章 楚漢の章・完

          

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第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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