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七 烈夫に烈婦(1)

(カテゴリ:楚漢の章

呂馬童の不安は、正しかった。

漢王は、関中で春からの蠢動を着々と準備していた。
彼は、冬の間小動きに徹した。
関中から出ては民を慰労して戻り、諸侯と結んで地固めをしながら、いまだ項王討伐の号令を出さずにいた。
自領においては、まず関中のあちこちに置かれていた秦の苑囿(えんゆう)・園池(えんち)を開け放った。
広大な猟場を占有し、珍かな禽獣を放し飼うことは、戦国時代の王たちが殊に好んだことであった。王たちは、山川の景勝を自分だけのものとなして、民が侵入すると死罪をもって報いた。最大最強の王である秦の帝室が保有する土地は、当然どの諸侯よりも広大であった。
だが漢王は、戦国の王たちの誇大妄想的な趣味を、わずかも共有していなかった。
彼は、沛の庶民時代から感じていたことを、王として命令した。
「― 土地を、百姓に放て。一番良い土地に、どうして手を付けないのか?」
彼は命じて、田畑が戦乱で荒らされた城邑の民が自由に入って耕すことを許した。多くの百姓が、喜んで移って来た。連作で疲れていない苑囿・園池の土は、ただ鋤を打ち込むだけで夏には豊富な収穫が確実に期待できた。
咸陽の近郊には、かつて胡亥が整備した広大な苑囿があった。
今、そこの木はあちこちで切り倒され、冬を過ごす薪の束に変わっていた。薪にならぬ低木は、麦黍を蒔く焼畑とするために、梢も残さず焼かれた。何百本もの煙が、野から立ち上がっていた。
漢王は、かつての苑囿を眺めながら、言った。
「百姓の手は、恐るべきだ。春までに、ここは全て田畑になってしまうに違いない、、、俺は、今になってやっと分かったよ。王たちが、どうして死罪をもってまで百姓から森や水流を守ろうとしたのか。」
民から見れば怨嗟の的でしかない王の占有も、富国のための政策の面がまたあったのである。百姓に自由に土地を耕作させたならば、木々も水系も一代のうちに壊れてしまうだろう。漢王は、民の力の恐るべきを上から眺めて知った。
「― 非常の時です。今は、致し方ありません。」
漢王の横には、丞相の蕭何がいた。丞相は、関中の平定がほぼ成ったのに応じて、漢中から移って来た。今の彼は、秦の制度を復旧して能率的な国の制度を整えるために、官場で大忙しであった。
彼は、漢王に言った。
「長期の戦には、食が何よりも重要となります。関中だけで兵馬の糧秣を確保できれば、民を掠める必要もなくなります。たとえ戦が続いても、民が最低でも生き続けられるように備えておかなくては、なりません。」
丞相は、王に深く拝礼した。
漢王は、聞いた。
「丞相、、、お前は、この戦がすぐには終わらないと考えるか?」
丞相は、答えた。
「臣には、戦のことは分かりかねます。大将軍と軍師の智謀を、信じたいと思います。ですが、百官を統べる立場にある臣は、常に最悪のことに思いを馳せてしまいます。政治とか戦とかいうものは、芝居のように一幕の間で片が付かない例が、あまりにも多いと存じますので、、、」
漢王は、彼らしい冷静さに笑った。
冬から春にかけての漢王は、まさに芝居がかった段取りで日程が組まれていた。
天下を革(あらた)めることを万人に示すための、込み入った芝居であった。
まず、正月に大赦が行なわれた。
二月、秦の社稷が取り除けられた。社稷とは、氏族が祀る宗廟とは別に、国のために建てられた神殿であった。宗廟が氏族の血の続く限り祀り続けられるのに対して、社稷は国が続く間だけ祀り続けられる。社稷の祭祀は、天命を受けた権力のしるしであった。この秦の社稷を、漢王は荘厳な儀式をもって、廃止した。社稷を廃したことによって、秦は天命を終えたと解釈するのである。代わりに建てられたのが、漢の社稷であった。ここに、漢が秦の天命を継いだことが、内外に示された。
漢王は、すでに楚の義帝が弑逆されたことを知っていた。だが、今はまだ知らぬふりをしていた。これにも、芝居が用意されていた。義帝の死を、東伐の名目として効果的に使うのである。
「― 俺は洛陽に入るが、本当は関中の王で満足なのだと進もうとしない。そこに、父老の一行が現れて俺に義帝の死の真相を告げる。義帝が弑逆されたことを聞いて、俺は怒りと哀しみのあまりに、泣き叫ぶ。義帝のために喪を発し、衆の前で必ずや讐(あだ)を討つ誓いを立てる、、、俺はやむにやまれず義兵を挙げて、暴虐の項王を討伐するために東に向かうのか、、、へ!へ!へ!、、、彭城の芝居小屋なら、こんな猿芝居は三日で客が来なくなるぞ。」
苦笑したのは、主役の漢王であった。
彼は、櫟陽(やくよう)の仮の宮殿に移っていた。咸陽は項王によって破壊されてしまったので、漢は関中で咸陽に次いで大きいこの城市を、政治の拠点としていた。櫟陽は関中の東方にあって、関東への出撃にも便利であった。
漢王の前には、筋立てを書いた張良子房がいた。
相変わらず苦しさが全身からにじみ出ていたが、彼は次第に苦しみと付き合い始めるようになった。彼の表情は、苦痛の只中で平衡を保ち、すでに澄んだ境地に入ろうとしていた。
張良は、言った。
「つまらぬ芝居で、よいのです。政治なのですから。洛陽から、全国の諸侯に号令を発します。反項王の旗手となって、大王は楚を攻め取るのです。周の武王も、そのようにして殷の紂王を討ち取りました。昔ながらの義軍の仕草を、おろそかに見てはなりません。人の琴線に触れる筋立てだから、後世にまで語り継がれているのです。」
漢王は、これから武王の物真似をしようとしているのであった。
漢王は、言った。
「つまり、あの子は紂王か。」
張良は、答えた。
「その、通りです。」
漢王は、言った。
「― それは、可愛そうだ。」
張良は、答えた。
「生かす術など、ございません。それは、お分かりでしょう?」
漢王は、言った。
「― 勝てるのか。」
張良は、答えた。
「項王は、倒さなければならないのです。今ほど倒せる条件が揃っている時は、ありません。諸侯はことごとく背を向け、友軍のはずの九江王ですら離反の兆しがあります。項王ははるか北の斉で、田横に足を取られて方向を失っています。今、倒せる絶好の機会があるのに倒さなければ、、、この国の苦痛は、ますます、ますます、延びるばかりです―」
張良は、ついにたまらず横を向いて咳き込んだ。
漢王は、ぽつりと言った。
「子房― お前も、自分の苦痛を早く終わらせたいと、思ってはいないか?」
張良は、震える目を漢王に向けた。
漢王は、言った。
「俺は、お前にも死んで欲しくないし、本当はあの子にも死んで欲しくない。それが、俺の偽らざる本音だよ、、、、ははは。困った、困った。」
漢王は、張良に下がって休むように言った。
「― 情けは無用ですよ、、、大王。」
張良は、そう言い残して下がった。
張良が下がった後で、漢王は思った。
「うまく、行き過ぎだな、、、たぶん。」
いくら自分が幸運でも、この数ヶ月は出来過ぎであった。こういう時には、何か影が差すことが起るものであった。
奥から、王の身辺を世話する郎の役職にある少年が現れた。
「― 籍。何かあったか?」
いかにも愛らしい少年の名は、籍であった。彼の宿敵と、同じ名であった。偶然にすぎないが、彼の名が漢王の目に止まったきっかけとなったのは、確かであった。宿敵の名を持った少年に愛着を持ったのは、漢王の隠れた心持ちの微妙な表れかもしれなかった。
漢王は、籍のころころとした声で取り次がれるのが、好きであった。
「― で、ございます。」
籍が、耳打ちした。
しかし、耳打ちされた漢王は、顔を引きつらせた。
「阿雉!、、、阿雉が、やって来ただとお?」

          

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第二章 伏龍の章


           
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第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


           
第十章 垓下の章



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