騅の背に乗って、項王と虞美人は、語り合った。
「最近、私は、人が許せるようになったのかもしれない。」
項王の言葉に、虞美人は答えた。
「成長したんだよ。あなたも、私も。」
項王は、微笑んだ。
「怒るばかりでは、自分を傷付けるだけだ。これまでの私は、誰に対しても怒り、私に付いて来れない誰をも、軽蔑していた。だが、それは違う。今の私は、本当に私が怒るべき相手を、はっきりと捉えたような気がするのだ。」
項王は笑いをやめて、表情を厳しくした。
虞美人は、言った。
「もっと早く、気付くべきだったかも、知れないね。あなたも、この私も、、、」
だが、もう言っても詮無きことであった。
虞美人は、言葉を断ち切って、馬の背に揺られるままに、項王に身を寄せた。
項王は、騅を歩ませて塁壁を経巡りながら、対岸に立つ漢王城を、目を凝らして眺め続けた。
籠城戦が続く、ある日のこと。
項王のもとに、対岸から書状が届いた。
― 楚軍の勇猛は、つとに天下の知るところなり。しかし、今楚漢両軍は塁壁の奥に籠って、戦う機会とて無し。我が漢軍は、すでに勇猛においても楚を上回っていることを、この際お見せしたい。請う。楚より選良の騎士を引き出して、両軍の騎士により、果し合いを為さん。さぞや無為なる籠城の戦の、一興となること間違い無からん。場所は、鴻溝の河岸、両軍の城から一望できる地点にて。
項王の前に、一団の若者たちが、膝を屈していた。
「大王!― この挑戦、我らに受けさせてください!」
若者たちの先頭にいて、項王に望んだのは、彼のいとこの項荘であった。
項荘の後ろにいたのは、最後に残った、江東の子弟たちであった。
数は、もう三十人ほどしか、残っていなかった。
いずれも、項王に従って騎馬を学び、戦場を駆け抜けて来た者どもであった。
だが呂馬童を始め、彼らの仲間たちは、皆いなくなってしまった。かつて項王を主として崇めて呉中の城市から立ち上がった八千人の若者たちは、ついにここまで數を減らしてしまった。
項荘は、怒りに歯を軋(きし)らせて、言った。
「我らを侮辱するか、漢王。奴の鼻を、明かしてやりたい。絶対に、絶対に!」
後ろの若者たちも、心は同じであった。
漢軍にここまで追い詰められてしまったが、いざ馬に跨(またが)り敵と相争えば、彼らは漢兵ごときに敗れるはずはなかった。
それが、項王と共に天下を震え上がらせた、彼らの強烈な自負であった。
「大王!」
迫る彼らを、どうして項王が拒むことが、できるだろうか。
項王は、言った。
「我らは、漢軍に決して負けない―」
彼は、項荘たちに、うなずいた。
若き騎士たちは、彼らの誇りである若き大王に、一斉にうなずいて返した。
こうして項王は漢からの挑戦に応じて、一時の騎馬戦が開かれることとなった。
そして対戦の日が、やって来た。
時刻は、正午。
雲一つない、空の下。
二つの箱を並べたようにそびえる、漢王と覇王の城。
その合間を縫って、鴻溝の運河が、拓かれていた。
漢王城の城門から、一騎が駆け下りてきた。
覇王城の城門からも、一騎が駆け下りた。
楚軍から進み出たのは、江東の子弟の一人。かつては農民の子であったが、騎馬を操って項王と共に戦場にあり、今や項軍の猛士であった。
項軍の騎兵は、山上の難路を易々と駆け下り、河岸に進み出て行った。
対岸の向こうから、漢の騎兵がやって来た。
運河の真中には、今日のために船橋が掛けられていた。どちらの兵から仕掛けて、間合いを詰めてもよい。
漢軍の騎兵が、先手を取って橋を渡った。
項軍の騎兵は、手綱を取って突撃の構えをした。
漢兵が渡り終えた瞬間、項軍兵が一挙に突進した。
片手に愛用の湾刀を握り締めて、一直線に進む。諸侯の歩卒どもなどは、彼一騎が敵軍に突撃して突き裂けば、たちまちに恐慌して隊列を崩し去ったものだ。漢兵は、恐れて怯んだか、馬を浮き足立たせた。
突撃を受ける前に、馬首を返して橋を渡り戻って行った。
「逃がさん!」
項軍の騎兵は、彼の後を追った。
彼は、橋を渡った。
背中を向けて逃げる漢の騎兵を追って、馬をさらに速く、駆けさせた。
「行き着く先は、行き止まりだ、、、所詮は、漢兵だ。追い詰めたぞ!」
項軍の騎兵の口元に、嘲笑が起った。
その、次の瞬間。
漢兵は、馬を駆けさせたまま、突然後ろを向いた。
手に持った小さな弓で、素早く矢を後ろに射込んだ。
見物していた両軍の兵たちが、一斉にあっと息を飲んだ。
追いかけていた項軍の騎兵は、額を打ち抜かれて、どうと馬から転げ落ちた。
一瞬の、出来事であった。
項軍の騎兵は、漢軍の騎兵に、射られて敗れた。
勝敗が明らかとなって、漢王城の者どもが、一挙に沸き立った。
彼らは、大いに囃し立てた。
「ぶわぁかめ!胡(えびす)の兵に、楚兵が騎馬戦で、敵うものか。」
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