人間のジャングル。互に酒を酌み交わすときだけは、いとも睦ましげに振舞っても、一旦自分に不利と見て取ると、いとも無関心な他人になってしまう世界-、仁哲はその魅力にひきずられてここの常連になったのかもしれないと自分で思った。(pp320)
わが早稲田大学英文科出身の作家、黄順元(ファン・スンウォン)の長編、『日月』を読了。例によって、冬樹社『現代韓国文学選集』の訳を読んだ。
本作の基本テーマは、白丁(ペッチョン)と呼ばれる被差別階級を出自に持つ主人公の、周囲に起こるドラマである。
白丁とは、李朝において牛の屠殺解体を生業とした集団であり、わが国の「えた」階級との類似がしばしば指摘される。
韓国人は日本人と違って牛肉を常食する習慣があるために、牛の解体という職業の需要は、日本よりずっと多かったと推測される。しかし、本小説でも結局その出自や分布状況がはっきり示されていないように、歴史的な実態は、今となってはよく分からない。わが「えた」階級に比べて、どれほど社会内での差別が深刻なものであったのかも、外国人である私には、よくわからない。
しかし、この物語において、主人公の仁哲の一族が実は白丁であったというテーマは、物語全体においてあくまでも寿司ネタの一つにすぎない。島崎の『破戒』のごとく、このテーマを中心にどすんと据えて重々しく展開するような、迫力を持たせた書き方ではない。むしろ、作者が英文学専攻であったところからも嗅ぎ取れるように、イギリス小説の淡々とした人情劇の積み重ねが、この小説のメインなる味わいといえよう。
結局、主人公の仁哲が、多恵と美奈のフタマタかけたうらやましい奴で、うらやましい境遇のくせに、知らなくてもいい自分の父親の出自を見つけて悩み、結局美奈が自分の祖先を許して、ハッピーエンドとなる。物語全体として、悲しみは最後に用意されているが、深刻さはない。これが白丁という存在が韓国ですでに忘れ去られた存在となった歴史の反映と見なすべきなのか、それともこの物語の中だけの理想的状況なのかどうかは、外国人である私にはよく分からない。
この物語の登場人物は、じつによく酒を飲む。
「馴染みの店らしいな」
起竜が店の中を見まわすでもなくそう言った。
「そう見えますか?」
「路地に入ったときから体じゅうがここの雰囲気に溶けこんでいたよ」
仁哲は笑った。(pp384)
この書き手は、酒を知っているな、というところがわかるくだりに、ちょっとニヤリとさせられる。
仁哲といとこの起竜がサシで飲むシーンで繰り返し出てくる、やかんの中の酒は、きっとマッコリであろう。そして、仁哲や美奈、それに芸術家仲間たちが集まる居酒屋で饒舌な会話中に飲まれるのは、薬酒(ヤッチュ)だ。美味そうだな、と喉を鳴らしてしまう。
「ところで、あんたの顔色、前より良くないな。無理して酒飲むことないんじゃないかな。酒に頼るってのは一番拙いやり方だよ。もちろん酒の方でもそれを受け付けてくれないしね。」
起竜は近ごろの仁哲の心境を見抜いているような口ぶりだった。(pp383)
この物語も、キリスト教が出てくる。韓国の作家にとって、キリスト教はマッコリか薬酒のように、なくてはならない道具なのだろう。しかし、信仰について、大して掘り下げてはいない。まあ、これで終わらせた方が、アジア人としては無難だろう。取り上げたテーマに比して重さはない小説であるが、結構楽しく読むことができた。