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跡田直澄『NPOの経済学』を読む(3)

(カテゴリ:東北アジア研究
仮に企業や篤志家にとって、寄付を出しやすい制度があれば、寄付市場は育つはずである。ここでいう制度とは、国の政策の一環を指す。 日本社会において、寄付を出しやすい制度を作るのは国の仕事であって、NPO業界の力がそこを動かしていくまでにはまだ至っていない。何せ日本人は、過去において一度たりとも真の意味で民主的な手段によって自らの制度を獲得した経験がない。(pp.202)

本書が出版されたのは、奥付によると、2005年9月30日。
まだ、小泉幻想が、日本国内に蔓延していた時期であった。
それから、三年半経った。
残念ながら、日本の政治は、もうだめだ。
自民党と制服組が仕組んだテポドン偽騒動に、国民は見事に踊らされてしまった。
そして、これも自民党がハメたことが明らかな小沢氏秘書逮捕騒動に、国民は乗せられて知事選で民主党を負かしてしまった。小沢を取り除いた後の民主党は、自民党にとって怖くない。これから自民党は、国民に対外的危機感をあおりたてて、有事の政党として自らをアッピールする戦略を立てるに違いない。腐った政党の自己保存作戦に、国民はずるずると引きずられている。もう、政治に未来はない。

韓国で会って、日本で再開する予定であったのが、残念ながら来日することができなかった一人物が、私に対して言った。

「日本は、これから十年の間に、レボリューションを起こさなければならない。起こさなければ、沈没するよ。」

まさに、その通りだ。
だが、永田町は、レボリューションの拠点となり損なっている。
2009年のいま、国民は政治に期待して、活動してはならない。
絶望から始めたほうが、後でひどい目算違いを味わわずに済む。残念ながら、それが2009年の現状だ。

よって、政府に寄付市場を作ってもらうなどと、期待してはならない。
腰抜けの日本大企業に、何ができるものか。
少なくとも私は、聖書か論語を読んでいない経営者を、信用できない。MBAの学位を持とうが、企業組織の表も裏も知っていようが、これらの倫理書を心に留めていない輩は、志としてムラの倫理を抜け出して、公について義務を果たす感覚を、持ち合わせているべくもない。

また、政府が民活を進めてPFI(Public Finance Initiative)の範囲を革命的に拡充し、篤志の民間団体に活動資金を下ろしてくれるとかの期待を、持ってはならない。今の役所を、自民党政府が、解体できるものか。

むしろ政府から逃げて、政府の裏をかき、政府を公然とだます戦略が、我々には必要だ。



奈良まちづくりセンター(NMC)は、現在の日本のNPO業界の中でも着々と活動を拡充させている最も活動的なNPOの一つである。(pp.222)

このように、本書で明るい事例として称えられているNMCは、現在も活動中である。
私は、NMCのホムペを、googleで検索して、年度事業報告書を読んだ。
ひとことで言って、停滞している。
たぶん、このままではこのNPOに未来はない。
「笛吹けど踊らず」で、企画したイベントに対する、市民の食い付きが悪い。
私は、NPOの活動などを見て、いつも思うのだ。
「企画して市民を集めたはいいが、この人たちは十年後に、こんなことを覚えていてくれるのだろうか?」
NPOが公益のために、公共の場を改善するためのミッションであるならば、市民の心になんにも残らないイベントや企画をいくら立ち上げたって、真夏の線香花火ではないか。
何か重要なものが、足りない。
各事業を貫く、強靭なコンセプトが足りないように、見えてならない。

目的とすべきミッションには、猛毒が含まれているべきではないか。
たとえ、具体的な活動が、明るいものであったとしても。
だから、日本の宗教法人は成功し、日本のNPOは失敗する。
宗教をやれとは言わないが、ミッションのための主要敵を想定して、それを正すことを究極の目的としたほうが、会員のインセンティブとして、よいのではなかろうか。
このNMCは、奈良をどうしたいのか。
奈良の何に、不満なのか。
魯鈍なくせに口を出す行政や、目先の営利しか見ようとしない企業や商店街組合は、敵ではないのか。だったら、どうして戦わないのか。愛を持つことと、馴れ合いは違う。日本社会のぬるま湯が、NPOから戦闘力を失わせているのでは、なかろうか?

本著作は、NPOに対して、企業たれ、ビジネスたれ、と呼びかけている。
ならば、戦えと、呼びかけるべきであった。
戦って、日本政府を滅ぼせ。大企業を、滅ぼせ。
滅ぼす希望は、NPOにしかない。
言い過ぎで、あろうか?

コメント (2)

ははあ、そういう結論に達しましたか。
少なくとも現時点では、君の意見に全面的に賛同するというわけにはいかない(行政との協働とかにも関わってきたので)けれども、先日立ち上げたばかりの任意団体の棟梁として戴くには充分すぎるほどの戦闘性を備えておられるようなので、その点を非常に尊重いたします。

SuzumotoJin:

個人的にもらったメールであるが、NPOのごとき活動には猛毒が必要であるという私の意見に、君は賛同してくれた。

現在のウィンドウ型コンピューターのコンセプトを作ったアラン・ケイは、人間世界の革命を目指す、思想家だった。
NPO先進国であるアメリカという国そのものが、世界中の被迫害者に理想の避難所を作るというミッションを帯びた、NPO団体とみなしても、あながちまちがいではない。
自然なムラの感覚では、どうしても現状維持になる。
我々には、この言葉が必要なのだ。

「変わらないことを維持するために、人は変わらなければならないのだ。」

たしか林望のエッセイにあったイギリスの言葉だったと思うが、今は典拠を探し出せなかった。

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