中国歴史小説「知兵之将」

今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。

内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。

始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、

これらの名前にピンと来た方、あるいは、

郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、

こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、

よろしければ読んでやってください。

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秋 アーカイブ

二人のための鴨川 - 四条鴨川 --->2006年08月20日

九月 - 円山公園 --->2006年09月09日

草かんむりに、秋 - 梨木神社 --->2006年09月15日

人馬往来 - 粟田口付近 --->2006年09月21日

彼岸過ぎて - 東大谷 --->2006年09月27日

秋の蓮 - 大行寺 --->2006年09月29日

陽だまりの坂の下 - 粟田 --->2006年09月30日

水に秋こそ - 白川 --->2006年10月03日

秋の夜通し祭り - 八坂塔 --->2006年10月07日

都の秋祭り - 粟田神社 --->2006年10月08日

破(や)れ壁の萩 - 迎称寺 --->2006年10月14日

柿の実 - 白川橋 --->2006年10月21日

盆休み?、、じゃないな - 京都御所(時代祭) --->2006年10月22日

菊月 - 仲源寺 --->2006年11月05日

残り菊 - 高台寺前 --->2006年11月16日

闇夜に架ける橋 - 青蓮院 --->2006年11月17日



2006年08月20日

二人のための鴨川 - 四条鴨川

夏も終わろうとしている四条鴨川で、盛んにエサをつついている二羽の鴨。

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2006年09月09日

九月 - 円山公園

円山公園から見た、九月の東山。まだ紅葉には遠い。季節が変わったことを告げるものは、地上を見たときにそちこちに見える、エノコログサやイヌタデの雑草ばかり。夏の間中しぶとく咲き続けたサルスベリの花も、もうすぐ店じまいだ。

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2006年09月15日

草かんむりに、秋 - 梨木神社

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東山の石塀小路を歩いていると、塀越しから萩(はぎ)の枝がちょいと垂らされていた。そうか、今は萩の季節なのだな。蕪村句集にいわく、

黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺(明和五・七・二〇)



いにしえの時代には至るところで見られた萩も、元来が華やかさに欠ける花であるからか、今や観賞用としてもぱっとせずに片隅に追いやられてしまっている。雨続きの九月の間に空いた晴れ間の日に、御所の東隣りにある萩の名所の梨木神社(なしのきじんじゃ)に行った。


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2006年09月21日

人馬往来 - 粟田口付近

彼岸ごろの午後は、まだまだつるべ落としのように急いで暮れるまではいかずに、傾く西日が長く続く。ザクロの木には大きな実が成り揃って、見るからに甘酸っぱそうだ。

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三条大橋から三条通り(旧東海道)を東に歩いていくと、ほどなく峠に行き当たる。京都七口の一つ、粟田口(あわたぐち)である。京都と東国を結ぶ交通の最も重要な関門であり、当然のことながら昔は関所が置かれていた。源平合戦以来、数多くの合戦の舞台ともなった。

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2006年09月27日

彼岸過ぎて - 東大谷

彼岸を過ぎれば、夜の風は冷たくすらなってきた。今年は秋の深まりがいつもよりぐっと早い。

彼岸参りの参拝者でにぎわう東大谷(大谷別院)の境内には、季節どおりに彼岸花が生え出ていた。

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この花、不思議なことに葉が出る前に花を咲かせ、花が散ってから葉を出す。日本にはいつの時代からあったのかわからないほど昔から住み着いてたはずの花であるが、「幽霊花」などと呼ばれて古来から大して観賞の対象にされてこなかった。ひょろりと立った茎に着いた真っ赤な花の姿が何だか血まみれのさらし首みたいに見えて、不吉だからであろうか。それともここのように、墓地のそばに咲くような荒地を好む習性ゆえであろうか。

2006年09月29日

秋の蓮 - 大行寺

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昨日、アパートの一部屋飛ばした隣に住んでいた老婆が、遺体で発見された。死後相当日経っていたようで、すでに遺体には蛆がわいていたという。

警察からそう言われてみると、確かに先週末ぐらいから、部屋の前からトイレ臭が出始めるようになっていた。長期間外出してトイレを不潔にしているときに臭う臭気と同じものであったから、不快でありながらも全く気にも止めていなかった。おそらく、それは死後体内に残っていた尿素(体内には老廃物として多量に流通している)が分解されてアンモニアに変成した臭いだったのであろう。警察らが部屋を空けたときの臭気は、隣の部屋にも侵入してくるほどに強烈なものであった。いわゆる「死臭」とは、あのような目を開けてもいられない臭いであるのか。ほとんど顔もあわせたこともない婆さんであったが、全くの孤独死であった。私の住んでいるアパートでは、よく人が死ぬ。以前別の隣に住んでいた老人が孤独死して発見されたし、上の階でも火事があって一人焼死したことがある。これで三人目だ。



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2006年09月30日

陽だまりの坂の下 - 粟田

東山は、坂の多い街だ。

東山区を南から北に伸びる東山三十六峰は、区の北辺の三条通りを通す粟田の谷あいで一旦切れる。粟田小学校の横から、粟田山荘の横を通る坂道が南へ向けて続いている。その坂の脇に、野菊の花が群がり咲いていた。

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2006年10月03日

水に秋こそ - 白川

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下くぐる水に秋こそ通ふらし 掬ぶ泉の手さへ涼しき

     中 務



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2006年10月07日

秋の夜通し祭り - 八坂塔

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昨日(2006年10月6日)は、旧暦八月十五日で「仲秋」。「十五夜」と言えば、特にこの日のことである。中国文化圏では、昨日は「仲秋節」(チョンチュージェ)として大きな祭りの日でもあった。台湾では昨夜は絶好の月見夜空であったというが、あいにくここ日本の京都では低気圧の影響によってほとんど曇り空であった。今日も、朝から細かい雨が降ったりやんだりの肌寒い一日。日は照るとなく陰るとなくの移り変わりがずっと続いていた。

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知恩院近くの中華食材店では、月餅(ユェピン)の詰め合わせが売りに出されていた。仲秋節に合わせて日本のお中元さながらに贈答される高級菓子で、大陸では年々贈答の内容が高級化しているので、当局が規制に乗り出しているという(YOMIURI ONLINE関西発『劉さんの中国見聞記』参照)。

もはやそこまで仲秋節を大事にしない現代の日本人であるが、名月の季節であることには変わりがない。今は彼岸をちょうど過ぎた時期。日が暮れると共に東の空から月が出て、夜通しをかけて空を巡り回って、日が明けると共に西の空に沈む。今日10月7日は暦の上では仲秋節の次の日であるが、月齢で言えばちょうど満月に当たるのだ。夕方になると雲が東天にかかってしまい、今日も月の出を見るのはだめだったかと半ばあきらめていた。だがしかし、午後6時50分ごろ、ついに東の夜空は雲が切れて、東山の上に秋の満月が顔を出した。

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2006年10月08日

都の秋祭り - 粟田神社

秋。稲刈りの季節は、同時に秋祭りの季節でもある。この三連休、東山では北の粟田周辺を氏子に持つ粟田神社と南の祇園界隈を氏子に持つ安井金毘羅宮が、秋祭りを行なっている。左の神輿(みこし)は安井金毘羅宮のもの、右は粟田神社のものである。

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2006年10月14日

破(や)れ壁の萩 - 迎称寺

洛東、吉田神社から真如堂・黒谷金戒光明寺に続く吉田神楽岡(かぐらおか)の丘陵は、市中にあるちょっとしたサンクチュアリ。丘の下には白川が流れて、時に鬱蒼とした林が点在する。その真如堂の隣にあるのが、迎称寺。門前わきの碑に「萩の霊場」とある。その通り寺を囲む土壁の周りは、萩がいっぱいに植えられている。

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しかし季節はもう萩の花の盛りを過ぎてしまった。しおれかかって濃い紫色を帯びた萩の花の向こうには、寺の裏庭の崩れかかった土塀。これもまた、風情ある一景ではないか。

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2006年10月21日

柿の実 - 白川橋

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柿の実ほどに、日本の「本来の」風景のあり方を思い起こさせる果物はない。「本来の」をかっこでくくったのは、昔から今まで様々なメディアを通して蓄積されてきたお決まりのイメージとして、秋晴れの農村にひなびた柿の木が実をたわわに生らせている風景ががっちりと形作られていて、それがお約束として私たちの季節への想像力を逆にしばっているかもしれないことを言いたいからである。だがなるほど、こうして見ると秋晴れの午後に柿の実はたいそう絵になる。木から重く垂れ下がった柿の実が、下を流れる白川に今にも洗われそうになっていた。

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2006年10月22日

盆休み?、、じゃないな - 京都御所(時代祭)

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休日だというのに、京都御所の前を通る丸太町通は、車の通りもほとんどなくて閑散としている。珍しい風景だ。


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2006年11月05日

菊月 - 仲源寺

今日は旧暦でいえば九月十五日、九月の中日で空には満月が昇る。九月は別名「菊月」(きくづき)とも言う。その名のとおり、菊の盛りの月である。特に九月九日の「重陽の節句」は、古来より菊を愛でるべき日とされている(今年のカレンダーでは、十月三十日が重陽に当たっていた)。

だがこの界隈では、よい菊の被写体がどうも見当たらない。料亭の軒先に懸崖菊(けんがいぎく)はあるものの、あまりにも凡庸だ。そんな中で立ち寄った、祇園四条通り沿いにある小さな寺の仲源寺(目疾地蔵)。その境内での、手水に浮かぶ仏花の菊。



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2006年11月16日

残り菊 - 高台寺前

菊は旧暦九月九日の重陽の節句を過ぎると、「十日の菊」と呼ばれる。「六日のあやめ、十日の菊」という言葉がある。五月五日の端午の節句を過ぎたあやめと重陽の節句を過ぎた菊は、もはや観賞のシーズンを過ぎてしまった残されものにすぎない。「六日のあやめ、十日の菊」とは、そのような時代遅れで役に立たない物事を揶揄した言い回しなのだ。

確かにすでに木枯らしの吹く寒空の下では、菊見という気分にもならないかもしれない。だが、屋内にあれば話は別だ。菊の活け花には、華やかな白磁よりもこのような枯れた味わいの陶器がよく似合う。高台寺前、『中谷』で撮影。

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2006年11月17日

闇夜に架ける橋 - 青蓮院

紅葉の季節になって、有名どころではどの寺社でも夜間拝観を行なっている。ライトアップして大層きらびやかであるものの、拝観料を取られる。まあ当たり前なのだが、わざわざ料金を払って囲いに隠された景色を見るような気がしない。下は、紅葉の大名所である永観堂(禅林寺)のライトアップ。ただし、有料拝観の庭園の、その外側。

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三条通から知恩院前へ抜ける道を通る道すがら、夜空に青い光が走っていた。やはり夜間の特別拝観を挙行していた、青蓮院の天に向けたサーチライトが作る、幻想的な風景であった。京都の街は王朝時代の昔から、人間によって入念に手が入れられ続けてきた。このちっぽけな丘の多い盆地は、日本人の作った箱庭である。どうせ星もよく見えない京都の街中のことだ。こうした人工の天の河が付け加えられてもまたよいではないか。

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