中国歴史小説「知兵之将」
今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。 内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。 始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、 これらの名前にピンと来た方、あるいは、 郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、 こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、 よろしければ読んでやってください。 もしお気に入れば、ついでにランキング投票も。 |
東山の石塀小路を歩いていると、塀越しから萩(はぎ)の枝がちょいと垂らされていた。そうか、今は萩の季節なのだな。蕪村句集にいわく、
黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺(明和五・七・二〇)
いにしえの時代には至るところで見られた萩も、元来が華やかさに欠ける花であるからか、今や観賞用としてもぱっとせずに片隅に追いやられてしまっている。雨続きの九月の間に空いた晴れ間の日に、御所の東隣りにある萩の名所の梨木神社(なしのきじんじゃ)に行った。
彼岸ごろの午後は、まだまだつるべ落としのように急いで暮れるまではいかずに、傾く西日が長く続く。ザクロの木には大きな実が成り揃って、見るからに甘酸っぱそうだ。
三条大橋から三条通り(旧東海道)を東に歩いていくと、ほどなく峠に行き当たる。京都七口の一つ、粟田口(あわたぐち)である。京都と東国を結ぶ交通の最も重要な関門であり、当然のことながら昔は関所が置かれていた。源平合戦以来、数多くの合戦の舞台ともなった。
昨日、アパートの一部屋飛ばした隣に住んでいた老婆が、遺体で発見された。死後相当日経っていたようで、すでに遺体には蛆がわいていたという。
警察からそう言われてみると、確かに先週末ぐらいから、部屋の前からトイレ臭が出始めるようになっていた。長期間外出してトイレを不潔にしているときに臭う臭気と同じものであったから、不快でありながらも全く気にも止めていなかった。おそらく、それは死後体内に残っていた尿素(体内には老廃物として多量に流通している)が分解されてアンモニアに変成した臭いだったのであろう。警察らが部屋を空けたときの臭気は、隣の部屋にも侵入してくるほどに強烈なものであった。いわゆる「死臭」とは、あのような目を開けてもいられない臭いであるのか。ほとんど顔もあわせたこともない婆さんであったが、全くの孤独死であった。私の住んでいるアパートでは、よく人が死ぬ。以前別の隣に住んでいた老人が孤独死して発見されたし、上の階でも火事があって一人焼死したことがある。これで三人目だ。
東山は、坂の多い街だ。
東山区を南から北に伸びる東山三十六峰は、区の北辺の三条通りを通す粟田の谷あいで一旦切れる。粟田小学校の横から、粟田山荘の横を通る坂道が南へ向けて続いている。その坂の脇に、野菊の花が群がり咲いていた。
昨日(2006年10月6日)は、旧暦八月十五日で「仲秋」。「十五夜」と言えば、特にこの日のことである。中国文化圏では、昨日は「仲秋節」(チョンチュージェ)として大きな祭りの日でもあった。台湾では昨夜は絶好の月見夜空であったというが、あいにくここ日本の京都では低気圧の影響によってほとんど曇り空であった。今日も、朝から細かい雨が降ったりやんだりの肌寒い一日。日は照るとなく陰るとなくの移り変わりがずっと続いていた。
知恩院近くの中華食材店では、月餅(ユェピン)の詰め合わせが売りに出されていた。仲秋節に合わせて日本のお中元さながらに贈答される高級菓子で、大陸では年々贈答の内容が高級化しているので、当局が規制に乗り出しているという(YOMIURI ONLINE関西発『劉さんの中国見聞記』参照)。
もはやそこまで仲秋節を大事にしない現代の日本人であるが、名月の季節であることには変わりがない。今は彼岸をちょうど過ぎた時期。日が暮れると共に東の空から月が出て、夜通しをかけて空を巡り回って、日が明けると共に西の空に沈む。今日10月7日は暦の上では仲秋節の次の日であるが、月齢で言えばちょうど満月に当たるのだ。夕方になると雲が東天にかかってしまい、今日も月の出を見るのはだめだったかと半ばあきらめていた。だがしかし、午後6時50分ごろ、ついに東の夜空は雲が切れて、東山の上に秋の満月が顔を出した。
柿の実ほどに、日本の「本来の」風景のあり方を思い起こさせる果物はない。「本来の」をかっこでくくったのは、昔から今まで様々なメディアを通して蓄積されてきたお決まりのイメージとして、秋晴れの農村にひなびた柿の木が実をたわわに生らせている風景ががっちりと形作られていて、それがお約束として私たちの季節への想像力を逆にしばっているかもしれないことを言いたいからである。だがなるほど、こうして見ると秋晴れの午後に柿の実はたいそう絵になる。木から重く垂れ下がった柿の実が、下を流れる白川に今にも洗われそうになっていた。
菊は旧暦九月九日の重陽の節句を過ぎると、「十日の菊」と呼ばれる。「六日のあやめ、十日の菊」という言葉がある。五月五日の端午の節句を過ぎたあやめと重陽の節句を過ぎた菊は、もはや観賞のシーズンを過ぎてしまった残されものにすぎない。「六日のあやめ、十日の菊」とは、そのような時代遅れで役に立たない物事を揶揄した言い回しなのだ。
確かにすでに木枯らしの吹く寒空の下では、菊見という気分にもならないかもしれない。だが、屋内にあれば話は別だ。菊の活け花には、華やかな白磁よりもこのような枯れた味わいの陶器がよく似合う。高台寺前、『中谷』で撮影。
紅葉の季節になって、有名どころではどの寺社でも夜間拝観を行なっている。ライトアップして大層きらびやかであるものの、拝観料を取られる。まあ当たり前なのだが、わざわざ料金を払って囲いに隠された景色を見るような気がしない。下は、紅葉の大名所である永観堂(禅林寺)のライトアップ。ただし、有料拝観の庭園の、その外側。
三条通から知恩院前へ抜ける道を通る道すがら、夜空に青い光が走っていた。やはり夜間の特別拝観を挙行していた、青蓮院の天に向けたサーチライトが作る、幻想的な風景であった。京都の街は王朝時代の昔から、人間によって入念に手が入れられ続けてきた。このちっぽけな丘の多い盆地は、日本人の作った箱庭である。どうせ星もよく見えない京都の街中のことだ。こうした人工の天の河が付け加えられてもまたよいではないか。