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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

朴景利『金薬局の娘たち』

朴景利(パク・キョンイ)の中篇小説『金薬局の娘たち』を読了。冬樹社『現代韓国文学選集』の訳で、読んだ。このシリーズにおいては編集委員の名が連名で記されているだけで、訳者の個人名は記載されていない。

読後の、感想。

骨が見える、物語だ。

長編小説といってよい分量の物語であるが、結末を導くための人物配置、事件の絡ませ方に関する筋立てが、はっきりと見える。それは、小説を書くことを試みてみた私の経験から言っても、物書きとしては事前に用意するのは、当たり前だ。そして、それに対するディテールの描写が、長い物語のよしあしを決める決定的要素であることも、小説を中途であるが試みた私には、分かるのだ。

この小説は、だがディテールが残念ながら薄い。読後に、そう思った。
物語はタイトルが示すように、裕福な金薬局の家に生まれた五人の娘の事件を描いている。
だが、この物語は、彼女たちのうちいったい誰を、真に描きたかったのか。
次女の、容斌(ヨンム)なのか。
三女の、容蘭(ヨンラン)なのか。
それとも、長女の容淑(ヨンス)、はたまた四女の容玉(ヨンオク)なのか。
これら全てに焦点を当てようと作者が思うならば、これだけの長さではとても足りない。
『カラマーゾフ』の巨大さが、必要だ。
しかし、金薬局の娘たちには、ドミートリー、イヴァン、アレクセイの三兄弟のような、人間としてのスケールの大きさがない。だから、印象を積み重ねる、中編小説のスタイルで描くより、他はない。キリスト教、仏教、土俗宗教、そして反日独立運動が、ディテール描写の素材として用いられている。しかし、ドストエフスキー小説に見られるような、思想の徹底した掘り下げは、この小説が試みるものではない。時折出てくる思想に対する描写は、生煮えに終わっている。美味しく頂けない。
だから、この分量ならば、モーパッサンやフォースターのように、特定の人間に焦点を絞って、ディテールを積み上げたほうが、小説として成功したのではないか。それを、あっちこっちで不幸な事件を勃発させて、悲劇を作り出そうと試みるものであるから、読後感が消化不良に襲われてならない。たとえは悪いが、まるでサドの『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』を読んだ後の味気なさのようだ。サドの小説の狙いは皮肉な笑いであるが、この『金薬局』は悲劇を目指しているはずだから、味気なさが読後感となっては、困る。

各民族には、得意な物語のジャンルがある。
思想を徹底的に突き詰める深刻さがあるロシアやドイツの小説は、大長編が最も素晴らしい。
生活を愛しながら、ディテールを積み上げて人間の悲喜劇を作りあげることが得意なイギリス人とフランス人は、中篇小説に最大の持ち味がある。
日本人は、思想的深刻さとは無縁であるうえに、あまり人生を楽しんでいない。ゆえに、風の一瞬のそよぎや、石の上に差した一条の光に、あわれなる情緒を感じて描く、俳句が優れている。小説ならば、短編小説だ。日本人の物語は、長くなれば長くなるほど、質が落ちる。
韓国人も、そうなのではないだろうか。
私は、韓国文学の短編は、これまで読んで大変に面白いと思った。
しかし、長編を読むことを試みた現在、日本と同じく何かが足りないと、感じた。
思想的深刻さ、それから人生をまるごと愛するまなざしが、日本人以上に韓国人に、あるのだろうか。
私は、韓国人の物書きもまた、その持ち味は一瞬の情緒を描く、詩あるいは短編にあるのではないだろうかと、現在予感している。

2009年04月05日

『旅立ちの日に』替え歌:鈴元仁

夕映舎氏から教えてもらったのだが、この『旅立ちの日に』という曲は、現在の小中学校の卒業式で歌われる、ナンバーワンヒットソングだそうな。
夕映舎氏は、この曲の歌詞が嫌いだ、と言った。
一番は、まだ許せる。
これは、父兄や教師から、子供たちに贈る言葉と位置づければ、嘘っぽい言葉ではあるがまだ認められると言った。
しかし、二番は全く許せない、とも言った。
二番は、子供の気持ちを大人どもが推測して、作って放り投げてやったような内容だ、と彼は言った。
それでは、ペットを可愛がっているのと、同じ視線だ。
子供たちが、二番の歌詞のようなことを、思うわけがない。
そう言って、彼は不満を私に言った。

私は、全く同感である。
ゆえに、勝手に歌詞を変えて、替え歌を作った。

白い光の中に君は抱かれ往く
おめでとう、よく育ったね。僕は、祝いたい
限りなく青い空を 今日は見つめてごらん
青は涙の色だ どうして泣いているんだろう?

勇気を翼に込めて 君は 飛び立てるかい
美しい空は寒い すまない 頑張ってくれよ

今日は友達の声 思い出してごらん
苦しく悲しくても 君の宝になる
心通った嬉しさを 忘れてはだめだよ
みんな過ぎた後に 残る思い出さ

勇気を翼に込めて 君は 飛び立てるかい
勇気があれば飛んでみよう この地球はすばらしい

今別れの時 飛び出そう 君を信じる
はずむ 若い君を信じる
大空は 大空は 君のものだよ
いま 別れの時 この国は よくないかもしれないけれど
はずむ 若い 君を信じたい
大空と 世界中が 君を待っている

上は、夕映舎氏に私の改作を見せて、彼の意見を取り入れて一部を書き直したものだ。
夕映舎氏は、私の改作について、「大人から子供へ贈る歌を、子供をあくまでも突き放した距離から応援する内容になっている。首尾一貫していて、大変よい。」と言ってくれた。

原曲は、B♭調。
難しいので、ネットで拾った指示に従い、3フレットにカポタストを付ける。
カポタストなんて、初めて使った。
それでもFが難しいので、Dmで代用。
これは、良い曲だ。
私の、持ち歌の一つにしてやろう。

2009年04月06日

『圓山花宴曲』

山ざくら 世を儚みても 散るは散る
Vermouth&Gin


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一日が宙に浮いてしまった、満開の日曜日。
京都は、どこにいっても桜、桜。
試しに写真を撮れば、もう全てが被写体になってしまう。
高瀬川の葉桜など半刻見れば飽きるが、この一週間だけは、一瞬が万金となる。



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当今洛邑鐡車喧
千里行來角逐轅
柳橋桃桜招遠客
弥空過數一軒軒

当今洛邑、鉄車喧(かまびす)し
千里を行き来して 轅(ながえ)を角逐す
柳橋、桃桜、遠客を招くも
弥(いよいよ)空しく過ごし、数えるは一軒軒



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京都、円山のお宿、「吉水」。
東山三十六峰の麓に位置する、洛東の奥座敷。
奥座敷と言いましても、円山公園から歩いて数分である。
山と河が渾然一体となる、美(うま)し里の京都ならではの、立地である。



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書斎のような、部屋の中。
書き物をするに、まことに結構である。
TVがないのは、TVを観ない私にとって理想的な環境であるが、ただしインターネットがワイヤレスで、特殊なデバイスをノートパソコンに付けていないと接続できないのには、困った。



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夜、行政書士の夕映舎氏と、ワイン一瓶を片手に、夜桜見物に出る。
旅館の前にも、桜の木々。
私は、懐から俳句帳を、出した。
「-詠まんか?」
私は彼に紙を渡して、一句を出した。

花煙幕 奥には遠くの おぼろ月
Vermouth&Gin

夕映舎氏は、コップ片手に小考した後、私に見せた。

遠い地鳴りのような嬌声 ソメイヨシノの 幹に浸み入る
夕映舎

山の下から、花見客の歓声が聞こえてくる。
夜通しとはいわないまでも、巷の夜桜の会は、始まったばかりだ。
こんなふうに、私は夕映舎氏と、ゆくゆく歌を詠みながら、下に歩いていった。

白ぶどう酒と桜 嘗めて 飽くなき自我像 かたどる
夕映舎

-西行を想ふ-
人騒がす 咎つくっても 夜は桜
Vermouth&Gin

ブルウシート 花の夜に咲く 不調法さよ
夕映舎

交尾の春 変わらぬさざめきに 日の丸の影
夕映舎



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長楽館。
日本のタバコ産業の草分け的存在である村井吉兵衛の屋敷であり、明治建築である。
長楽館という名は、伊藤博文の命名。

-長楽館-
近代を 忘れるべきか 酣の春に
Vermouth&Gin

きらら電飾 桜と競うかな 長楽館
夕映舎

美というもの 私なの?決められたものなの? 長楽館のかげ
夕映舎



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大枝垂桜。
ただし、この桜は何代目かである。
以前の桜はもっと大振りであったが、残念ながら枯れてしまった。
新世代の枝垂桜は、これからもっと元気となるのだろうか。それとも、これが精一杯なのであろうか。いずれ、時の経過が、生命のなりゆきを示すことになるだろう。

格好よく 生きるのは難(むずか)し この花の前で
Vermouth&Gin



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かがり火が、夜桜の合間に焚かれていた。
火は、人間の本能に、直接訴えかける。

瞬一秒 同じ刻なし 桜刻
Vermouth&Gin

先代よりも きまじめなのかな かがり火の 煙にけぶる 円山桜
夕映舎

かがり火と 酔う枝垂桜 龍馬像
夕映舎

脇に龍馬と中岡慎太郎の銅像があったので、詠まれた句である。

茶店で、私は燗酒をあおり、夕映舎氏はきつねうどんを食べた。
「-うまい!」
すき腹にだし味を流し込んだ夕映舎氏は、うなった。
「だし味が分かるなんて、日本人と韓国人だけだぜ。」
私は、茶店から眼下に広がる桜の絨毯の、向こう側の闇を眺めて、詠んだ。

西北西 桜花(ポッコッ)の向こうに 都あり
Vermouth&Gin

最後は、韓流趣味の俳句で、閉めることにしよう。
「都」はソウルと読んでもいいし、「みやこ」と読んでもよい。
眼下にひろがるのは「みやこ」だし、その向こうの空を突っ切った先には、韓国六百年の首都がある。
大浦洞ミサイル、、、?経済制裁、、、?
せめて今夜だけは、この気分を害させるなよ。





朝。
冷気の中に、甲高いとまで形容してよいほどのウグイスの声が、宿での目覚ましとなった。

「ほう、おはよう」と 鶯が呼ぶ 出がらし茶



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朝食。
野菜スープ、ヨーグルト、トースト、バター、マーマレード、ゆで卵。
卵の半熟の具合が、よい。
マーマレードは、手製だ。
私は、紅茶を飲んで一服した後、一句詠んだ。

宸鶯が 吉き水誘う 華頂麓
Vermouth&Gin

インターネットで調べることができず、「あかつき」のかんむりが「ウ」だったか、「日」だったか、ど忘れしてしまった。
ここは、東山三十六峰の一、華頂山のふもと。華頂山とは、知恩院の山号でもある。
あかつきに聞いたウグイスの声と重ねて、漢字趣味的に詠んだ。おなじあかつきを表す字である「暁」は、ギョウと読んで、音が悪い。それでシンの字を、あえて用いた。
俳句帳に書き記して、食堂を切り盛りしている、若いホテルの社員さんに、渡した。
しかし、後で家に帰って調べてみると、あかつきを表すシンの字は、「晨」の方であった。「宸」はみかどの意味であって、あかつきとは関係がない。
ここが古都の宿である以上は、「宸鶯」でもあながち間違っていないかもしれない。
みかどは今東京にいるが、鶯を愛でたであろう歴代のみかどの面影は、東山の巷にいっぱい残っているのだ。私の目を覚ました鶯たちは、いにしえの公達たちと遊んだ鳥たちの子孫であるに、違いなかろうよ。
だから、これはこれとして、宿に贈ったうたとして、止め置く。
この文章には、別に修正したものを、併記する。

晨鶯が 吉き水誘う 華頂麓
Vermouth&Gin


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9時半に、宿を出た。
宿の前の亭(あずまや)に座って、ギターの練習なとする。
本当に四周全てが、花盛り。
昼には鶯の声が、重なり合う。
夜には梟が、静かに歌う。
こんな環境は、日本広し、いやさ世界広しといえども、そうまたとありません。

亭に座った、女性が一人。
聞けば、宇都宮から24日間京都に長期滞在している、最中でいらっしゃるとか。
私は、残り少なくなった俳句帳を取り出して、一句贈った。

亭の上 見ても晴れても花ばかり
Vermouth&Gin

本当は、彼女に贈った句は「桜ばかり」だったのであるが、この情景は字あまりなしで綺麗にまとめたほうがよい。そう思って、上のように修正することに、しよう。



『圓山花宴曲』

サイト探訪-『日本を守るのに右も左もない』

ブログサイト:http://blog.trend-review.net/blog/

最近知った「類ネット」グループのブログサイトから遡って、上記のサイトを訪問した。
私は、いくつかのコメントを、これまでにその記事内で残した。
しかし、いまだ読んでいる最中である。

以下は、一記事からの引用。

では、人々の意識は次は、どこに向かうのか?
大多数の意識潮流は今見た通りだが、先進層の意識は本源的活動(←社会の役に立ちたい)に向かっている。
1.まず農業志向
2.政府の補助金削減→低賃金政策で今は低迷しているが介護・福祉志向。真っ当な賃金さえ払えば拡大に向かう。
3.ピアノやバレエ・スポーツクラブといった習い事は衰弱する一方で、おっさんが近所の子供の草野球を指導するといった事例は増えている。

私は、この記事が言っていることが、「鎖国のススメ」に読めてならない。
競争原理が生存的困窮の消滅した70年代以降に説得力を失い、代わって今後ますます加速する意識潮流は、「本源的活動」、すなわち、他者に認められ、共に認め合う場をこしらえあげ、参加する、人間としての活動欲求である。おおかたそのように当ブログは展望していると、私は現在解釈している。
そのトレンド分析には、うなずけるものがある。

しかし。
だったら、このままでいったら、鎖国ではないか。

文化を同じくするサークルの中ならば、「本源的活動」は、おそらくたやすい。
だから、自給自活、地域への食料供給を軸とした農業指向であり、あるいは介護・福祉や、草野球の指導のごとく、自分ができる範囲内での対人奉仕活動といった社会・経済活動が膨らんでいくというトレンドが増えているし、これからも増えていくであろう。

しかし、文化は、人間の第二の皮膚である。
第二の皮膚が違う人間との交流は、自然な欲求のままに任せた活動では、難しいのではないか。
私は、徳川時代の対馬藩において、享保年代に真文役として李氏朝鮮との折衝活動に尽力した雨森芳洲の著作を、自分で読んだことがあった。
彼は、その『交隣提醒』において、朝鮮人(誤解なきように付け加えておくが、芳洲が李氏朝鮮の臣民という意味で、この言葉を用いているのである。現代に「朝鮮人」という場合のニュアンスとは、全く違う)と日本人との文化の違いが多くの行き違いを起こしている事例を、詳しく述べている。日本人は日本人の勝手な思い込みで朝鮮人と応対し、その逆もまたしかりである。芳洲は、両国の事情を深く知りながら、著作を献上する相手であった対馬藩主に対して、外交で相手に侮られないためによく朝鮮の事情を学び、義にもとる要求がもしあったとしたならば、毅然とした対応を取るべしと、薦めているのである。
異なる文化を持っている外国との応対は、これほどに難しい。私はかの地を訪問して、韓国人と韓国文化が世界で最も日本人と共有するものを持っているに違いないということを、ほとんど確信して帰ってきた。それでも、やはり異文化である。日本の常識は、そのままでは通用しない。本気で付き合うにはおそらく想像力、忍耐力、そして正道をもって説く倫理観が、必要である。

競争原理が失墜し、「本源的活動」に人間が向かう傾向が強まるとき、その射程が異なる文化の民にまで、行き届くことができるのであろうか?
もし、民が勝手の違う連中との接触を嫌がったならば、もう取るべき道は、ただ一つ。
鎖国しか、ない。

私の友人の夕映舎氏は、「鎖国もまた、一つの見識や。」と、批評したことがある。
「鎖国して、農業自給を完全なものにしようと決意したならば、農村が復活する。過疎問題が、解消される。これもまた、明るい展望かもしれん。鎖国のメンタリティーを持って、北朝鮮滅ぼすべしなんぞと絶叫するくせに、それでいて国際経済を捨てたくないごとき輩。それは、論外のプーや。だが、そうではなくて、鎖国ならば、首尾一貫しとる。」

価値観で、ある。
ゆえに、今の私の価値観だけは、申し上げておかなくてはならない。
私は、鎖国は嫌だ。
あまりにも、人間として淋しすぎる。
私は、たとえ自分の第二の皮膚がひりひり痛んだとしても、異なる文化との間に、異なることを互いに認めながら、共存協力していく未来を、望む。
上のブログの別の記事でも書いているように、確かに現在の大陸中国と、まともに経済統合することは無謀である。彼らは、国家の展望として、日本の技術を食らうことを、おそらく考えている。中華帝国とは、そういうものだ。周辺のおいしそうな文化圏を領土化して、自己を活性化して来た歴史を、かの地の文明の開闢時代からずっと続けているのだ。

日本のひしゃげた現在の政治では、中国にやられるかもしれない。
だがそれは、日本に本当の政治が、ないからなのだ。
まともな政治があれば、私は日本が中国と対等に渡り合い、いずれ共存する経済圏に移行する展望を、二十一世紀のうちに打ち立てることができるだろうと、信じている。
だから、中国は、努力目標である。対等の関係となって、仁義の正道をもってギブアンドテイクができるようになってはじめて、共存もできるだろう。それができると私は思いたいが、今すぐには無理だ。

今すぐできるはずなのは、-これは私の持論の繰り返しであるが-隣国である韓国との、同盟である。
この一週間、北朝鮮問題で日本国内は大騒ぎであった。
より正確に申せば、大騒ぎであったようだ。
私は、何の興味もなく、ヤフージャパンの記事を読んでいた。
ミサイルが発射された日の晩には、へらへらと夜桜を楽しんでいた。
北の体制は、韓国と日本を個別に脅し、東北アジアの裁定者としてのアメリカの、ご出馬を願っているのだ。両国は、見透かされている。現状は、北朝鮮にとってというよりは、アメリカにとっての思う壷なのだ。
ここ一週間の事件一つを取っても、今となって私は、残念でならない。
日本・韓国の両国ともに、もともと鎖国を愛するメンタリティーを持っているうえに、21世紀以降はそのメンタリティーが、互いの国で深化している。私は、これを両国が現在かかっている「内向き症候群」と、名付けたい。「内向き症候群」をそのままにして、鎖国につながるしか、両国の未来はないのであろうか。やがて崩壊するであろう北朝鮮を、どの国の金が復興するのであろうか。北朝鮮が復興の枠組みもないままに崩壊したならば、東北アジアには巨大な緊張が走る。歴史は、教えるのだ。Korea半島に激震が走るとき、決まって東北アジアに大戦争が起こって来た。この地域のメインプレーヤーたちの間には、相互不信が常態としてある。だから、軍事衝突という結果に、導かれて来たのであった。このままでは、歴史が繰り返される。Korea半島に激震が走っても、日本は鎖国するのか。できるのか。

それを救い、平和を買うために、私は日本が韓国と同盟する道を模索することを、現在望んでいる。両者が一致した姿勢を北朝鮮に対して取り、かつ今後の速やかなる復興のプランを具体的に示したならば、金正日の後継者(だれになるのかは、知らない)がそれに乗らないなどという道が、果たしてありえるだろうか。もしありえるとしたらそれは中国かその他のどこかの国が裏で操るからであろうが、日韓が協同して第三国に当たることができれば、介入をはねつける国際政治が、できるのではないか?

まだ、私は今後の日本及び東北アジアの将来について、勉強中である。
しかし、私は鎖国など、まっぴらごめんだ。日本が鎖国したら、きっと日本という国を怨んで死ぬ日を、迎えることであろう。

2009年04月07日

『旅立ちの日に』を、練習中

日曜日、カポタストをギターに装着して、夜、「吉水」の前の階段上で、私が歌詞を改作した『旅立ちの日に』を演奏してみた。

弾いて、夕映舎氏に聞かせた。
彼は聞いて、ううむと唸り、私に言った。
「今の今まで、お前は大変音階の幅が広い奴だと、思っていた、、、」
私は、自分でも歌がかなり上手いと、この時まで思い込んでいた。
自慢ではないが、私には絶対音感がある。
ギターの弦をポロン、と弾いた音を聞けば、それがGなのか、Fなのか、はたまたB♭なのか、分かる。
だから、私は歌がかなり上手いのだ、と、この時まで思い込んでいたのであった。
しかし、夕映舎氏は、言った。
「お前は、声に出して歌える音域が、相当に狭い。低音は声が出ず、高温は声がひっくり返る。今、お前に聞かせてもらった曲は、心に響かない。」
夕映舎氏は、私の替え歌バージョンで、自分で歌った。
きれいに、低音も高音も、通っていた。
このとき、いざ歌わせたら彼の方が私よりも上手いことを、長年の付き合いで始めて思い知った。
私は、歌がじつはあまり上手くないのだった、、、
夕映舎氏は、言った。
「お前、ブルース歌ってみろ。」
私は、正直言ってブルースが嫌いだ。
しかし、言われてみて、新井英一の『清河(チョンハー)への道』をもじって、即興で『慶尚道(キョンサンド)への道』をうなってみた。

日本の風が悲しいもので
私は、飛行機に乗っていた。
金海(キメ)に着くまで、1時間30分
サンドイッチ食う間もない、東京より近い
そう思って機内食見たら、チーズサンドだった
チーズ食えない俺だ、オイいきなり大凶かよ

夕映舎氏は、言った。
「お前は、ブルース声やで。お前は否定したいかも、しれんけどな。」

ダミ声向きだと、いうことなのか、、、
ううむ。
今の今まで、知らなかった。

しかし、自作の歌詞が歌えないのは、しゃくにさわる。
これまで『旅立ちの日』を弾く際には、原曲のB♭に合わせるために、私はカポタストを3フレットに着けていた。
こんなふうに。

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それを、さらにずらして、4フレットに着けた。音階は、半音上がってBになる。
歌ってみた。
お!
いけるかも。
音域の狭い私にとって、カポタストはこれから必需品になりそうだ。

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2009年04月08日

『俳句の可能性について』-類ネットへの投稿文

これが、初投稿です。
私は、西洋芸術が好きです。
以前、京都の国立美術館で、ムンクの版画を見たときに、衝撃を受けた。
自分自身や身近な女を、ここまで生体解剖するように、描いてよいのか。
鬼気迫る、生命としての人間の力を、彼の版画からありありと感じた。
東洋の絵画は数千年の歴史があるが、いまだかつてムンクの境地に達したことは、ない。これまでの歴史で創り上げられて来た個々の芸術作品の水準から見れば、東洋の芸術は西洋芸術に、はるかに及ばない。私は、そう批評せざるを得ない。

では、東洋の(私は、あえて「日本の」と、言いたくはない。私は、自分の経験から、中国文化圏にも、韓国にも、日本の創作風土と似通った底流が静かに流れているであろうことを感じ取っているからだ)創作姿勢において、優れた点とはなんだろうか。もしそれがあるならば、これからの時代の人間の創作活動に、ヒントを与えるものが、あるだろうか。

ぐだぐだ生煮えの理論を書き記すよりも、私の実践を紹介したほうが、よかろう。

私は、さる4月5日午後から6日朝にかけて、京都円山の「吉水」で遊んだ。
その間、同行の友人と、俳句を詠み続けた。
巷の花見の情景に触れるごとに、「いっせーのー」で、詠んだのだ。
まことに、爽快な試みであった。
季語を入れて、なるたけ五七五のリズムを、守るように心がける。
縛りはこれだけだから、沸くように言葉を出すことができた。
後で私が写真、散文と漢詩を継ぎ足して、一文にした。

http://suzumoto.s217.xrea.com/2009/04/post_213.html

これは、よい試みであった。
これからも、同人を誘って、やろうと思う。
今回試してみたのは俳句であったが、日本の創作活動には、上の五七五を発句人が詠んで、それに対して下の七七を次の同人が詠んでいく、連歌の形式もある。連歌となれば、これは全ての句が協同製作となる。

面白くない この世の中を 面白く

私の示唆に対して、同行の友人が例として出した、上の句である。
もとより、高杉晋作の句であるが、歩いている際に思い出した言葉であるので、原句とは異なっている。
私は、とっさに下の句を付けた。

おもろないのは おまえの顔だ

ははは。
これもまた、一景だ。
連歌をするには、一人だけでもある程度教養を持った人がいた方が、面白くなると思う。そして、その人は、広い心を持たなければならない。同人が発する言葉を、先入主なしで評価して、全員の創作を高める心がけが。

俳句や連歌は、各人がきっちりと個性を出しながら、全員の創作でよいものを作ることができる力がある。西洋の芸術も、時代を遡れば無名人が車座になって創作していた時代があったはずなのだが、いつしか時代とともにいじけて萎びていった。西洋では、個人が所有権を持った作品を創作して、市場にて貨幣に評価するという原理が、絶対化した。

私は西洋芸術を素直に大芸術である(あった)と認めるがゆえに、個人が所有権を持って市場に立ち向かう西洋芸術の原理が、偉大なものをかつて生み出したことから、目を背けることができない。しかし、その原理が、これからの時代にも、通用するかどうかと問われれば、分からない。分からないが、いまだに出版会社と音楽会社は、個人・所有権・市場の原理で、動いている。それは、このブログサイトでも散々言われているように、未来がないのかもしれない。少なくとも私個人の経験から言えば、俳句や連歌による協同創作には、確かに可能性があると感じる。だが俳句や短歌の世界ですら、一人で作って投稿する態度が、今の日本人には蔓延しているのが、残念な現状なのだ。


私は、このネットの探索を続けている最中であるが、いまだに心中の疑念が尽きないでいる。
これは、鎖国集団なのではないか。
日本人の惰性的観念が無反省であることの如実な現れとして、投稿者が注目している対象の地域は、

日本-みんなの国、本源的欲求(他人とつながり、他人のために働き、他人に認められたい欲求)を満たすべき場

欧米-反面教師、個人原理によってこれまで成功して、今や個人原理を突破しようとする人類史からみて、脱落しようとしている文化圏

中国-ただの野蛮な発展途上国、「みんな」の社会である日本を汚し脅かす、敵

こういった構図に、おおむね括られると思われる。
あえて乱暴にまとめたが、私は投稿者が東北アジアに対してほとんど何のポジティブな意見も印象も持っていない世界に踏み入って、読むたんびに不足感を覚えてならない。
現在の日本人の平均的な脳中にあるのは、日本しかない。
ちょっとものを分かろうとして努力する者は、欧米と中国に思いを馳せようとする-たいていは、ネガティブな対象として。
そして、韓国、台湾については、はなから意識にすら上らない。

「内向き症候群」である。

これが、「内向き症候群」である。

日本人の鎖国根性を、無反省なままに肯定して、明るい未来を語ってよいのですか。
私は、まだこのネットに、信頼が置けない。
日本人の現実への認識が、おおむねまっとうであるゆえに、なおさら参加者の集団認識が描く未来像に、危険を感じる。

2009年04月10日

日本人よ。東北アジア文化圏に、目を向けたまえ(1)-類ネットへの投稿

この投稿は、私の主張の枠組みを、分かっていただきたいと思い、書きしたためました。
おそらく、ここに集っている皆様のご主張とは、毛色が違います。しかし、私は外部からここに立ち寄った者として、この稿ではあえてトリックスターとして、冷や水を浴びせる役割に徹したいと思います。

私は、この類塾ネットをごく最近知りました。
そうして、興味のある箇所から、順々に読んでいます。
読めば読むほどに、私の心中に、二つの理解が高まって来ます。
一つは、「共認」というスタンスで開かれた議論を積み重ねていくこのコミュニティーの討論の結果として構築されつつある現代日本社会の現状認識に関して、確かに私の言いたかったことと一致している、ということです。私は、現在TV、新聞、週刊誌を見捨てています。最も必要なはずの情報を、何も取り上げないからです。それらのメディアよりも、SNSなどで知り合って、礼を尽くして幸運にも仲良くなれた方々と会話することによって得られる様々な情報の方が、はるかに貴重なものを得られます。このコミュニティーにおいても、この私が一角を占めることが、許されんことを。

しかし、このコミュニティーの内容を読み進むにつれて、私の中にはもう一つの理解が、深まるばかりです。
私は、このコミュニティーの「共認」している未来像に、全く共感できません。
なぜか。
現状の、このコミュニティーは、「共認」は試みていても、「共存」について、何も考えていないように、見受けられるからです。
私がただいま用いた「共存」とは、「共生」「共棲」という言葉を用いても、よいかもしれません。
生物学の用語で、比喩的に語ります。
生物学ならば、「共生」あるいは「共棲」は、異なる種の間で優勝劣敗原則が働くのとは違って、それぞれの種がそれぞれの適応したテリトリーで生活しながら、エコシステム総体として調和した循環系を成立させている状態、と申すべきでありましょう。
これを、いま私は人類に対して、比喩します。
人類は、もとより全てが、同じホモ・サピエンス・サピエンスです。
どの人種間でも生殖が可能であり、生まれてすぐにある社会環境に置かれれば、その個体は育った社会環境の一員となります。民族的に日本人であっても、幼少の頃より大陸中国で育てられれば、完全に中国人となります。その逆も、そうです。いちいち事例を挙げるまでも、ありません。
そのように民族間、文化間で種が異なるはずがないのが事実ですが、いざ人類の社会を見ると、異なる民族間、文化間で融通無碍に交流交通がなされているようには、とても見えません。

文化は、人間の第二の皮膚といってよいものです。
人類は、文化が異なると、相互に直感で理解し合える範囲が、ぐっと狭まります。
言葉が、最大の壁です。いま日本人の平均値を取ったとき、文字情報を通じて他人を理解することができる範囲は、純粋に日本列島に留まります。漢語(中国語)の文章はいまやネット世界で最大勢力ですが、漢語ならば日本人はある程度読むことができます。私個人の経験から申し上げれば、私は漢語を知らない状態から始まって、読んでみようと思い立ったとき、二週間でほぼ解読できることに成功しました。文章が読めたからといって漢語文化圏の人々を理解できるかどうかは別問題ですが、少なくとも日本人は試みることに対する壁は、それほど大きなものではありません。
その他の文化圏については、平均的日本人は、ほとんど理解できません。
隣国の韓国は、現在漢字(ハンジャ)を、事実上放棄しています。ネット上にも、出版物にも、漢字は出てきません。当地の人々は、もう漢字がほとんど読めなくなっています。ハングルオンリーで読み書きしているのですが、よって日本人には、一字たりとも読めません。
世界で最も広範囲に使われている言語である英語もまた、日本人は読めません。
これまでどんなに政府が英語学習を推進する掛け声を掛けたとしても、ここ数十年で日本人の英語力が平均値として向上したという証拠を、私は知りません。理由は、明白です。日本列島に住んでいれば、英語なぞ必要ないからです。日本語は歴史のある自己完結した言語なので、外国語を必要としないのです。
こうして日本人は言語の壁があって、外国を知ることが難しくなっています。
唯一わりかし容易な努力をもって知ることができるはずの漢語文化圏についてさえ、真の理解というよりは偏見、誤解、見落とし、針小棒大がまかり通っているように、見えます。
どうして、こんな現状なのでしょうか。

日本人よ。東北アジア文化圏に、目を向けたまえ(2)-類ネットへの投稿

我らが国の日本が属している東北アジア文化圏を西ヨーロッパ文化圏と比較したとき、重大な相違点があります。

西暦476年、西ローマ帝国が滅亡した後、エルベ川以西の西ヨーロッパにおいては、統一権力が消滅しました。一時的に再統一を果たしたカール大帝の帝国が短期間で空しくなった後には、西ヨーロッパはまったくバラバラの地域になってしまいました。
このとき、宗教とラテン語によって、文化的な連携を地域間で育て上げる役割を担ったのが、他ならぬローマカトリック教会でした。
以降、ルネサンスまでの中世を通じて、聖職者、学生、そして巡礼者たちの国際的移動は、頻繁でした。パリ大学が外国人に満ち溢れ、サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼がまるでわが国のお伊勢参りのように西ヨーロッパ各国からの観光客でにぎわい、教皇のお膝元のローマでは巡礼者、傭兵、商人、はたまたならず者たちといった異邦人がごった返していた事実は、西ヨーロッパ文化圏というものが、たとえ近代に至って国民国家が成立したとしても、文化の根本では融通無碍な交流が正常であったし、国民国家の皮をめくってしまえば共通の文化圏を容易に再発見できる地域であったことを、示しています。

いっぽう、わが日本が属している、東北アジア文化圏。
この文化圏の、国家としての基本スタイルは、紀元前3世紀末の秦帝国が打ち立てた中華帝国システムです。
始皇帝の事業により始まった秦帝国のシステムは、よく知られているように、郡県制を採用した中央集権制です。
すなわち、征服した版図の全てに対して、首都から送りつけた官僚を送り込み、皇帝の手足として、上意下達の組織を作り上げる。
地方に赴任した官僚が自立してしまわないように、皇帝の目と耳である監察官(秦代には、御史と呼んだ)を派遣して勤務評定を行い、かつ厳格な法刑を全国一律に公布して、違背者には父母・祖父母・兄弟・子・孫までを殺す族誅(ぞくちゅう)を極刑とした体刑をもって、非情の運営を行う。これが、法家思想家の韓非に学んで始皇帝に丞相として仕えた、李斯の採用したシステムでした。
秦帝国のシステムは、後を襲った漢帝国によって全面的に受け継がれ、中華帝国の行政組織は、以降2000余年にわたって変化しなかったといっても、過言ではありません。
後世の重大な追加は、漢代に始まった儒教の国教化と、隋唐代に始まり宋代に完成した科挙の制度です。この稿では詳しく書きませんが、儒教の国教化は皇帝と官吏による統治に正当性を与えて、イデオロギーの補強に成功しました。科挙は、超難関であるが(原則)誰にでも開かれた、政府高官への受験制度でした。この受験制度を全国一律に開いたことによって、各地の父兄の側から、子弟を政府へ送り込むために猛勉強をさせることに熱中させることに、成功しました。中華帝国の政府高官とは、日本の官僚とは違います。それは金儲けの手段であり、一族の誰かが政府高官になれば、周囲に巨大な余沢が得られるものでした。

こうした中華帝国システムは、広域な版図を中央集権的に統治するために、極めて有効なものであったことが、後世の長い長い歴史によって、証明されることとなりました。そして、このシステムが、文化の遅れた周辺諸国にも、移植されたのです。すなわち、朝鮮半島、日本、ヴェトナムです。

今、この稿で焦点としたいと思っているのは日本とそれを取り巻く東北アジアなので、日本の歴史とほとんど相互影響を及ぼすことのなかったヴェトナムは、いったん脇に置くことにします。
日本にとって最も相互影響を及ぼした隣国とは、朝鮮半島の諸王朝と、中華帝国に他なりません。
この三地域が、揃って中華帝国の中央集権システムを、採用しました。
朝鮮半島は最も忠実に(といいながらも、かなり本場とは違った点がありました)中華帝国のシステムを導入しました。中央集権制度、儒教、科挙の三点セットは、李氏朝鮮王朝500年の間、しっかりと根を下ろしていました。
日本は、ご存知のとおり、七世紀の大化の改新以降、隋唐にならって中華帝国のシステムを導入しました。教科書で、律令(りつりょう)制度と呼ばれているやつです。ただし、李氏朝鮮のように、システムの導入が貫徹しませんでした。科挙は行われず、中央の朝廷は藤原氏ばかりが高官を独占し、地方官である国司もまた世襲になってしまいました。平安時代は、中華帝国の原則から見れば、ひどく腐敗堕落した体制でした。
日本は、結局中華帝国のシステムを、放棄しました。
源頼朝の文治革命以降、日本は地方分権的な領主システムを、独自に構築していきました。
それ以降、日本社会は隣国と毛色の違った社会となったのですが、そのために日本社会は隣国とつながりをもたず、孤立した社会となってしまいました。そして、隣国の中華帝国と朝鮮半島は秦帝国以来の中央集権システムを堅持したために、システムの外部への関心が極度に小さくなってしまいました。こうして、東北アジアの三国は、それぞれが内に閉じこもったテリトリーを持って、互いにほとんど没交渉な国際関係を、作り上げてしまったのです。文化的には、共通のものを多く抱えているにも、関わらず。書物の上では、ずっと後世に至るまで、隣国の学問芸術に対する関心が強かったにも、関わらず。

日本が含まれる東北アジア社会は、こういった過去の歴史的経過を、現代にひきずっています。
日本、韓国、中国は、互いの国が、互いの事情をよく知りません。
三国の政治は、それぞれで協調が取れず、めいめいが勝手な方向を向いて動いています。
この三国は、文化圏の外にある欧米やインドよりも、じつはずっと共有しているものがあります。
三国ともに、儒教を体で知っています。長幼の序は、西洋人には理解しがたい感覚です。礼儀を重んじる倫理観は、西洋では二十世紀に極度に衰えましたが、東北アジアでは残っています。
また、漢字を共有しています。韓国は、ごく薄く。日本と中国は、濃厚に。
私は、自分の足で21世紀以降に香港、台湾、韓国を回って、これらの地域が日本の文化と明らかに異なりながらも、共有するものが西洋よりもずっと多いことを痛感して、帰って来ました。
その詳細は私のブログ内で語っていますので、ここで書くことはしません。とにかく、私の主張の根本にあるものは、この目と耳と足を通じて知った、三国の文化の実態です。三国は、長い歴史において政府レベルでも民間レベルでも西ヨーロッパとは比較にならないぐらい没交渉であったにも関わらず、それでも手を打って感嘆するほどに多くのものを共有していると、私は思っています。
この三国が現状のように互いに孤立しているのは、政治・経済・社会の将来のために、大変な損失です。私は、大きな展望として、そのことを疑いません。ゆえに、わが日本もまた属している東北アジア文化圏が過去の歴史から背負い込んで来た、互いの国で孤立しがちなメンタリティーを、なんとかして21世紀のうちに打破できないものかと、思案を続けています。

日本人よ。東北アジア文化圏に、目を向けたまえ(3)-類ネットへの投稿

毛色の違う文化でありながら、互いを尊重して相互利益を図るのが、人間文化の「共存」というべきだと、私は思います。そのためには、ツーカーで「共認」できる、同じ文化内のプレーヤーだけと付き合うのとは違って、多少は自分の皮膚がひりひりと痛む体験を、通じなければなりません。日本人の常識が韓国人や中国文化圏の人々とそのままで「共認」できると思うのは、おそらく日本人の傲慢です。おそらく、理性による反省のフィルターを一段階通じた、相手への呼びかけと相手のメッセージの解釈が、必要となるでしょう。

それを、厭いますか。
厭って、所詮日本はS.ハンチントンが『文明の衝突』で枠付けしたがごとく、他のどの地域とも共有するところがない孤立した文明圏であると思い込んで、鎖国への道を突っ走りますか。
日本列島は、大海の中にただ一つだけ島として浮いているとでも、思っておられるのですか。
いずれ崩壊する北朝鮮の体制を、安定的かつ急速な復興に向けて尽力する政策を周到に用意しておかずに突然死するに任せたら、東北アジアはどうなるでしょうか。
過去の歴史を、見てほしいと思います。
コリア半島に激震が走るとき、過去の歴史は例外なく、大戦争となりました。
七世紀、新羅の統一戦争。
十三世紀、モンゴルの高麗侵略。
十六世紀、豊臣秀吉の李氏朝鮮侵略。
十九世紀、第一次日中戦争(日清戦争)。
二十世紀、日露戦争。6.25戦争(朝鮮戦争)。
コリア半島を取り巻く、この地域のメインプレーヤーの間には、歴史的にずっと相互不信があります。
だから、この半島がこじれると、相互不信が爆発して、大戦争となって来たのです。
防ぐ道は、きっとあります。
日本と韓国が連合して、両国の資本とマンパワーで北朝鮮を復興させるのが、最良の策であると、私は思っています。もちろん、別の枠組みも、ありえるでしょう。しかし、何よりも戦争を避けなければなりません。戦争が起こってしまえば、鎖国幻想も江戸時代回帰も、元の木阿弥と吹っ飛んでしまいます。最大の技術力とマンパワーを持った日本が、自分の属している文化圏の危機に対して、鼻毛をひねりながら昼寝をしようと試みるのは、人類史的恥辱ではないでしょうか。後世、日本はどのような謗りを受けるでしょうか。そんな国ならば、日本はカルタゴのごとく、もっと政治力のある他国に技術ごと吸収されてしまったほうが人類のためだと、私は思います。

私は、「共認」のさらに先に一歩進んで、皆様に「共存」の道を考えていただきたいと、痛切に願っています。ツーカーで分かり合えない相手にまで、付き合う道を真剣に考えなければならないのです。想像力と、忍耐力と、そして正道をもって説く普遍的な倫理観が、必要です。倫理観としては、儒教があります。仁・義・礼・智、それに信を加えた「五常」の美徳を、東北アジアの人々が分からないはずがありません。仁を私が英訳すれば、”Love”です。義は、同じく”Justice”です。礼は、”Beautiful Style”です。智は、”Knowledge”です。そして信は、”Trust”です。いずれ、別の稿でこれらの「五常」の美徳の相互関係と、その人類的普遍性について、私の意見を述べたいと思います。

「共認」によって現状の政治とマスコミの虚妄から抜け出し、真理を探究する。
それは、もちろん私も全面的に共感します。現在に生きる我々は、それをせざるをえない地点に、行き当たっています。
しかし、無反省になってほしくないです。
日本という社会を自分の視点から見出し、しかしそうして得られた認識の土台を、日本人の置かれた環境を反省することもなく肯定するところで終わってしまうならば、日本人は世界の最先端どころか、同じ文化圏に属しているにも関わらず国民だの民族だのと叫んで隣国と大戦争を二度に渡って繰り返した、二十世紀前半の欧州諸国の認識水準から、何も進歩していません。

冷や水を、掛けてしまいました。
愛をもって、そうしたのです。
よろしく、お受け取りのほどを。ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

2009年04月14日

跡田直澄『NPOの経済学』を読む

同一のマーケットで、一般企業と対等に競い合うようなNPOは、ビジネスセンスをもたなくてはならない。さらに、NPOの維持と拡充という目的のためには「自前の稼ぎ(営業収入)」、「補助金・助成金」そして「寄付」という三つの要素が欠かせない。理想をいえば、この三つがいわば三位一体となってこそ、NPOは長く存続できるのだ。(pp.43)

このように、本著では開陳されている。
しかし、そうであろうか。
私は、今の日本を見回したとき、正直申して補助金・助成金を三本足の一つとして前提にするNPOビジネスは、きわめて危険であると見る。
この財政状況、この腐れきった政治状況で、中央・地方の政府の資金を、信用してよいのか。
私は、もと役人であるから、政府が信用できないという直感を、持っている。
もし理解ある役人がたまたま担当の部署にいたとしても、そんな人は遠からず全く関係のない部署に、配置転換される。そうして、腰掛けにしか考えていない後任者が、やって来るのだ。それが、役所の掟なのだ。この掟が、根本から変わっているようには、私には見えない。
役所は、もらえるものはもらっとけ程度に、話半分で付き合ったほうがよい。
決して、ビジネスの柱として、期待してはならない。

だから、私は思う。
NPOというビジネスモデルが根本に据えるべき、三本柱は-

・自前の稼ぎ(営業収入)
・寄付金
・参加者の、自発的活動

この三つでは、ないだろうか。
Wikipediaは、定期的にドネーションを募って、多額を得ることに成功している。
それは、あの財団の事業が、全ての人に役に立っていることが、明らかに分かるからだ。
私だって、大きな恩恵を受けている。
ただ(が理想的だ。)でサービスを提供して、しかも参加者に巨大な恩恵を与えている。
ならば、mixiのようなソーシャルネットワークサービスと、Wikipediaはどう違うのであろうか。
答えは、一つ。
mixiは、開かれているが、公益性がない。
自分が参加していることが、コミュニティー全体の水準を高めていることに対する、実感が沸かない。
ゆえに、公のために寄付してくれと言われたって、「はあ?」という回答となる。
いっぽう、Wikipediaは、自分の参加が公に開かれて、利用されていることに対する実感が沸く。
私が直感するに、この両者の差の部分に、きっとNPOのための秘訣があるに違いない。

その直感が、私が第三の柱として想定したい、「参加者の、自発的活動」と連動している。
現代人は、無償の苦役を望まない。
たとえば、ボランティアの参加者に、とびきりの低賃金で長時間介護サーヴィスを割り振るようなNPOビジネスは、きっと破綻する。
そんな苦役としてのボランティアに期待する者は、甘ちゃんだ。
そうではなくて、余暇を割り振っても参加したくなるような仕組みを、提供する。
そうすれば、経済学用語でいう「効用(utility)」を活動によって得られるわけだから、参加者は「労働者」と「消費者」の合い間に立つ、あやふやな存在となる。
参加者をその状況に誘致することができれば、参加報酬はとびきり安いか、あるいは無料でも可能となるであろう。
介護サービスでも、工夫すればきっとできる。
私が考えている、外国人へのサービスならば、なおさらだ。
この国には、金を払っても語学を学びたい人間が、わんさかいる。
外国をよく知らないが、外国に興味があって、余暇を割いて接触したいと思っている人間もまた、わんさかいる。
参加した者が、"fun"を得る仕組みさえ作れば、必ずビジネスになるに、違いない。
頼るべきは、政府じゃないよ。
目の前を歩く、人々だ。
日本人は、知識過剰なのだ。いろいろ知っているが、それを活用して"fun"を得る術を、とんと知らない。
巨大な、鉱脈がありそうじゃないか?
そして、その楽しんで参加している活動が、公益につながっているという実感を持つことが、できたならば-
私は、NPOの活動を、国家の外交活動と結び付ける要素がないかどうか、思案している最中である。
自分の参加が、日本国と外国を動かすという実感を、この国の民は必ずや欲している。
そしてそれは、不可能ではないのではないか?



食事は若年だろうと高齢であろうと、人である限り毎日摂取もので、そこでは必ずお金が必要となる。食のサービスは高い経済効果が期待できる数少ない分野の一つといえるのだ。(pp.97)

著作では、NPOが入りやすいニッチとして、「安全な食材」「低カロリー」を求めるのが相場であるという高齢者への配食サービスを、例として挙げている。

食に本当に興味があって、やりたい人は、試みればよいだろう。

しかし、私は、NPOをやるとしても、絶対に食に手を着けない。

危なすぎる。
日本人の、食に対する神経質さは、近年毎月のように起こる騒動を見れば、明らかだ。
その潔癖さは、はっきり言って、病気である。
集団的病人に対してサーヴィスを行うのは、私は危険と見る。
ゆえに、私は食に手を出したくない。そこまで、思い入れが残念ながら持てないのだ。
日本人は、騒音や美観破壊行為に対しては「なんで?」と叫びたくなるほどに、鷹揚である。
そのくせ、食に関しては、風評で決め付けたり、知りもしない外国の食事に対して、平気で偏見を持って拒否している。この傾向に棹差すことは、荒波を渡るようなものだ。

跡田直澄『NPOの経済学』を読む(2)

現在の私たちにとって「寄付」という行為が、なじみのあるものとは到底いいがたい。むしろ日本人の生活に寄付という習慣は定着していないと断言してもいいのではないか。(pp139)

本書の第3章「寄付市場を創り出す」は、本当ならばこの著作の要として、爆発的な提案がなくてはならない。
しかし、実のあるアイディアは、書かれていない。
肝心かなめの論点である「NPOの事業にとって急所である、市民大衆からの寄付を、いかにして集める状況をつくるべきか?」といった点になるやいなや、上記のような慨嘆と、「企業側には社会貢献に対する意識改革を求めたい」(pp.169)のような、精神論である。言葉は悪いが、精神論で世の中が動くようならば、今ごろ日本は宣教師の熱心な努力のかいあって、キリスト教社会になっていたに違いない。

この著作では、NPOがドネーションの営業を行うために、ハーバードがやっているようにプロの営業マンを雇うべし、と言っている。

しかし、それがアピールにベストであろうか。

それよりも、寄付した人を、高知に招待したほうがよい。
高知でしか使えない、マネーを寄付者に発給するのだ。そして、そのマネーを持っていたら、よそものには味わえないマル秘サービスを、受けることができる。
同時に、高知検定をする。
検定のランクが高ければ高く、ディープであればあるほど、秘密のサービスが開ける。

せっかく、本章には地域通貨(エコマネー)のことまで言及されているのに、具体的なビジョンがないのが、残念だ。
NPOが発行する地域通貨を、国際的に交付しても、よいのではないか?
韓国人や中国人、タイ人でも、その通貨を持っていれば、日本で買い物ができるようにする。
買い物ができるのは、協賛店だ。まずは国内で協賛者どうしで流通を可能にして、いずれは海外の協賛者たちとの間でも流通できるようにする。そうすれば、いつのまにかアジアで通貨の壁が、なくなってしまう道すら、開けるかもしれない。

私は本気で思っているのですが、日本と韓国は、地球上でミドルクラスがいちばん過ごしやすい国では、ないだろうか。
安くて、質の良いサービスが得られる社会は、この両国だけだ。
たとえば香港では、どうか。あるのは、高くて質の良いサービスと、安いが悪質なサービスだけ。
欧米も、そうなのだ。
日韓両国が、世界にぜひともアッピールすべき美点は、そこそこの収入でも、豊かな暮らしができる社会。これじゃないかと、思う。
それは、市井のひとがちゃんと動いてくれて、他の土地では金を払わないと得られないサービスが、この両国では空気のようにタダでもらえる。だから、貧しくても豊かなのだ。
MBA修士とか、プロの営業マンとか、リサーチの権威なんぞ、いらない。
市井のひとびとのおもてなしの心を、活用する道を考えようではないか。

2009年04月15日

跡田直澄『NPOの経済学』を読む(3)

仮に企業や篤志家にとって、寄付を出しやすい制度があれば、寄付市場は育つはずである。ここでいう制度とは、国の政策の一環を指す。 日本社会において、寄付を出しやすい制度を作るのは国の仕事であって、NPO業界の力がそこを動かしていくまでにはまだ至っていない。何せ日本人は、過去において一度たりとも真の意味で民主的な手段によって自らの制度を獲得した経験がない。(pp.202)

本書が出版されたのは、奥付によると、2005年9月30日。
まだ、小泉幻想が、日本国内に蔓延していた時期であった。
それから、三年半経った。
残念ながら、日本の政治は、もうだめだ。
自民党と制服組が仕組んだテポドン偽騒動に、国民は見事に踊らされてしまった。
そして、これも自民党がハメたことが明らかな小沢氏秘書逮捕騒動に、国民は乗せられて知事選で民主党を負かしてしまった。小沢を取り除いた後の民主党は、自民党にとって怖くない。これから自民党は、国民に対外的危機感をあおりたてて、有事の政党として自らをアッピールする戦略を立てるに違いない。腐った政党の自己保存作戦に、国民はずるずると引きずられている。もう、政治に未来はない。

韓国で会って、日本で再開する予定であったのが、残念ながら来日することができなかった一人物が、私に対して言った。

「日本は、これから十年の間に、レボリューションを起こさなければならない。起こさなければ、沈没するよ。」

まさに、その通りだ。
だが、永田町は、レボリューションの拠点となり損なっている。
2009年のいま、国民は政治に期待して、活動してはならない。
絶望から始めたほうが、後でひどい目算違いを味わわずに済む。残念ながら、それが2009年の現状だ。

よって、政府に寄付市場を作ってもらうなどと、期待してはならない。
腰抜けの日本大企業に、何ができるものか。
少なくとも私は、聖書か論語を読んでいない経営者を、信用できない。MBAの学位を持とうが、企業組織の表も裏も知っていようが、これらの倫理書を心に留めていない輩は、志としてムラの倫理を抜け出して、公について義務を果たす感覚を、持ち合わせているべくもない。

また、政府が民活を進めてPFI(Public Finance Initiative)の範囲を革命的に拡充し、篤志の民間団体に活動資金を下ろしてくれるとかの期待を、持ってはならない。今の役所を、自民党政府が、解体できるものか。

むしろ政府から逃げて、政府の裏をかき、政府を公然とだます戦略が、我々には必要だ。



奈良まちづくりセンター(NMC)は、現在の日本のNPO業界の中でも着々と活動を拡充させている最も活動的なNPOの一つである。(pp.222)

このように、本書で明るい事例として称えられているNMCは、現在も活動中である。
私は、NMCのホムペを、googleで検索して、年度事業報告書を読んだ。
ひとことで言って、停滞している。
たぶん、このままではこのNPOに未来はない。
「笛吹けど踊らず」で、企画したイベントに対する、市民の食い付きが悪い。
私は、NPOの活動などを見て、いつも思うのだ。
「企画して市民を集めたはいいが、この人たちは十年後に、こんなことを覚えていてくれるのだろうか?」
NPOが公益のために、公共の場を改善するためのミッションであるならば、市民の心になんにも残らないイベントや企画をいくら立ち上げたって、真夏の線香花火ではないか。
何か重要なものが、足りない。
各事業を貫く、強靭なコンセプトが足りないように、見えてならない。

目的とすべきミッションには、猛毒が含まれているべきではないか。
たとえ、具体的な活動が、明るいものであったとしても。
だから、日本の宗教法人は成功し、日本のNPOは失敗する。
宗教をやれとは言わないが、ミッションのための主要敵を想定して、それを正すことを究極の目的としたほうが、会員のインセンティブとして、よいのではなかろうか。
このNMCは、奈良をどうしたいのか。
奈良の何に、不満なのか。
魯鈍なくせに口を出す行政や、目先の営利しか見ようとしない企業や商店街組合は、敵ではないのか。だったら、どうして戦わないのか。愛を持つことと、馴れ合いは違う。日本社会のぬるま湯が、NPOから戦闘力を失わせているのでは、なかろうか?

本著作は、NPOに対して、企業たれ、ビジネスたれ、と呼びかけている。
ならば、戦えと、呼びかけるべきであった。
戦って、日本政府を滅ぼせ。大企業を、滅ぼせ。
滅ぼす希望は、NPOにしかない。
言い過ぎで、あろうか?

黄順元『日月』

人間のジャングル。互に酒を酌み交わすときだけは、いとも睦ましげに振舞っても、一旦自分に不利と見て取ると、いとも無関心な他人になってしまう世界-、仁哲はその魅力にひきずられてここの常連になったのかもしれないと自分で思った。(pp320)

わが早稲田大学英文科出身の作家、黄順元(ファン・スンウォン)の長編、『日月』を読了。例によって、冬樹社『現代韓国文学選集』の訳を読んだ。

本作の基本テーマは、白丁(ペッチョン)と呼ばれる被差別階級を出自に持つ主人公の、周囲に起こるドラマである。
白丁とは、李朝において牛の屠殺解体を生業とした集団であり、わが国の「えた」階級との類似がしばしば指摘される。
韓国人は日本人と違って牛肉を常食する習慣があるために、牛の解体という職業の需要は、日本よりずっと多かったと推測される。しかし、本小説でも結局その出自や分布状況がはっきり示されていないように、歴史的な実態は、今となってはよく分からない。わが「えた」階級に比べて、どれほど社会内での差別が深刻なものであったのかも、外国人である私には、よくわからない。

しかし、この物語において、主人公の仁哲の一族が実は白丁であったというテーマは、物語全体においてあくまでも寿司ネタの一つにすぎない。島崎の『破戒』のごとく、このテーマを中心にどすんと据えて重々しく展開するような、迫力を持たせた書き方ではない。むしろ、作者が英文学専攻であったところからも嗅ぎ取れるように、イギリス小説の淡々とした人情劇の積み重ねが、この小説のメインなる味わいといえよう。

結局、主人公の仁哲が、多恵と美奈のフタマタかけたうらやましい奴で、うらやましい境遇のくせに、知らなくてもいい自分の父親の出自を見つけて悩み、結局美奈が自分の祖先を許して、ハッピーエンドとなる。物語全体として、悲しみは最後に用意されているが、深刻さはない。これが白丁という存在が韓国ですでに忘れ去られた存在となった歴史の反映と見なすべきなのか、それともこの物語の中だけの理想的状況なのかどうかは、外国人である私にはよく分からない。

この物語の登場人物は、じつによく酒を飲む。

「馴染みの店らしいな」
起竜が店の中を見まわすでもなくそう言った。
「そう見えますか?」
「路地に入ったときから体じゅうがここの雰囲気に溶けこんでいたよ」
仁哲は笑った。(pp384)

この書き手は、酒を知っているな、というところがわかるくだりに、ちょっとニヤリとさせられる。
仁哲といとこの起竜がサシで飲むシーンで繰り返し出てくる、やかんの中の酒は、きっとマッコリであろう。そして、仁哲や美奈、それに芸術家仲間たちが集まる居酒屋で饒舌な会話中に飲まれるのは、薬酒(ヤッチュ)だ。美味そうだな、と喉を鳴らしてしまう。

「ところで、あんたの顔色、前より良くないな。無理して酒飲むことないんじゃないかな。酒に頼るってのは一番拙いやり方だよ。もちろん酒の方でもそれを受け付けてくれないしね。」
起竜は近ごろの仁哲の心境を見抜いているような口ぶりだった。(pp383)

この物語も、キリスト教が出てくる。韓国の作家にとって、キリスト教はマッコリか薬酒のように、なくてはならない道具なのだろう。しかし、信仰について、大して掘り下げてはいない。まあ、これで終わらせた方が、アジア人としては無難だろう。取り上げたテーマに比して重さはない小説であるが、結構楽しく読むことができた。

2009年04月16日

崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』

反日の的は日本ではなく、あくまでも韓国人の親日である。解放後、独立国家として韓国は国造りに尽力し、反日を利用したといえる。、、、国民国家を作るには反日的民族主義が必要であった。(pp.49)

著者は日本で教鞭を取り、1945年8月のサハリン朝鮮人虐殺事件の研究などの仕事を行っている、大学教授である。
さすがに、「文化人類学」を著作の表題として掲げただけの、ことはある(著者の専門は、韓国民俗学)。
上の引用の箇所は、現代韓国の「反日」へのこだわりの、根本的心理要因を、ずばりと突いている。

しかし最近の若者は植民地の体験や経験もないのに反日感情が強いのはなぜであろうか。巨文島のとなり村に住んだ人たちは巨文島の人たちを植民地の手先だといってそこに住んだ韓国人を憎み、反日感情を持つようになったのか。それは特に戦後のナショナリズムが強い学校教育やマスコミなどによって植民地をより悪く認識するようになったからであろう。(pp123)

崔氏が行った、巨文島(コムンド)における植民地時代の経験者たちに対する聞き取り調査を報告した章の中の、一文である。
もちろん、限られた人間に対する聞き取り調査であるから、その内容だけで戦前の韓国人の対日感情の実情を推測することなんぞ、できはしない。
だが、調査者である崔氏の目には、戦前の巨文島(この島は、とりわけ日本人が多く住み着き、戦前には日本式の漁業によって大いに繁栄していた)での日本人と韓国人との関係は、善悪の衝突であるかのような徹底的対立の構図からは程遠いものであったようだと、写ったようである。おそらく、もっとニュアンスに富んだ、複雑な両国民の関係であった。
それが、善悪対決の構図にまで神話化されたのは、戦後の教育宣伝が寄与した面が大きい。
ゆえに、崔氏はむしろ戦後の若者たちのほうが、ずっと反日的であると指摘せざるをえなくなった。
他国を貶めて自国を称揚するナショナリズムは、国民の創生段階においては、致し方のない偏向である。げんに、日本もそうであった。
反日を神話として信奉している戦後生まれの世代がすでにほぼ全人口を占めている現代の韓国において、彼らの信念が変わるのは、結構難しい。韓国もまた、今や少子高齢化なのだ。一番人口が多い中高年世代は、容易に己が親しんだ常識を変えられないだろう。何か従来の外交とは違ったアプローチが、両国間の関係改善には必要なはずだ。それを考えて、実行に移さなければならない。

2009年04月17日

崔吉城『「親日」と「反日」の文化人類学』(2)

日本人が風水を積極的に利用したという見方には、日本政府が朝鮮人に、偉い人物が出ないように風水上の龍脈を切ったのであるという言説が常に存在する。(pp146)

本書第4章は、金泳三政権が1995年に行った、旧朝鮮総督府破壊政策についての考究に割かれている。
風水(プンス)は、韓国人からなかなか消えない、しぶとい迷信である。
中国から、輸入された。
韓国では、高麗(コリョ)時代に、大流行した。
李朝は儒教一尊の国是として、儒教とは何の関係もない風水に対して、警戒した。しかし、民間の習俗の間では、衰えもせずに隆盛を続けた。「風水は明堂という所に先祖の墓や住宅を建てるとその地気により幸福になるという信仰であり、、、たとえば甲が風水にある吉地を乙の墓地で探して乙に秘密でその墓地に闇葬したのが乙に発覚し闘争が起こる。これを『山訴』という。」(pp142)

迷信といえども民族文化であるから、外国人が韓国人の風水信仰に対して、とやかく口を出すいわれはない。
しかし、本章で問題とされているのは、金泳三政権下で反日世論を煽るために登場した言説の中に、日本が風水を悪用してわざと龍脈を断つ意図で総督府を建てた、というものがあった点である。
これは、著者も疑問を持っているように、明らかにおかしい。
日本人には、風水思想はない。
この騒動の中で浮かび上がった韓国人の意識を見ると、どうやら彼らは日本という外国のことを、外国として突き放して理解しきれていない、という事情があぶり出されてくる。
彼らは、「韓国人の常識、外国では非常識」の点を、十分に理解できていないようだ。だから、日本人が風水を知って利用したという、見当違いの主張が堂々と現れる。彼らは日本人と同様の、病気にかかっている。

私個人の意見としては、旧総督府破壊などの日帝時代残渣の破壊行為については、賢明な政策であるとは言いたくないが、それで鬱憤が晴れるならば、人が傷つかない限りご随意にどうぞ、と言いたい。戦争よりは、はるかにましではないか。(ただし、今も行われている「親日派」狩りは、関係者を傷つけるものである。私は、これに関しては旧総督府と同じスタンスを取ることができない。)

麗水会は植民地時代に韓国全羅南道麗水市地域に住んでいて引き揚げた人びとの組織団体である。、、、会員は千七百人である。(pp248)

日本には、麗水会のような、旧植民地から引き揚げてきた人々の親睦団体が、いくつか存在している。敗戦から、すでに六十五年。当時尋常小学校卒業時点の年齢ですら、皆さんは今や八十前である。間もなく、戦前の引揚者たちの記憶は、地上から消滅する運命にある。
本書終章の末尾に、「橋渡し役の引揚者たち」という項目で、例として戦前に麗水(ヨス)で暮らしていた人々の集まりが、言及されている。「彼らは朝鮮半島や韓国とは直接的な関係はなくてもよい。懐かしさと自己アイデンティティのために集まるのだといえる」(pp252)と評しながらも、「しかし国際化時代になり、彼らも韓国との関係をより近く感じるようになった、、、引揚者は日韓関係の橋渡し役、日韓関係のよきアドバイザーとして存在しているのではないかと考えられる」(pp252-253)と、しめくくっている。

戦後長らく冷え込んでいた日韓関係の前には、植民地時代があった。
本書にも言及されているように、巨文島への日本人の最初の殖民活動は、日露戦争時に行われた日韓協約に基づいて、連合艦隊の戦艦の後に着いて行ったところから始まった。当初は、現地人の襲撃を恐れて、家が完成するまでは穴ぐらで隠れて寝泊りしていたという。
これからちょうど十年前に、植民地となった台湾に乗り込んでいった日本人教育者たちが、士林(シーリン)の現地村民たちの襲撃を受けて皆殺しに会った状況と、そっくり同じである。これら「六氏先生」は、後に神として祀られ、台湾住民の子弟に参拝が義務付けられた。
韓国でも台湾でも、大状況は日本の植民地化であった。たとえ日本人と現地人との関係が、後世の神話によって宣伝されたものとは裏腹に、それほど対立的ではなかったとしても、日本人が勝者として植民活動を行った点には、変わりがない。その総仕上げが、韓国人や台湾人を日本人に解消してしまおうとした、皇民化政策であった。

皇民化政策は結局敗れ、大日本帝国は清算された。
覆水、盆に返らず。
済んでしまった現在では、いくら皇民化政策が植民地の民を同胞に格上げするための善意から出た政策であったとわが側が強弁しても、始まらない。韓国も台湾も、今は外国である。外国でなかった時代の記憶は、間もなく消えてしまう。今目の前にあるのは、植民地政策に対する後進の者たちが抱く憤りと、戦後に積み上げられた神話が作り上げた、対立のわだかまりだ。
我々の世代は、ノスタルジーから始められない。
結局、引揚者たちはかつて持っていた韓国人とのつながりを、時の流れとともに完全に失ってしまった。
内向き指向の、両国民だ。
こうなるのが、民族性であった。
しかし、これから先の時代は、両国民の「内向き症候群」に立ち向かって、パイプを広げていかなければならない。
それが、後進の者たちの、義務ではないか?

2009年04月18日

韓洪九『韓国現代史』

私が読んでいるのは平凡社から発行された訳書であるが、原著の『大韓民国史-壇君から金斗漢まで』は、2003年2月7日にハンギョレ新聞社から出版されて、ベストセラーとなったということだ。ただし、3万5000部でベストセラーと、監訳者は言っている。日本の常識から言えば、ずいぶんに少ない。この著作が、大衆的にどれだけ評判を獲得したのかは、よくわからない。本書は、韓国で猛威を揮っているネチズンの言動にまで、影響を及ぼしえたのか?そもそも、韓国のネチズンたちは、本書のようなしっかりした歴史書を、どれだけ読んでいるのだろうか?

韓国に来て、あるいは韓国に来る前に移住労働者らが最初に覚える韓国語は、「テリジマセヨ・ヨッカジマセヨ・ウリドサラミエヨ(ぶたないでください。怒鳴らないでください。私たちだって人間なんです)」だといいます。さらに「ウォルグブン・ウェー・アンチュウォヨ(給料は、どうしてもらえないのですか)」のような会話を、実際に彼らの使う韓国語教材に載せざるを得ないことが、単一民族国家韓国の現状なのです。(pp.74)

檀君神話を批判的に書いた一章の中から、引用した。
檀君祖父様(タングンハラボジ)は、紀元前2333年に即位したとされる、韓民族の始祖である。彼らが全て壇君祖父様を始祖としているという神話が、彼らの中に日常レベルで存在している。
その、単一民族であるという自己イメージが強い彼らは、余所者に対してどれだけ寛容であるか?
上の引用が、どれだけ真実を写しているのかは、知らない。
しかし、「때리지마세요、욕하지마세요、우리도 사람이에요」「월급은 왜 안줘요?」という言葉は、ただごとではない。もしこれが実態ならば、彼らは国際社会に生きる資格は、いまだない。韓国人が、ロシアや中東で活躍し、アメリカで大きなコロニーを作っているにも関わらず、国内でこんなありさまでよいのか。
同じである。日本と、全く同じ病気が、かの国をむしばんでいるに、違いない。


解放直後には、日帝残滓の清算が必ずなされるべきだという民族的合意が確かに存在しました。朝鮮民族の歴史が、日帝残滓の清算ができなかったからねじれてしまったのか、それとも民族史の展開過程がねじれてしまったために日帝残滓が生き残って再生産されたのかについては、見方によって意見が分かれるかもしれません。しかし、韓国社会に親日派が生き残ったことは明らかなことです。しかも、単に生き残っただけでなく、自分たちの恥ずべき過去を徹底的に隠蔽できる権力を握って、たくさんの民間人虐殺の墓の上に生き残っています。(pp.104)

韓洪九氏は、現代韓国における、「日帝残滓」「親日残滓」の清算について、「韓国社会で生じたすべての問題を親日派のせいにするのは行きすぎだと言わざるをえません」(pp108)と評しているものの、かといって親日残滓の清算が韓国に不必要であるなどというスタンスでは、全くない。「親日病はしかるべきときに完全な治療ができなかったために重くなり続けました、、、親日派は権力を握り、親日という恥ずべき過去への反省が行われないままに徹底的に隠蔽されました。」(pp107)

韓国では、建国時点で親日残滓が完全清算されず、権力の中枢に居残り、独裁政権を打ち立てて民衆を虐殺した。あまつさえ、李承晩を追放した後に独裁者のイスに座った朴正煕は、かつての通名が高木正雄であり、陸軍士官学校を卒業して陸軍少尉に昇った過去があった。彼は李承晩政権の反日政策を180度転換させ、日本と国交を回復し、日本資本の導入による経済成長時代をスタートさせた。彼の国内政策のモデルは、「池田内閣の所得倍増政策であったともいわれる」(崔吉城『親日と反日の文化人類学』pp68)。

崔吉城氏の指摘と、韓洪九氏のスタンスが、平仄を合わせている。
日帝問題、親日派問題とは、じつは国内問題なのだ。
自らの国の過去と、現在の権力の正当性を問い直すとき、「清算」がなされなかったし、今もなされずに大手を振ってまかり通っている、という筋道の論理が取られる。
だから、韓国では、良心をもって体制を批判しようと試みると、「日帝残滓」「親日残滓」を叩きのめす、というスタンスとなってしまう。

ヨーロッパで、ナチスの亡霊を叩く風潮が、いまだにある。
現ローマ法王がかつてヒトラーユーゲントに加入していた事実が報道されて、いっとき大騒ぎとなったことがあった。結局のところドイツ人の子供であるかぎり、当時を生きていれば強制加入なのであったから、冷静に議論されて落ち着いたのであるが。

そのナチスの亡霊叩きと、親日残滓叩きは、どこに相違点があるか。
違いは、ヨーロッパにおいてはナチス・ドイツと現在のドイツ連邦共和国とは別の存在であるということが共通認識として確立されているのに対して、韓国では過去の日本と現在の日本が、ややもすればはっきりと区別されていない点にある。

彼らは、現在の日本に対してもまた、警戒する。
靖国問題や、在日韓国・朝鮮人に対する迫害など、警戒されてしかるべき点もまた存在することを、私は否定しない。
しかし、現在の日本の文化にまで不信の目を向ける姿勢は、どうしたことであろうか。
韓国マクドナルドのパッケージには、世界各国の言葉で"I'm lovin' it"のキャッチフレーズが書かれているにも関わらず、いちばん重要な隣国であるはずの日本語が、ない。
国内問題として「親日残滓」を糾弾することは、姿勢としては分かる。(具体的にそれがレッテルを貼られた人々への集団的リンチとなっていないかどうかが、心配である。)
しかし、現在の日本国に目を向けようとしない彼らは、大きな損失をこうむっているのではないか?
日本人にとって韓国・台湾・中国の文化ほど、わかりやすい文化はない。
同じように、韓国人にとって、日本文化ほど、わかりやすい文化はないはずなのだ。
もっと互いの国が、隣国をよく見てほしいものだ。私は、それを願う。

2009年04月19日

韓洪九『韓国現代史』(2)

民間人虐殺の事実と同じくらい酷いのは、全国津々浦々で一〇〇万人余りの犠牲者が発生したにもかかわらず、われわれがこの虐殺に対して知らないふりをするか、本当に知らないまま半世紀をすごしてきた点です。同じ空のもと、このような酷い出来事が埋もれたままになっている事実に背を向け、あるいはまったく知らずに、われわれは食べて飲んで寝るという日常生活をしてきました。数十万人の死に五〇年間も背を向けてきた韓国社会の構成員全員が、虐殺それ自体ではなくとも虐殺隠蔽の協力者になったことで、人間としての道理をはたすことはできなかったのです。虐殺の嵐が広く全土を覆ったこの地で、被害者も加害者も、遺族はもちろんのこと、韓国社会のすべての構成員は皆まともな人間ではあり得なかったのです。虐殺とはまさにこのような問題であり、われわれが再びこの地で虐殺が起きないように努力しなければならない理由もそこにあるのです。(pp129)

済州島(チェジュド)の四・三事件、麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件、保導連盟員や獄中左翼の当局による虐殺、KoreanWar勃発直後に起こった米軍による老斤里(ノグンリ)虐殺事件、、、
戦後の韓国史を、著者は「熱いフライパンから出たら、火のなかだった」(pp140)という言葉で表す。熱いフライパンとは、日本による支配。火の中とは、その後に起こった虐殺、戦争、独裁の連続の歴史である。

「義を見てせざるは、勇なきなり」(論語・為政篇)という、言葉がある。

これまでの歴史で隠蔽という悲惨を受けて来た残虐な過去を、あえて明るみに出して戦後史を問い直す。
それは、人間の権利を愛し、多くの遺族に同情の意を持つ者ならば、当然湧き上がる正義感であろう。著者もまた、そうである。だから、韓国人と韓国政府に対して、過去を隠蔽するな、問い直せと、本書は呼びかけているのである。
日本では、戦前からうやむやのままに引き継がれた戦後体制への問い直しの運動は、六十年安保の敗北とともに、国民レベルでは消滅した。その後の学生による反体制運動もまた、七十年代にはほとんど鎮火してしまった。忘却によって日本人が得られたものは、高度成長の結果としての日本史上未曾有の物質的繁栄であった。
韓国もまた、高度成長を経験した。今や、先進国レベルの生活水準に、近づいている。
それとともに、80年代まではいまだ盛んであった市民・学生の異議申し立ての運動もまた、沈静化しているのであろうか。現在の韓国では自分の口に入る牛肉輸入問題については狂熱的となるものの、韓国史の問い直しについて燃え上がるような気運があるようには、どうも見えない。

韓国人も、日本人同様に、過去を忘れ去る時代が来るのだろうか。
それとも、身を切るような作業となるに違いない自国の恥ずべき歴史への斬り込みに躊躇した結果、批判しやすい対象として親日派や日本社会への批判の動きを、ますます強めていくのであろうか。
後者よりは、前者の方が日本人にとってまだしも憂鬱でないことは、明らかだ。
本書の著者の訴えはまことにもっともであるが、現実の韓国社会に呼びかけが通じるかどうかは、私にはわからない。

ところで、ささいなこと。
本書の中で、「弱者や少数者の人権を尊重しなければならないというのは、孔子の言葉でもあります」(pp145)と書かれてある。
いったい、これは孔子の何の言葉について、言及しているのであろうか。
確かに孔子や、それを受け継いだ孟子の思想には、社会的弱者を為政者はまっさきに保護しなければならない、という仁政思想がある。「鰥寡孤独」、すなわち男女のやもめと身よりなき老人と親なき孤児は、仁政者がまず政治により保護する対象なのである(『孟子』梁恵王章句下)。
しかし、「少数者の人権を尊重する」と著者が言及するとき、いったい孔子・孟子のどこの思想のことを、言っているのであろうか?
孔子は、「異端を攻(おさ)むるは、これ害あるのみ」(『論語』為政篇)と言っている。また、「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」(同、泰伯篇)と言っている。
孔子の後継者である孟子は、絶対自由至上主義というべき思想家である楊朱、四民平等主義である農家、兼愛思想による社会改造を標榜する墨家などの論客を、儒教のドグマに対立する異端として、片っ端から叩きのめした。そこには、異なった思想であっても尊重するなどといった姿勢は、ほんのかけらすらも見られない。

もし、著者が「少数者の人権を尊重する」と言うときに、近代社会的な各人の自由を尊重すべしという人権思想のことを想定しているのであれば、孔子や孟子の思想が、自由主義的な要素があるはずがない。儒教とは、決まったドグマが存在していて、それからの逸脱を厳しく排斥する思想なのだ。たとえそのドグマが、主観的には善意に満ち溢れた仁政思想であっても。

孔子や孟子を自由主義的人権思想家などと、考えることは私にはできない。筆者は歴史学者であるのに、少し疑問に思う、本書における孔子評価である。

2009年04月20日

韓洪九『韓国現代史』(3)

姜教授は、韓国の数少ない北朝鮮研究者の一人であり、私も金日成の抗日武装闘争の研究で博士号を取り、大学で「北韓[北朝鮮]社会の理解」という科目を教えています。(pp162)

作家の井沢元彦は、「日本は国際平和の実現が国是であるというのならば、どうして日本の大学には戦争研究の学部がないのか?」と言った。言霊のごとく平和がいいねと唱えるばかりで、ではどうやれば国際平和が実現できるのかという真摯な分析と提案を何もしようとしない空想的平和主義者たちへの、揶揄的批評である。平和を実現するために戦争の原因とその防止策を研究せよ、という主張は、残念ながら今の日本ですら主流となっているとは言い難い。

著者や姜禎求(カン・ジョング)東国大教授が、韓国で数少ない北朝鮮研究者であると、著者は書く。
異様な、ことでなかろうか。
今後統一までもプログラムとして書かなければならないことは、韓国として分かりきったことだ。
なのに、韓国では北朝鮮を研究する学者が、数少ないという。
将来の自国に対して、それでは目隠しをして走っていくようなものではないか。韓国は、統一が国是となっている北の片割れに対して、冷静に分析する視点を、現在においてすら何も持っていないのではないか。
これでは、空想的平和主義ならぬ、空想的統一主義ではないか。


連邦制とは、南北相互がすでに確立された体制をそのまま認めながら統一を模索しようという案です。事実、武力によって一方が他方を征伐する戦争による方式を除けば、そして東欧で見たように体制が自滅の道を選ばなければ、われわれに残された選択肢は永久分断の道か、それとも相互の体制を認めた基盤の上で統一を追及する道しかありません。(pp167)

北朝鮮をよく研究している著者ゆえに、上のように主張するより他はない。
吸収併合の道は、北の体制がすなわち消滅するということである。著者は、それが非現実的であると考える。ゆえに、連邦制の将来となる。それは、北朝鮮がすでに提案しているプランである。韓国政府もまた、受け入れるべきであると、著者は言うのだ。現在韓国政府は、いまだに連邦制の選択を取るにまで至っていない。韓洪九氏の将来案は、姜尚中(カン・サンジュン)東大教授の案と、だいたい同じである。姜教授はさらに国際関係も視野に入れて、半島の永世中立化のプランを、併せて提案しているところである。

私は、韓洪九氏の考えは、少々甘いのではなかろうかと、考えている。
南北の人たちは、別民族でも何でもない。
北の平安道や咸鏡道が先祖の故地である韓国人は、いっぱいいる。KoreanWarで南に逃れた、人たちだ。親子や親戚が北と南で別れて暮らしている家族も、無数にいる。両国は血でつながっていて、政治だけが人の流れを押し止めている。
もし、将来に向けて南北が統一されるという展望が、具体的に見えた日が、来たならば。
私は、その次の日に、ハンガリー・オーストリア国境が開かれた89年の事件が繰り返され、ベルリンの壁崩壊に相当するであろう板門店消滅が続いてすぐに起こるのではないか、と危惧する。
それが、人民という正直な生き物の、自然な動きではなかろうか。
それが準備なしに起こったら、どうなるか。
恐ろしい混乱が、半島で始まるのは、目に見えている。
一時の興奮が収まったとき、韓国は二千万人の極貧でビジネスを全く知らない民を、背負い込むという悪夢が現実となったことを、知るだろう。
それに、半島は耐えられるのか?
耐えられなかったら、どうするのか。
そのとき、日本が鎖国して、知らんぷりしていたら、どうするのか。その可能性は、今のままでは高いのでありますぞ。
私は、連邦制には反対である。
結局絵に描いた餅となるに違いない、と予測する。速やかな吸収合併に追い込まれるしか、道はない。
それに、東北アジアは備えていない。
私の憂慮が杞憂であるということを、南北半島問題を扱う研究者の皆様は、どうか示してほしい。
あまりにも、今の韓国は将来に対して、観念的な統一幻想ばかりに終始して、具体的に頭と心を鍛える努力を怠っているように、見えてならないのだが。

2009年04月23日

韓洪九『韓国現代史』(4)

しかし、過去数年間、安保、安保と叫んで国家予算を湯水のように使っておいて、また、経済力において北朝鮮の二五倍の規模になった今日でも、駐韓米軍がいないとすぐ戦争になるかのように大げさに言うことはとうてい理解できません。(pp281)

本日、いちおう読了。
私は、まだ現代韓国人の対外国観について、十分に理解できたとはいえない。
著者が「反米感情くらい持ってはどうですか」と題した一章を割いて、軍を駐留させ続ける米国に対する学生たちの時に死をもった抗議行動を称揚して書き付ける筆致には、わが沖縄における反米闘争と同じ、基地の現場から来る熱さがある。韓国における米国は、日本の自民党に対する生暖かい援助とは違い、韓国では露骨な独裁政権の権力の後ろ盾として結果的に結託していたという、歴史がある。

ゆえに、筆者は「反米感情ぐらい持ってはどうですか」と示唆し、反米デモを行う若い世代たちを頼もしげに評価するのであるが-

上の引用に見られるような筆者の国際政治に対するセンスは、残念ながら私をうなずかせるものではない。
韓国は、周囲を取り巻く四大列強-米国、日本、中国、ロシア-と、どのように付き合うべきだと、言うのであろうか。
米国が退けば、その後に中国が押し出してくるまでだ。それは、力の原理というべきものだ。いくら韓国が軍事的に増強したといっても、軍事の相手とすべきはもう、北朝鮮ごときではない。米国と綱引きを望んでいる、中国なのだ。ロシアなのだ。これら列強に、韓国が単独で立ち向かえるとでも、いうのであろうか。
本当に半島を中立化したいのならば、上の四大列強の間を取り持って、時には手玉に取るほどの辣腕をもった外交家が、韓国に現れなければならない。
著者は、歴史家として檀君から高麗、李朝を経て日帝強占期まで韓国の歴史を縦横に引き合いに出すのに、不思議なことに本書では新羅(シルラ)の歴史について、言及されてない。
韓国が自国の歴史に学ぶべきは、烈士たちではなくて、むしろ新羅の太宗、金春秋(キム・チュンチュ)なのではないか。
太宗は、百済・高句麗に圧迫されていた自国の運命を、即位すると当時おそろしい勢いで超大国化していた大唐帝国の臣下となることによって、逆転させようとした。そのためには独自の国制を捨てて唐を模倣するなど、なりふりかまわなかった。
太宗の目論見は見事に当たり、百済は手もなく唐によって滅ぼされた。百済の同盟国であった日本も、唐と新羅の連合軍によって白村江の戦で惨敗し、以降日本は半島政治から手を引くことになった。
高句麗までも滅ぼした後、新羅は一転して半島から唐軍を叩き出すための戦に、打って出た。すでに太宗は死に、後継者の時代となっていたが、彼らは対唐戦争を戦い抜いて、半島の独立をついに勝ち取ったのであった。

韓国は、太宗と新羅の統一史からこそ、学ぶべきなのではないか。
少なくとも彼らは、自国がまだ弱いことを知っていた。そして、外国の力を使うためには、面子すら一時的に捨てることも、やってのけた。現実の力関係を見抜いて、それを自国にプラスに持っていくための、冷静かつ大胆な外交戦略であった。
ハートが熱いのはよいが、ヘッドは冷たくなければならないと、私は隣国に思うのであるが-

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