山ざくら 世を儚みても 散るは散る
Vermouth&Gin
一日が宙に浮いてしまった、満開の日曜日。
京都は、どこにいっても桜、桜。
試しに写真を撮れば、もう全てが被写体になってしまう。
高瀬川の葉桜など半刻見れば飽きるが、この一週間だけは、一瞬が万金となる。
当今洛邑鐡車喧
千里行來角逐轅
柳橋桃桜招遠客
弥空過數一軒軒当今洛邑、鉄車喧(かまびす)し
千里を行き来して 轅(ながえ)を角逐す
柳橋、桃桜、遠客を招くも
弥(いよいよ)空しく過ごし、数えるは一軒軒
京都、円山のお宿、「吉水」。
東山三十六峰の麓に位置する、洛東の奥座敷。
奥座敷と言いましても、円山公園から歩いて数分である。
山と河が渾然一体となる、美(うま)し里の京都ならではの、立地である。
書斎のような、部屋の中。
書き物をするに、まことに結構である。
TVがないのは、TVを観ない私にとって理想的な環境であるが、ただしインターネットがワイヤレスで、特殊なデバイスをノートパソコンに付けていないと接続できないのには、困った。
夜、行政書士の夕映舎氏と、ワイン一瓶を片手に、夜桜見物に出る。
旅館の前にも、桜の木々。
私は、懐から俳句帳を、出した。
「-詠まんか?」
私は彼に紙を渡して、一句を出した。
花煙幕 奥には遠くの おぼろ月
Vermouth&Gin
夕映舎氏は、コップ片手に小考した後、私に見せた。
遠い地鳴りのような嬌声 ソメイヨシノの 幹に浸み入る
夕映舎
山の下から、花見客の歓声が聞こえてくる。
夜通しとはいわないまでも、巷の夜桜の会は、始まったばかりだ。
こんなふうに、私は夕映舎氏と、ゆくゆく歌を詠みながら、下に歩いていった。
白ぶどう酒と桜 嘗めて 飽くなき自我像 かたどる
夕映舎-西行を想ふ-
人騒がす 咎つくっても 夜は桜
Vermouth&Ginブルウシート 花の夜に咲く 不調法さよ
夕映舎交尾の春 変わらぬさざめきに 日の丸の影
夕映舎
長楽館。
日本のタバコ産業の草分け的存在である村井吉兵衛の屋敷であり、明治建築である。
長楽館という名は、伊藤博文の命名。
-長楽館-
近代を 忘れるべきか 酣の春に
Vermouth&Ginきらら電飾 桜と競うかな 長楽館
夕映舎美というもの 私なの?決められたものなの? 長楽館のかげ
夕映舎
大枝垂桜。
ただし、この桜は何代目かである。
以前の桜はもっと大振りであったが、残念ながら枯れてしまった。
新世代の枝垂桜は、これからもっと元気となるのだろうか。それとも、これが精一杯なのであろうか。いずれ、時の経過が、生命のなりゆきを示すことになるだろう。
格好よく 生きるのは難(むずか)し この花の前で
Vermouth&Gin
かがり火が、夜桜の合間に焚かれていた。
火は、人間の本能に、直接訴えかける。
瞬一秒 同じ刻なし 桜刻
Vermouth&Gin先代よりも きまじめなのかな かがり火の 煙にけぶる 円山桜
夕映舎かがり火と 酔う枝垂桜 龍馬像
夕映舎
脇に龍馬と中岡慎太郎の銅像があったので、詠まれた句である。
茶店で、私は燗酒をあおり、夕映舎氏はきつねうどんを食べた。
「-うまい!」
すき腹にだし味を流し込んだ夕映舎氏は、うなった。
「だし味が分かるなんて、日本人と韓国人だけだぜ。」
私は、茶店から眼下に広がる桜の絨毯の、向こう側の闇を眺めて、詠んだ。
西北西 桜花(ポッコッ)の向こうに 都あり
Vermouth&Gin
最後は、韓流趣味の俳句で、閉めることにしよう。
「都」はソウルと読んでもいいし、「みやこ」と読んでもよい。
眼下にひろがるのは「みやこ」だし、その向こうの空を突っ切った先には、韓国六百年の首都がある。
大浦洞ミサイル、、、?経済制裁、、、?
せめて今夜だけは、この気分を害させるなよ。
朝。
冷気の中に、甲高いとまで形容してよいほどのウグイスの声が、宿での目覚ましとなった。
「ほう、おはよう」と 鶯が呼ぶ 出がらし茶
朝食。
野菜スープ、ヨーグルト、トースト、バター、マーマレード、ゆで卵。
卵の半熟の具合が、よい。
マーマレードは、手製だ。
私は、紅茶を飲んで一服した後、一句詠んだ。
宸鶯が 吉き水誘う 華頂麓
Vermouth&Gin
インターネットで調べることができず、「あかつき」のかんむりが「ウ」だったか、「日」だったか、ど忘れしてしまった。
ここは、東山三十六峰の一、華頂山のふもと。華頂山とは、知恩院の山号でもある。
あかつきに聞いたウグイスの声と重ねて、漢字趣味的に詠んだ。おなじあかつきを表す字である「暁」は、ギョウと読んで、音が悪い。それでシンの字を、あえて用いた。
俳句帳に書き記して、食堂を切り盛りしている、若いホテルの社員さんに、渡した。
しかし、後で家に帰って調べてみると、あかつきを表すシンの字は、「晨」の方であった。「宸」はみかどの意味であって、あかつきとは関係がない。
ここが古都の宿である以上は、「宸鶯」でもあながち間違っていないかもしれない。
みかどは今東京にいるが、鶯を愛でたであろう歴代のみかどの面影は、東山の巷にいっぱい残っているのだ。私の目を覚ました鶯たちは、いにしえの公達たちと遊んだ鳥たちの子孫であるに、違いなかろうよ。
だから、これはこれとして、宿に贈ったうたとして、止め置く。
この文章には、別に修正したものを、併記する。
晨鶯が 吉き水誘う 華頂麓
Vermouth&Gin
9時半に、宿を出た。
宿の前の亭(あずまや)に座って、ギターの練習なとする。
本当に四周全てが、花盛り。
昼には鶯の声が、重なり合う。
夜には梟が、静かに歌う。
こんな環境は、日本広し、いやさ世界広しといえども、そうまたとありません。
亭に座った、女性が一人。
聞けば、宇都宮から24日間京都に長期滞在している、最中でいらっしゃるとか。
私は、残り少なくなった俳句帳を取り出して、一句贈った。
亭の上 見ても晴れても花ばかり
Vermouth&Gin
本当は、彼女に贈った句は「桜ばかり」だったのであるが、この情景は字あまりなしで綺麗にまとめたほうがよい。そう思って、上のように修正することに、しよう。
『圓山花宴曲』