« 炒豆芽(もやし炒め) | メイン | ブログ格闘水滸伝 ― 吉良邸の絵図面 »

Lactose intolerance - 乳糖不耐症

(カテゴリ:英語版Wikipedia

@Wiki本記事@

「乳糖不耐症」(Lactose intolerance)とは、牛乳などの酪農食品に含まれる乳糖(ラクトース)の適切な代謝に必要な酵素であるラクターゼが成人の体において作られない状態のことを言う。、、、乳糖不耐症であると、過多なラクトースを摂取すると過剰にガスが生産され、しばしば下痢となる。乳糖不耐症の成人は、一日カップ一杯(250ml あるいは8オンス)の牛乳ならば深刻な徴候なしに摂取できる。、、、世界のほとんどの成人は、乳糖不耐症である。ヒトの過半数は2歳から5歳のいずれかの時期に、大量のラクターゼを生産することをやめる。だが比較的最近に起った遺伝子的変異によって、若干の人々は成人でもラクターゼを生産しつづけるようになっている。それには多くの北欧人も含まれている。しかしこのような「乳糖耐性」(Lactose tolerant)な人々は例外であって、普遍的でない。乳糖不耐症は常染色体の劣勢遺伝特性であり、いっぽう乳糖耐性の遺伝子は優勢遺伝子である。

通常哺乳類は乳離れの時期に若くして乳糖を十分消化できる能力を失ってしまう(その時期は、だいたい種ごとの寿命の3%に相当する)。ヒトにおいては、厳密な量と時期は各人まちまちであるものの、通常生まれてから4年で約90%ラクターゼの生産が落ちる。だが、ヒトの中には染色体2番を変化させてラクターゼの生産中止を回避している集団がいる。これらの集団の者は、新鮮な牛乳や新鮮な乳製品を生涯摂取し続けることができるのである。

この世には、牛乳を多量に摂取できる人と摂取できない人がいる。乳製品は、実に遺伝子的な「慣れ」を必要とする食品なのだ。

この「乳糖不耐症」が面白いのは、乳糖耐性を持っているヒトの分布を調べることによって、過去の時代のヒトの移住経路を推測することができることだ。

この遺伝子変化がいつ、どこで起ったのかについては、若干議論がある。ある人はだいたい紀元前4000年ごろにスウェーデンとアラブ半島で別々に変化が起り(スウェーデンは世界の中で乳糖不耐症の比率が最も低い国の一つである)、遺伝子が広まると共に両者が連絡したと主張する。また別の人は、紀元前約4500年ごろに中東の一点で変化が起ってそこから広まったと言っている。資料が示唆するところによれば、三つ目でもっと近年の変化が東アフリカのツチ人でも起ったようだ。だがどこでいつ起ったのかの正確な起源はどうであれ、現代の西ユーラシア大陸人とその祖先たちの大多数はこの遺伝子変化を起こしている。つまり、彼らは生涯安全に乳製品を消費できる。いっぽう現代の東ユーラシア人、サハラ以南のアフリカ人、ネイティブ・アメリカ人、太平洋島嶼部人たちの大多数はそうでない。つまり、彼らは成人の状態で乳糖不耐症である。

記事に添付されている表によれば、乳糖不耐症の比率はスウェーデン人では2%、アメリカ白人で10%、フィン人で18%、ツチ人が20%。いっぽうアフリカ系アメリカ人では75%、オーストラリア・アボリジニで85%、中国人で93%、タイ人で98%、ネイティブ・アメリカンだとなんと100%だという。この乳糖不耐症の存在は、二十世紀後半になって国連が途上国への援助物資を配布する過程で各地から多くの苦情が寄せられたことによって、世界には乳製品を受け付けない人のほうが実は圧倒的に多いことに気付いたところから調査されるようになったという。乳糖は牛乳やアイスクリームで特に多く、ヨーグルトやハード・チーズでは比較的少ない。、乳糖不耐症は乳製品を摂取し続けることによって多少は改善される可能性もありうると考えられているとはいえ、日本人も東洋人であることに変わりはないから、いくら乳製品がこんなに出回っていると言っても西洋人ほど大量に消費できないということであろう。北東アジアや東南アジアでは、現代でも乳製品を受け付けない人が圧倒的に多いのである。

記事では、もっと詳しく遺伝子の分布の歴史について書かれている。

乳糖不耐症は前歴史時代における古代食と人口移動の理解に助けられて研究されてきた。動物から乳を採取することは、その肉だけを食べることに比べて取り出せるカロリーの面から見て飛躍的に能率的な飼育方法へと導いた。新石器時代には乳製品の消費が農耕生活の重要な一部となったことは、驚くに値しない。この頃大多数のヒトは乳糖不耐症だったはずだから、ほとんどの乳はチーズに加工されて、乳糖を大部分失わせて安全に食べられるようにして利用されていたと考えられる。

しかしながら、チーズの生産には長時間がかかる。ゆえに北欧と近東の一部で乳糖耐性が広まった理由についてある理論が言うには、ある飢餓の時期に乳を成熟するまで待たずに直接摂取することが有利となったからだというものがある。他方少数であるが、そのように遺伝子変化の具体的な有利性を強調することは言いすぎあり、むしろこの遺伝子がある社会において繁栄することが許されたたまたまの機会があったにすぎないと信じる者もいる。

ヨーロッパにおいては、ローマ人の残した資料が示すところによれば、彼らは乳をしばしば下剤として用い(嘔吐と下痢を引き起こす)、特に馬の乳が最適であってヤギの乳は最も効き目がないと指摘している。このことは、乳糖の量と合致している。馬の乳は大量の乳糖を含み、他方ヤギの乳は多くない。ローマ人の著者はまた北欧人とりわけブリテン人とドイツ人は加工されない乳を飲んでいたことを記録している(一方彼らローマ人はチーズを作っていた)。これは現代ヨーロッパ人の乳糖不耐症の分布と非常によく一致している。つまりブリテン島、ドイツ、スカンジナビア諸国は耐性が強く、他方南欧とくにイタリア人は耐性が弱い。

東アジアにおいては、歴史資料が示すところによれば中国人は乳を消費しなかったが、辺境に住む遊牧民たちは消費した。これもまた、現代の乳糖不耐症の分布と合致している。中国は特に耐性が低い土地なことで有名であるが、他方モンゴリアやアジアステップにおいては乳は普通に飲まれている。そこでは彼らは馬の乳からクミズKumisという酒まで作るのである(もっとも、アルコール発酵過程によってラクトースの量は減少する)。彼らの乳糖耐性は、遊牧民がチーズを加工するほど長期間一つ所にとどまらず、またしばしば彼らが短期間の飢餓に襲われるゆえに有利なものであると考えられている。加えて主な所得が馬によってもたらされる以上、その乳をカロリーの源として使わないことは大きな損失であるだろう。

アフリカのフラニ人は遊牧起源であり、彼らの文化はかつて全く牛・ヤギ・羊飼いをめぐって培われてきた。酪農は、かつて彼らの栄養の大部分を供給していた。ゆえに、酪農製品の消費に対応して乳糖耐性が発達したと予想されるため、彼らは乳糖に対して強い耐性を持っている(約77%が耐性あり)。