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電車の名所古蹟 - 御池通

(カテゴリ:半徑半里圖會

日本最初であった京都の市電は、昭和の半ばにはもう消滅してしまった。古い車輌がいくつか各地で保存されているが、その一つが御池通に面した一角に、ひょっこり保存されている。とある幼稚園の園内にあるので、じろじろ見回すのはやめたほうがいい。


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「京都の電車とは大違いだろう」
「京都の電車か?あいつは降参だ。全然第十義以下だ。あれで運転しているから不思議だ。」
「乗る人があるからさ」
「乗る人があるからって―余(あんま)りだ。あれで布設したのは世界一だそうだぜ。」
「ところが布設したのが世界一なら、進歩しないことも世界一だそうだ」
「ハハハハ京都には調和している」
「そうだ。あれは電車の名所古蹟だね。電車の金閣寺だ。元来十年一日の如しと云うのは賞める時の言葉なんだがな」

(夏目漱石『虞美人草』より)

このような会話が、小説の登場人物(宗近君と甲野さん)の間で、取り交わされる。小説の最初の舞台の京都を去って、汽車で東京駅に向う最中の会話だ。京都に日本初の市電が開通したのは、明治二十八年(1895)。日清戦争の直後だ。それで、上の小説が連載されていたのは、明治四〇年(1907)。市電が開通した時代、京都市は都市復興のために琵琶湖疏水を利用した水力発電事業に取り組んでいた。日本初の市電はまさにその事業が実った象徴的存在であったのであるが、漱石の登場人物の目から見れば電車の名所古蹟、電車の金閣寺に過ぎないという。


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漱石は江戸の旧家の出身であって、古い日本の文化に対してそれを愛惜する気持ちが一方にあった。しかし他方で西洋の先進文明を目の当たりにしていたこともあって、古い日本の文化が文明の進歩から取り残された退嬰的なものにすぎないこともまた、痛切に感じていた。彼は、半文明国にすぎない日本が、骨董趣味に開き直るような精神に批判的な人である。『坊ちゃん』の主人公が、宿屋の亭主が端渓の硯だとか何とかを買わせようとするのを「この男は馬鹿に相違ない」と評する。『行人』の主人公の父親は引退後に朝顔造りなどしながら、京都にでも隠棲しようかなどと考えている。それは、家の保守的な雰囲気を象徴している。

上の引用の会話が、京都発東京行の汽車の車中で行なわれていることが、漱石の視点を象徴している。漱石にとって、進歩している文明は西洋にしかない。日本はその西洋の文明を必死に模倣して追いかけるしか、生きていく道はない。たとえそれが、皮相上すべりなものであっても、だ。その西洋の文明に開かれた唯一の窓口が東京であり、ゆえに東京は日本の中で唯一進歩している土地である。それ以外の地域、たとえば京都などは、いくら電気が引かれようが、ただの骨董趣味に沈んだ土地にすぎない。明治の日本は、そのような骨董趣味に退嬰して開き直ってはならないのだ。この彼の認識は、昭和の戦後に至ってもずっと変わることはない日本の国の姿勢であった。



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しかし、現在ついに真の意味で、日本は先進国である。もはや外国から真似て輸入すべきモデルは、何もない。この文明の中で、改善していくより他はもうないのだ。ついにそこまで来た。漱石や後の世代の知識人たちを縛っていた呪縛は、ついに解けた。逆に言えば、もはや安易に外国をユートピアとして夢想する知的怠慢が許されなくなってしまったのだ。京都では、今「環境に優しい」新しい市電を再び計画しているとか。真似のできないこの時代には、事業は人の生活を真により良くするものでなくてはならない。自分たちの頭と感覚で考えた創意工夫が必要な、課題でありますぞ。