« 台北四十八時間 06/06/29AM10:30 | メイン | 台北四十八時間 06/06/29PM01:00 »

台北四十八時間 06/06/29AM12:00

(カテゴリ:台北四十八時間
formosa.JPG

孔廟 - ビデオ鑑賞二回目



孔廟に観光に行った人ならばきっと多くの人が会っていると思うのだが、私はここで先生・おねえさんのお二人と、ずいぶん長話をした。

一応「先生」「おねえさん」と、日本語で言っておく。お二人とも日本語が(おそらく漢語つまり標準中国語よりも)上手で、しかも私は彼らの母語であるはずの閩南語(福建省南部の言葉)をよく知らないので、あえて日本語で「先生」「おねえさん」と呼ぶことにしたい。(だから、日本語の「せんせい」の意味を込めて使います。漢語の軽い敬称である「先生」(シャンシェン)とは違う意味です。)

一応言っておくと、先生はこの孔廟ゆかりの一族の人である。おねえさんもこの辺の地元の人で、若い頃から孔廟の釈奠礼(せきてんれい。後に詳しく述べるが、孔子さまの生誕記念日)の裏方さんとして参加していた人である。


本殿の大成殿(たいせいでん)の横には東・西の廡(ぶ)という回廊がしつらえてあるのだが、そこの一角が視聴室となっていて、孔廟の釈奠礼の式次第と儀式に使われる各種の楽器祭具について解説するビデオが流されている。部屋の中には、儀式のいろいろな楽器もまた陳列されている。先生は、この廟の近い所に住んでおられて、時々一族ゆかりのこのお宮に散歩に来ているという。一方のおねえさんは、ここのガイド役なのである。日本語、漢語、閩南語を駆使するだけではない。場合によっては客家語(はっかご。台湾人の一割以上は、「客家」系である)も使うし、西洋の人が尋ねてきたら、英語とスペイン語でもガイドをしてしまうのである。

当初、一通り見終わったと感じたので、実はもう帰ろうかと内心思っていた。だがそんなところに、視聴室の前で先生から日本語で呼び止められ、「何県から来た?」と出身を問われたところから始まって、日本の学校や歴史のことなどで先生といつのまにか長々と話をしてしまった。そして横にいたお姉さんからも「ビデオやってるから、まあ座って見ていきなさいよ」と勧められ、この後日が傾き始めるまで孔廟の視聴室でいる結果となったのである。

私はたまたま行った先で先生とおねえさんのお二人と会って、思いもかけず長話をしてしまったのだが、このお二人ともそれぞれこの地で大変な歴史を通り抜けて来られた人であり、いろいろ聞かせてもらった彼らの個人的なことどもや各方面へのご意見について私のような嘴の黄色いばか者が断りもなく軽々にブログごときでしゃべり散らすのは、正直言って気が引ける。(だから、もちろんお二人とも相当のお歳である。日本語が上手なのも、受けた教育の結果なのだ。私がガイドさんのことを「おねえさん」と言うのは、見かけがとても若々しくて、その実際の歳を聞いて仰天したからである。実際には「おばさん」ぐらいの見かけなのだが、彼女に敬意を表して「おねえさん」と申し上げたい。)

したがって、以降はおねえさんや先生から聞かせてもらった、この孔廟や釈奠礼、そして昔のこの辺りについての興味深い話についてだけ、書いていきたい。これならばビデオの中に出てきた学者さんや地元の歴史家たちも研究していることだから、公開されたトピックなのだから。

この孔廟は、すでに書いたように日本統治時代の1925年に、地元の名士たちが音頭を取って、住民たちの寄進によって建てられた。以降増築を続けて、現在の姿になったのである。

いい趣味をしている。 たぶんかの土地の美は、裏に隠れているのだろう。

おねえさん「台湾には建てるための素材なんかなかったからね、全部福建省から持って来たんだ。ほら、そこにあるイス(上左の写真)と、座っている長イス(上右の写真)も、八十年前のもんだよ。」

大成殿の屋根や庇(ひさし)の横梁のあたりには、華麗な彩色をした陶器がはめ込まれている。これも長持ちさせるために、あえて木でなくて陶器を焼いて作ってあるという。全て、福建省の職人たちの技術である。おねえさんは、台北の南にある三峡(サンシャー)の祖師廟が一番きれいだから行ったほうがいいと勧めてくれた。しかしたった二日しか旅行日程がないので、少し郊外にある三峡に行く時間がありそうにない。だからやむなく「ちょっと行けそうにないです」と断った。外の上空から、たびたびジェット音が聞こえてくる。孔廟の東には松山空港があって、この地点の上空は飛行機の出入進路がもろに通っているのだ。


よくわからないが、地震に強い様式らしい。 こういう寺院の方が、ふつう。
12880024.JPG 閲覧に不適な見苦しい箇所は、処理してあります。

おねえさん「他の寺院には、柱に必ず字が書いてある。出入り口の門には、門神って言って神さまの絵を飾ってある。でもね、ここはないんだよ。孔子さまにはそんなものいらないんだ。二本の柱にだけ、ドラゴンの彫刻がしてある。それだけなんだ。そしてその前には、ドラゴンの彫り物をしたスロープがある。あれは、皇帝しか昇り降りすることができない。だから今は、誰も使いはしない。脇の階段を使うんだ。」

上の縦横四枚の写真について。左上の写真は、大成殿の前ににある儀門。いっぽう右上の写真は、次の日に行った惠濟宮。惠濟宮は、観音菩薩や道教の神などを併せて祀る、台湾土着の混合的宗教の寺院である。この両者の違いが、儒教寺院をその他の寺院から分けるものなのだ。左下に、もう一度大成殿の写真を再録する。真ん中の精巧なドラゴンの彫り物のスロープが、皇帝専用の参拝路だ。右下が、ドラゴンの柱の接近画像。



「櫺」とは、「れんじ」(窓格子)のこと。だが「れんじ」という言葉じたいが聞き慣れない。

これは、儀門のさらに前にある、櫺星門(れいせいもん)。

おねえさん「壁にも、格がある。ここについているイボイボ(門釘)は、天の108の星を表している(すなわち、天罡(てんこう)三十六星と、地煞(ちさつ)七十二星)。このイボイボをつけることが許されるところは、三つしかない。この孔廟と、関羽と、そして皇帝の宮殿だけ。」

三国志の関羽は、後世の王朝によって帝位を追贈されて「関帝」となった。だから関羽を祀る廟には、皇帝と同じ様式が許されるのであろう。そしてある意味では歴代の皇帝よりも偉い孔子さまが許されるのは、当たり前ということなのだろう。下は、関羽を祀る台北の行天宮(シンティエンゴン)の写真(Wikipediaから)。台湾では関羽は「恩主公」さまと呼ばれている(次回以降に詳述)。


この夜行ったんだけど、イボイボの数を数えるのを忘れてた。

暑い最中、こんな風にいろいろとビデオを見ながら話を聞かせてもらった。目の前の半時間強ほどのビデオはすでに終わり、エンドレスで二順目が始まっていた。

taipei002.JPG