ムーン・パイとは二十世紀前半に発明された、現代の練り粉菓子(ペイストリー)の一種である。二枚のグレアム・クラッカー graham cracker を丸い形に成形し、真ん中にマシュマロをはさむ。それからチョコレート(あるいはその他のフレイバー)につけこんで作られる。
まあ、要するに日本のエンゼル・パイに相当するものですな。というよりエンゼル・パイはこのムーン・パイをモデルに作られたお菓子なのだろう。
その起源には、面白い伝説がある。
ムーン・パイは合衆国南部のユニークな産物だと見なされている。南部では、このお菓子は現れた時からずっと変わらず愛好されてきた。「ムーン・パイ」という名前にまつわる物語は、1917年にさかのぼる。もっとも、その話の詳細は都市伝説なのだが。話によれば、テネシー州チャタヌーガ Chattanooga, Tennessee から来た"Mr.ミッチェル"なるパン食品のセールスマンがとある炭鉱町にやってきた。彼は どんなスナックフードを鉱夫たちが喜んで食べるかを聞き取りした。彼が受け取った答えは、人気のお菓子はグレアム・クラッカーとマシュマロが入ったものだということであった。彼は地元の鉱夫に尋ねた、「どのくらいの大きさのスナックを食べたい?」鉱夫は手で輪を作って、その時空に昇っていたあの月の形をかたどって、こう答えた。「月の大きさで、厚さはその倍だね!」ミッチェルはこれを「ムーン・パイ」のインスピレーションに役立てたのであった。
ムーン・パイは昔のアメリカ労働者にとって、チープな食事として一大ステータスを勝ち取ったスナックであった。
ムーン・パイの人気は1950年代にピークに達した。その頃多くの労働者たちは、それを空腹をしばらく抑えるための安いスナックとして買ったものだ。この時代、ムーン・パイの典型的な値段はだいたい5セントだった。そしてソーダドリンクもまたニッケル一枚(=5セント)だった。ムーン・パイの有名な伝説として、R.C.コーラは通常コカ・コーラやその他のドリンクよりも一杯が大きかったので、ムーン・パイのお供として選ばれるドリンクになったというものがある。「R.C.コーラとムーン・パイ」は付き物になり、しばしば「労働者のランチ」として言及された。(NRBQバンドは「RCコーラとムーン・パイ」 RC Cola and a Moon Pie という歌をレコードにして、彼らのファンの間で有名になったためにコンサートや集会が「ムーン・パイ・フェスティバル」と呼ばれるようになった。)平均費用10セントのこの組合せは、一つのお約束イメージとして使われるようになったのである。(ブラザー・デイヴ・ガードナーのコメディ・ルーティンが言及したことが、いくぶんかはそのことに貢献したであろう。)
ムーン・パイは南部の祭りにも組み込まれて、もはや神話的なお菓子である。こういったポップな商品が歴史や習俗をかたちづくるのは、いかにもアメリカらしい。
ムーン・パイはアラバマ州モバイルMobile, Alabama や、その他ミシシッピ湾岸沿いのコミュニティーにおいて、カーニバルでの伝統的な「投げ物」である。もっとも、ニューオリンズやさらに西のコミュニティーではめったに見られない。ムーン・パイがカーニバルの「投げ物」として使われる最西端はルイジアナ州スライドル Slidell, Louisiana である。そこでは「モナ・リザ・ムーン・パイ」"Mona Lisa Moon Pie"というパレードが行なわれる。
ビスケットの中にマシュマロをはさみこむムーン・パイと同じ時期に登場したお菓子が、ビスケットの上にマシュマロをのせてチョコレートでくるむマロマーズ Mallomars である。マロマーズはニューヨークで愛好されているお菓子であり、イスラエルの冬のお菓子、クレンボ Krembo にいくぶん似ている。そのためか、マロマーズはニューヨーク以外ではニューヨークのユダヤ系が移り住んだマイアミやロスでも見ることができる。ただしチョコレートベタベタなので、寒い季節にしか販売されない。愛好家は冬の間に買いだめして、冷蔵庫に置いて夏に消費するという。写真はモントリオールで売られている、マロマーズ類似のお菓子のウィペット・クッキー Whippet cookie。