それらの前に演じられたのが、『頼政(よりまさ)』。説明によると、あまり行なわれない演目だという。これは、『平家物語』や謡曲『鵺』などに出てくる源頼政の鵺(ぬえ)退治の伝説に則ったものだ。頼政は源氏でありながら平治の乱で平氏方に寝返り、結果源氏で唯一平氏政権において高位に昇った人物である。その頼政が名を挙げたのは、近衛天皇(在位1141-1155)の頃に立てた武勇からであったと言う。幼年の天皇は、その頃毎夜京の三条東の森から黒雲が湧き上がって、御所の上を飛来する怪奇に怯えきっていた。この帝のわざわいを退治せよとの命が、弓の名人である頼政に下った。頼政は配下の猪早太(いのはやた)と共に待機すると、案の定三条東の森から黒雲が飛来した。頼政は雲の中に怪しい影を見定め、矢を射たのでそれは落ちてきた。猪早太がとどめを刺せば、それは頭は猿,体は狸,尾は蛇,手足は虎という怪物で,鳴声は鵺(ぬえ。トラツグミ)の声に似ていた。頼政は名を挙げ、帝から「獅子王(ししおう)」という宝剣を賜ったという。面白いのはその宝剣下賜の際のエピソードで、取次ぎをした宇治左大臣藤原頼長(よりなが)が、
ほととぎす、名をも雲井に上ぐるかな(「ほととぎすが、雲に届くほどまで声を上げたよ。」 ― 雲井(雲、上流社会のたとえ)に届くまで名声を挙げた頼政への当てこすり。)
と上の句を詠んだのに頼政は返して、
弓張月の、入るにまかせて(「弓張月(三日月)が、沈むにまかせて。」 ― 「弓張」月が「入る(=射る)」で、「弓をたまたま射ただけだよ」という意味を重ねている。)
と継いで見せたという。頼政はただの武辺者ではないという評判が立って、底意地の悪い公家どもの社交界でも認められるようになったというのだ。