天明二年五月に大坂高麗橋壱町目の春星堂藤屋から刊行された『豆腐百珍』。豆腐づくしの各種料理を百種類並べた、百珍物のはしりである。このヒットによって以降『鯛百珍料理秘密箱』『大根一式料理秘密箱』『甘藷百珍』などが続々刊行されたという。当時の都市民のグルメ情報好きぶりは、現代の日本人と寸分違わない。
この『豆腐百珍』で調味料として活躍するのは、しょうゆ・酒・みりんが主である。室町時代ごろの調味料の主流であった味噌は、もはや田楽に塗りつける田楽味噌のためにある薬味のような扱いを受けている。そうなのだ。この頃、小麦を半分混ぜて軽やかな風味を持たせることに成功した江戸前しょうゆが完成し、調味料の主役を味噌から奪ったのである。大坂で刊行されたこの『豆腐百珍』もまた、東から吹いてきた味のニューウェーブに圧倒されて、味付けの決め手がしょうゆ主体となっている。この徳川時代後期の時代に、日本料理の味覚は完成したのだ。現代の外国人が日本料理としてすぐに思いつくものといえば、スシ・テンプラ・カバヤキ・スキヤキなどであろう。しかしこれらの料理は、全て江戸前しょうゆの成立によって生まれた、近々二百年程度の伝統しかないものなのだ。
この『豆腐百珍』に出てくる料理で「高級かな?」と思える素材などは、鯛と海胆(うに)ぐらいだ。後は安い素材で、色々工夫して美味そうな料理を作っている。おにぎりといいサンマといい豆腐といい、安くても美味い料理が用意されている日本の食文化は、なんと下層階級に優しいものではないか。逆に上流階級のための料理で美味そうなものは、日本料理で一つも考案されなかった。まことに不思議な文化だ。
(以上の叙述は、福田浩ほか『豆腐百珍』(新潮社とんぼの本)を参考にしました。)
(以下は、1杯分の分量)
木綿豆腐 1丁 |
だし カップ1、しょうゆ 大さじ2、みりん 大さじ2 |
卵 1個 |
豆腐の水を切る。乾いたふきんでくるんで、上に水のいっぱい入ったヤカンを置いて約1時間放置すればこのようになります。電子レンジを持っている人ならば、2~3枚のペーパータオルにくるんでラップをかけ、3~5分程度レンジで熱すれば早くできるでしょう。
本では串を刺して田楽のように直火で焼くことになっているが、そこは手を抜いてフライパンで。テフロン加工のフライパンをよく熱して、豆腐の両面を焦げ目が付くまで焼く。中華料理じゃないから、油は不要。
焼いた豆腐を、しゃもじなどで適当に崩す。
「八杯汁」を下地に使う。つまり、だし6・しょうゆ1・みりん1の割合でだしを作る。ほぼうどんだしの割合(カップ1・しょうゆ1・みりん1)の2倍の濃さ。下地を沸かせて、さきほど崩した豆腐を入れる。
溶き卵を流しいれて、ある程度固まったら火を止める。
何ということはない簡単な料理であるが、冬に似合う一品だろう。