東山の石塀小路を歩いていると、塀越しから萩(はぎ)の枝がちょいと垂らされていた。そうか、今は萩の季節なのだな。蕪村句集にいわく、
黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺(明和五・七・二〇)
いにしえの時代には至るところで見られた萩も、元来が華やかさに欠ける花であるからか、今や観賞用としてもぱっとせずに片隅に追いやられてしまっている。雨続きの九月の間に空いた晴れ間の日に、御所の東隣りにある萩の名所の梨木神社(なしのきじんじゃ)に行った。
「萩」と言う漢字は、元来「くさよもぎ」を意味する字である。それが、日本ではこの赤紫色の花を咲かせる草に当てられるようになった。いにしえの日本人は、秋の草花として真っ先にこの花を思いついたからこそ、「草かんむりに秋」という季節の草花としては特等席の座と言える字に、この植物を割り振ったのであろう。万葉集にも、源氏物語にも萩は好んで取り上げられている。この神社の参道に並べて植えられている種類は、まさに源氏物語で出てくる「宮城野萩」(みやぎのはぎ)であろう。
宮城野の露吹きむすぶ風の音に子萩がもとを思いこそすれ
― 「桐壺」の巻より
花札では萩はイノシシと組み合わされてしまっているが、いにしえの時代には鹿の鳴き声と併せて観賞されるのがお決まりであった。
秋の野の萩の錦を我が宿に鹿の音ながら移してしがな(清原元輔)秋萩の花咲きにけり高砂の尾上の鹿は今や鳴くらむ(藤原敏行)
境内の咲き始めた萩の花に、今がチャンスとばかりにチョウやハチたちが群がって、乱舞の樣を見せていた。すっかり弱くなった秋の午後の陽射しを受けて、なんと言う静かな無言劇であろうか。
一匹の黄蝶が
ひとり、ひとりと飛んできて
もう一匹が舞ってきて
ふたり、ふたりと交わった
舞うたびに、日に透けてますます白くなる
― その横には、しょげた秋の草。
ところで近くの府立鴨沂(おうき)高校は、この日にぎやかに文化祭の真っ最中であった、、、