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昔のままに - 京都御所

(カテゴリ:半徑半里圖會

晩秋。梅・桃・桜の園で春に華やかとなる京都御所であるが、秋にもまた園内のそちこちで木々の葉が色づく風景を見せている。だが名所というまで集中しておらず、広大な敷地の中に点在している。しかしそれが観光客を呼び込むこともなく、閑静な秋の日の風景を形作っている。


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御所の向こうに、色づく大文字山が見える。その横には、比叡山もくっきりと見渡すことができる。徳川時代にも、やはり同じようにここから見えたはずの山々だ。徳川幕府は、天皇や公家たちを廃することはしなかったが、京都所司代の監視の下に厳格な法度で行動の自由を奪い、この御所の中に閉じ込めることをした。天皇や公家たちは、大名のように領地の政治をすることもなく、かといって庶民のように生業のため比較的自由に行動できる道も閉ざされ、ただただ古代から細々と受け継がれてきた呪術的権威の維持のための生きたアイテムとしてこの周囲数キロのゲットーの中で飼い殺されつづけた。何のために存在しているのかを問うことも許されず、高貴な身分どころかゲットーの中の賤民のように権力から生ぬるく扱われながら、この奇怪な集団は徳川時代を生きた。商業経済が沸騰して上下がともどもに知識欲に燃えていた徳川時代の社会において、これは戦慄すべき退廃であった。

徳川時代の公家たちも、この土地から秋の大文字山や比叡山を眺めたことであろう。いにしえの時代から歌や物語に詠まれた京都の山々を、おそらく恐ろしいまでの退屈な目つきで。ただし、当時の京都の山々は農民たちの薪取りや肥料用の下草取りの場として頻繁に手が入っていたから、松林が主体のもっとやせた植樹相だったはずだ。だから今のように秋に色づく広葉樹林が作る風景とは、かなり違ったものであったはずだが。