「椿」の字でツバキを意味するのは、日本独特の用法。元来この漢字が表すのは、八千年をもって春と為すという、中国の伝説上の大木のことである。だから、「椿寿」(ちんじゅ)と言えば、これは長寿のことを意味する。木へんに春だからツバキに当てたのは、草かんむりに秋の字でハギを意味させたのと同じ日本人の運用である(「萩」の字の元来の意味は、ヨモギのこと)。
木へんに春の字を当てたぐらいだから、この花は春まで楽しめる。しかし、春にはもっと華やかな花々が勢ぞろいするために、椿の花はかえって花の少ない冬のほうが目立ってしまう。その花も、丹精込めた紅白の絞りなどは大変立派で美しいのであるが、そこら中の生垣などに植え込まれている花となれば、これはどうも美的感覚に訴えるところが乏しい。知ってのとおり、椿の花は首が転がり落ちるようにぼとりぼとりと落ちて散る。それが庭園の椿などならばまだ風情があるのだが、その辺の道端に面した生垣ではアスファルトの道路に無残に落ちて踏みしだかれ、まさに虐殺シーンである。だから、私は普通に晩冬に見られる椿の花は、好きでない。だがまあこのように水鉢にでも花を浮かべてお化粧をすれば、観賞に耐えられると言うものだ。粟田口青蓮院前の、『ぎゃらりーDodo』店前で撮影。