昨日のことを、つらつらと。
2:30、金海国際空港に着いた。
明らかに、「キメ」と発音していた。日本語表記でよくある、「キンヘ」空港ではなかった。
バスを、待った。
空港には、空気がある。
ロンドンのヒースロー空港の、空気。
香港国際空港の、空気。
台北の桃園空港の、空気。
空港の空気は、やはり東アジアだと思った。
空港に降りたときから、外国の感じがしなかった。むしろ、勝手知った場所のような気がした。
きれいなコンビニが、空港の敷地内にしつらえてある。
店員のサービスは、日本のものと同質。ただ、言葉が違うだけだった。
30分待って、ようやくリムジンバスが到着。
バスには、私しか乗っていない。
乗車代5000ウォンは、外国人以外はバカバカしくて乗らないのだろう。
私は、運転手のおっさんに「ナンポドン」と、告げた。
外国人しか乗らないに違いないのに、彼が放った日本語は、乗り際に放った「ジョーシャチン」だけだった。
バスに乗った途上で、運転手が意味もないのに、クラクションを鳴らした。
窓から見れば、バスが進む空港内の車線の向こうで、子供を連れた中年のおやじさんが、連れ立って自転車に乗って通っていた。
-ははあ、仕事の同僚なんだろう。今日は休暇日で、子供と一緒に遊んでいたのを運転手のおっさんがが見つけて、クラクションを一発鳴らしたに、違いない。
私は、そう直感した。
のっけから、気に入った。
香港のセントラルで感じたような、身が引きしまる空気ではない。
台北で感じたような、南国の優しさでもない。
東アジアにも、様々ある。
南浦洞(ナムポドン)に着いたが、ホテルの場所が分からない。
通りにあったパン屋でアンパンでも買って、ついでに道を聞こうと思った。
店のおねえさんは、一から十まで韓国語で、私に問いかけて来る。
「ハンゲ、チルペグォン、トゥゲ、セゲ、、、」
韓国語が、私の頭に入っていなかった。
せめて英語で言ってくれれば、わかるんだが。
ようやく、アンパン一個買って、ついでに地図を出して、ホテルへの道を聞いた。
しかし、店頭の誰も、知らなかった。
「わかりません。」
おねえさんが放った日本語は、これだけだった。
うろうろ探し回って、ようやくホテルを見つけた。
店の、すぐ裏だった。
どうも、互いに言っていることを、誤解していたようだ。
ホテルは、チャガルチ(자갈치)にある。
「チャガルチ」とは砂利(じゃり)を意味する韓国語の「チャガル」(자갈)から派生した地名であると言われ、韓国固有語である。だから、漢字名はない。大通りを面して北側が繁華街であり、南の海そばに面した側には、海産物の店屋が並んでいる。
龍頭山の東西に渡る広大な土地が、かつての対馬藩の倭館の敷地内であった。東の海岸は現在の釜山港であるが、ここに倭館に隣接して、石積みの防波堤付きの立派な船着場が、しつらえられていた。李進煕氏の『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社現代新書)には、ソウル韓国国立博物館所蔵である倭館の屏風絵が、写真で収録されている。そこには、絶影島(ジョリョンド。現:影島)を対岸に見晴るかし、防波堤を整えた倭館の広大な姿が、龍頭山から見下ろした構図で、描かれている。
チャガルチは、倭館の南に隣接した地区である。ひょっとしたらここには、倭館を南から寄せる海波の侵食から守るために整備された、砂利浜が作られていたのかもしれない。だが上の絵の写真を見ても、はっきりとわからない。この地名の由来も私には探せず、よくわからない。
ホテルから出て、通りの向こうに大きなコンプレックスがあった。
チャガルチ市場。
最近できた、海産物市場だ。
入る。
いきなり、日本語で売り込まれる。
- これは、高いな。
私は、そう直感した。
とりあえず、次々に売り込んで来る品を防戦しながら、イイダコとヒラメとハマグリを買った。
案の定、韓国の相場にしては、高かった。日本円では、大したことないが。
一階で魚を買って、それを二階に持っていけば、料理して出してくれる。
ハマグリの焼き物と、ヒラメとイイダコの活け造りが、皿で出てきた。
薬味、、、
ゴマ油があったが、正直言って口に合わない。
ヒラメの刺身に、コチュジャンを着けて、食べてみた。
次の一切れは、置いてあったしょうゆを皿に入れて、浸した。
-刺身をコチュジャンで食べるなんか、もったいない!
しょうゆの味が、日本のものと全く同じだったので、私はなおさらそう思ってしまった。
誰がなんと言おうが、日本人の私の舌は、しょうゆを愛していた。
私は刺身がそんなに大好きというものではないが、こうしてさっきまで生きていた魚を捌いて皿に出されたとき、漬けダレはしょうゆでないと、ダメだ。コチュジャンで食べさせられると、がっかりする。
これは、どうしようもない。
酒は、まず無難に、ソジュ(焼酎)を頼んだ。
だが、物足りない。
酒が、欲しい。
そういうわけでチョンジュ(清酒)を、店のおばさんに頼んでみた。
だが、通じない。
手持ちの辞書を引き引き、ノートに「청주」と書いて、店のおばさんに見せた。
出されたチョンジュを、飲んだ。
-すっぱい!
吟醸酒をすっぱくしたような味で、刺身にはとうてい合わないと思った。
このワインに近い味わいは、むしろ肉に合うはずだ。生魚の伴としては、どうだろうか。
しょうがないから、ソジュで料理の残りを、平らげた。
ここは、魚は確かに新鮮なので、日本人がここで楽しみたいときには、日本から酒とたまりじょうゆとワサビを、持ち込めばよい。韓国の食べ物屋は、基本的に持ち込みオーケーなのだ。
しかし、日本の刺身屋は、店の雰囲気までもサービスの中に入っていることを思うと、この市場の空気の庶民臭さは、ちょっと日本の店とは違う。
この後のことは、さすがにブログで書くことすら、ちょっと恥ずかしい。
幸いに、私は(たぶん)次の日になっても、まだ生きている。
一つだけ、言える事がある。
私と彼らは、全く言葉が通じない。
通じないが、簡単に理解できる。
この国の人は、誰が何と言おうが、世界の中で最も日本人に近い。
香港人よりもずっと近く、そして驚いたことに、きっと台湾人よりも近い。
そう、確信した。
台湾人は、日本を真似たがっているが、日本と違うところがやはり多い。
韓国人は、日本から目をそむける素振りをするが、何もかもが日本に近いのだ。
道にゴミを落とすことを、恥じること。
警察が、行政サービスの機関として、ちゃんと機能していること。
とりあえず、日本と韓国が共有している点を、二点だけ挙げておく。