雨森芳洲『交隣提醒』、試訳のつづき。非常に興味深いと思われる外交事件を彼はいろいろと書き記しているのだが、当時の外交事務の詳細を私はまだよく知らないので、十分に訳出することができない。よって、あらまし大意を読み取ることができた箇所だけ、試しに訳してみる。
送使(訳者注:対馬藩から倭館に毎年八回派遣される、八送使のこと)・僉官(訳者注:東莱府使の配下である、釜山僉使のことであろう)が五日次(オイリ。よくわからないが、文意からおそらく送使が運んで来た物品で開かれる、貿易市のことであろう)を受け取った際、鱈・青魚が一枚不足しているとか言って、役人どもが礼房・戸房(訳者注:李朝の外務省兼文部省に当たる礼曹および財務省に当たる戸曹の、出先機関)と相争うような見苦しい事も、ございます。
だいたいにして、他国へ使者がまかり越す際に、先方の応対がよろしいときには丁寧だと考え、先方の応対がよろしくないときには粗末だと考えて、それだけで判断を下してこちら側がとやかく文句を言うなどは、もちろん道理のないことです。朝鮮の場合にも上のような事例が確かにあるのですが、朝鮮の風儀と申すものは、下々の者どもにおいてはとくに廉恥の心が薄く、利を貪るので、接待の馳走の一事においても、李朝朝廷や東莱府の本意では全くないのです。下っ端どもが数を減らしたり、物品を粗末なものにすり替えたりしているのが実情でありまして、もしこちら側が何も申し立てないでいると、ゆくゆくは散々な結果が待っているべき恐れが、ございます。そのような時期に至ればどれだけの行き違いが生じるか想像もつきかねますので、日本の役人どもが上のように古式を踏まえて相争うのも、不恰好ではあるがやむをえない点も、あるのです。それゆえ、甚だしい争いについてはこれを禁じ、その他についてはこれまで通りのやり方で対処させてもよろしいかと、存じます。
日本人の覚え違いのために、「昔はこんな風ではなかったのに、段々と馳走の品が悪くなっている」と、口々に申したとしても、本当にそうであったか否かの義を何をもって判断すればよいのか、手掛かりがありません。不確かなので、先方に伝えることもできず、以前の礼儀の実情の証拠も、ありません。今後は、先方の馳走の丁寧・不丁寧をもって隣交の誠信・不誠信をもって知り、異邦の事情を察する一助となりますので、送使・僉官の記録にお膳の次第を仔細に書き付けるようにとの沙汰あり、宝永二年(1705)以降朝鮮に渡海する人はめいめいが記録を残して提出するようにとの、仰せ付けがございました。
長年実務に携わった芳洲は、日本側から見て朝鮮の対応が不審に思われる点があることを、知っていた。そして、その不審の原因が、李朝政府の不誠実にあるのではなく、政府が用いている下吏や町人どもの腐った性根にあることまで、見抜いていた。いったいにして李朝の高官は無学な自国の民衆を侮り、商売や利得の計算などを卑しい道として毛嫌いする、君子の倫理観を持っていた。それで、おそらく下吏や商人の狡猾なごまかしに、十分気付かなかったのであろう。小役人や商人こそが最も誠実であるという日本人の常識と、李朝の常識は、まるで違っていたのである。芳洲の指摘する朝鮮の商売は、どうやら中国式であった。
はなはだしい争いは、よくない。しかし、言うべきことは、言わなければならない。細かいことであるが、接待の馳走について細かく記録を残すべきという沙汰を、日本側は出した。誠実・不誠実の証拠を残して、先方の真意を問うためである。もちろん、相手が善意であるはずだとまずは前提に置いて、その上でどうしてこんな粗相があるのかを、交渉しなければならない。外交は、口論でもいけないし、逆になあなあでもいけないのである。
朝鮮を「礼儀の邦(くに)」と唐(中国)が申すわけは、他の夷狄(いてき。蛮族)どもはややもすれば唐に背くにも関わらず、朝鮮は代々藩王の格を失わず、事大(じだい。中国に仕えること)の礼儀にかなう国であると、こういう意味に他なりません。しかるに朝鮮人が壁に唾を吐き、人前で便器を用いるようなたぐいのことを見て、「礼儀の邦」には似合わない振る舞いだと申すのは、「礼儀の邦」という言葉の意味を分かっていないからなのです。もちろん朝鮮は古式を考え中華の礼法を採用している点においては、他の夷狄に優っていますので、これまでは日本人の方が思慮足らずであった事が多くございました。しかし、文盲の者どもは、かえって変なことをやらかすようでして、まことに恥ずかしいことでございます。このこと、心に留め置かれてくださいませ。
なぜ李朝が「東方礼儀の邦」と中国に呼ばれているのかを、芳洲は説明する。それは、日本人が「礼儀」という言葉からイメージする、「お行儀の良さ」という意味では、決してない。むしろ中華の礼儀を採用し、蛮族でありながら中国を兄として仕えて、決して背かない。それが、中国から見れば「中華に帰順したおとなしい蛮族」という意味で、「礼儀の邦」なのだ。いっぽう、日本は中国にとって「化外(けがい)」である。「化外」とは、中華に帰順しない蛮族のことであって、中華帝国から見ればケダモノと見なされなければならない。「化外」の日本は、とうぜん「礼儀の国」という称号を与えられない。どんなに民のお行儀がよくても、中国の文明を全面的に採用せず、その上中国を悪し様に言う国は、彼らにとって「礼儀」知らずなのだ。
儒教の文明は、高潔なエリートを作ることに役立ったが、残念ながら民衆の民度を高めるシステムではなかった。福澤諭吉が君子のいる国と君子の国とを区別せよ、君子の国とは中国ではなく、西洋諸国であると『文明論之概略』で喝破したのは、このことなのだ。
もとより、現在の韓国人は、君子の国である。これは、私が旅行したから、知っている。彼らは、昔の朝鮮人のように、むやみに道に唾を吐きかけたりしない。