著者は一九二〇年北鎮で生まれ、この土地の日本人小学校を卒業し、平壌の商業学校に学んだ。ここの生徒は半数が朝鮮人で、著者はいまも彼らと親交を結んでいる。北鎮の歴史を書くことができる残り少ない一人である。(表ブックカバー折込みより)
本書は、草思社から2003年に発行。
本書の大半は、かって植民地時代に平安北道雲山郡北鎮面と呼ばれた金鉱都市の、歴史である。
叙述は詳細で、これもそれなりに面白い。
だが、山間の一都市だけの記録であって、戦前の朝鮮半島の全体像がここから理解できるかと言えば、私はそれには無理があるだろう、と思った。
むしろ、本書の冒頭に当たる、第一部「数字が語る日本の朝鮮統治」が、意見として重大である、と感じ取った。
この第一部は、『朝鮮総督府統計年報 明治四十三~昭和四十七年度』を一次資料として、植民地時代朝鮮の経済動向を、分析しようとする試みである。
その、結論。
、、、朝鮮の近代化計画は約二〇年余りで達成されたのである(昭和五年頃)。
近代化のために日本は、朝鮮の人々を誘導するため、時には軍事力を行使したこともあり、後にはこれが朝鮮における日本の失政といわれる大きな原因となった。
しかし世界の植民地で、このような短期間に繁栄をもたらした国が果たしてあったであろうか。これには日本の決断と実行がなくては進まなかったであろう。
当然のことながら、これは多くの朝鮮人の絶大な協調と理解があってはじめて達成されたことである。
このような輝かしい成果が、どのようにして醸成されたかは多くの日本および韓国の学者や研究者たちが『朝鮮総督府統計年報』の解析に携わり、その結果を次々と公表することになれば、やがて日朝の近現代史が新たに解明され、これにより日韓両国とその国民には必ずや明るい二十一世紀が開かれてゆくものと確信される。(pp20-21)
朝鮮の近代化が達成され、経済水準が李朝時代より向上した傍証として、著者は人口と歳入の増加を挙げる。
朝鮮民族の人口は、
1910 13,128,780人
1941 23,913,063人(+182%)
朝鮮総督府特別会計の歳入は、
1911 52,284,464円
1930 218,210,352円(+417%)
であった。著者は1942年と比較しているが、戦時中では税収体系に大幅な変更が起こっていただろうし、満州事変以降の円ブロックの経済は、インフレーションがあったはずだ。だから、満州事変直前の大恐慌時代、1930年と比較してみた。
人口と財政収入が期間を通じて激増していることが、このデータから読み取ることができる。
これが著者の言うように、単純に朝鮮民族の生活向上を意味していたのかどうかは、私には即断できかねる。
たとえば著者は、「従来畑作が主で穀類はムギ・アワ・ヒエ・キビ・トウモロコシなどで、栄養に乏しかった朝鮮人は、米の飛躍的な増産で彼らの食生活は栄養的に改善され、、、これは人口が急激に増加したことで明らかとなった」(pp39)と、書いている。
しかし、この説明は、どうも李朝時代に農村を旅行したイザベラ・バードの観察と、食い違っているように思われる。バードが見た農村は確かにとびきり裕福とは言えなかったが、食事は現在の韓国人のパンチャンと同じく、米のごはんといくつもの小皿が供される食事で、味もよく栄養にも富んでいた。ひょっとしたら、著者は自らが生活していた北部地方の事情について、一般化して述べているのかもしれない。戦前に日本に渡って来た人々は、困窮した小作人が多かった。平均値はどうであれ、困窮した階層が植民地時代に発生していたことは、私にとっては確からしいと思われる。それは、現在の在日の方々がアボジやオモニの労苦を思い出して語る言葉に、よく表れている。
しかし、他方で、植民地時代の朝鮮が日本の経済的収奪によって、全般的に困窮化したと主張するならば、たぶんそれも誤っているのでは、なかろうか。
私は、経済史の研究家ではない。
ゆえに、これまで半島について書かれた著作を私が読んだ限りで、自分としてイメージで語るより他はない。
戦前の巨文島(コムンド)は、漁業で繁栄していた。
本書にも書かれているように、北鎮は日本資本によって活況を呈していた。
以前読んだ朴景利の小説『金薬局の娘たち』は、統営が物語の舞台であったが、日本による併合は人々にとって痛恨事であったと、書かれていた。しかし、二十年の歳月が過ぎた後の統営の街は、日本式の漁業が導入されて、繁栄を加えていたと叙述されていた。
もちろん、経済的繁栄と、人の心の憤りは、別次元のものだ。
『金薬局の娘たち』でも、併合から20年後の若者たちの中には、独立運動に向けて突き進もうとする群像が、現れて来る。
かつての日本史でも、貧農史観が猛威を振るっていた。今でも、有力なのかもしれない。
植民地時代の朝鮮史も、経済的収奪史観だけでは、歴史の実像に迫ることはできないのではないだろうか。
両国のわだかまりは、もはや経済ではない。
プライドを傷つけられた、人の心の憤りに関する、点なのだ。