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四寸・八寸・十六寸

(カテゴリ:東北アジア研究

韓国語に、サチョン(사촌)という言葉がある。
「四寸」と漢字で書く。
これは、四等親という意味である。
自分から見て、一寸が両親。
二寸が、祖父母。
三寸が、おじおば。
その子が、四寸となる。つまり、いとこのこと。
イウッサチョン(이웃사촌)という言葉が、しばしば使われるという。
直訳すれば、「隣のいとこ」という意味。
これは、血のつながりはないが、いとこ同然に親しい間柄を指す言葉だ。
人の関係についても言うし、国の関係についても言う。
「ハングッハゴ イルボヌン イウッサチョニダゴ センガカムニダ。」
-韓国と日本は隣のいとこだと、思います。
こんな言い方が、できる。

韓国語の親族を表す言葉は、日本語よりもはるかに多い。
日本語なら「おじ、おば、祖父、祖母」で終わってしまう言葉が、韓国語では複雑に分かれている。父方については、何番目の兄・姉であるか、あるいは子がいるかいないかで、言い方が変えられる。
言葉は、その文化が大事だと思っている対象について、豊富な表現方法を持つという。
アラブ語がラクダについて豊富な語彙を持っていたり、漢語が料理方法について細かい用語を誇っていたりするのは、それぞれの文化が大事に思ってきた対象をよく表しているといえよう。
日本でも、あったね。

 津軽には七つの雪があるとか
 粉雪、つぶ雪、綿雪、ざらめ雪、水雪、かた雪、春待つ氷雪

新沼健二の、『津軽恋女』。
雪の津軽だから、雪にいろいろ言う。
日本語全般では、雨の語彙がとても多い。雨の国なのだ、日本は。
さて韓国では、父方は十六寸、母方は八寸までが、親戚とされる。
ものすごい、広がりだ。
数えてみれば、自分の八代前の父方の祖先の子孫が、親戚となる。父方だから、必ず自分と同姓同本貫のはずだ。もし一世三十年と考えれば、二百四十年前の祖先から分かれた同姓の人が、ぜんぶ親戚となる。
親類というよりは、社会集団と言うべきであろう。
ここが、日本と全く違う。
韓国の歴史で、特定の一族がまたたく間に権勢を独占するケースが見られるが、これは韓国社会の親類の結束の強さが、背景となっているはずだ。日本では、一族による権勢の独占は平氏や北条氏の頃まで見られたが、室町時代以降は目立たなくなった。親類よりも組織集団の結束のほうが、日本人の集団意識として重視されるようになったからであろう。
韓国に旅行すれば、同姓同本貫の人たちの組合事務所が、都市にある。
金海金氏、密陽朴氏、全州李氏、晋州姜氏、、、
外国人の目にはよく見えないが、韓国社会にはこのネットワークがある。政治すら、このネットワークで動いている面がある、と洩れ伝わってくる。

韓国語では、母の姉妹、すなわち母方のおばを表す特定用語として、イモ(이모)がある。イモは、面白いことに他人の女性に対しても、使う。店などに行って、その店のママさんに対して親しく問いかける言葉が、「イモ!」である。

それと、韓国語では男性と女性で、親しい目上の人に問いかける言葉が違う。
男性は、親しい目上の男性に対して、「ヒョン」と呼びかける。目上の女性には、「ヌナ」を使う。
女性は、親しい目上の男性に対して、「オッパ」と呼びかける。目上の女性には、「オンニ」を使う。
ところが、ここからが面白くて、男性もまた、女性に対して「オンニ」を使うことがある。ちょっとふざけたニュアンスを持った、親しい彼女への呼びかけである。年上・年下は、関係ない。日本語にあえて訳せば、「オネーサマ!」といったところだろうか。
だから、男と女が、互いに「オンニ!」「オッパ!」と呼び合っていれば、二人がとても親しい間柄だということが、すぐに分かるのだ。そうして結婚した後も、「オッパ!」と呼び続ける。やがて子供が生まれると、「オッパ!」が「アッパ!」になる。「アッパ」は、お父ちゃんのこと。たぶん漢語からの、輸入語だろう。

ちなみに女性が男性に「ヒョン」と呼びかけることは、普通ない。あるとすれば、学生時代に女性が気合を付けて、先輩などを呼ぶ場合だけ。日本語にあえて訳せば、だから「センパイ!」あたりなのだろう。

コメント (2)

ぷさんのたかし:

韓国で暮らしていて、本当に親族関係の呼び方で苦労します。
私は、妻が使っている言葉を真似して、妻の母を「シオモニ」と言いました。どっと、笑です。男は、義母をシオモニと呼ばないのです。その他、イモだコモがあったりします。

Suzumoto Jin:

>ぷさんのたかしさん
おはようございます。
親族の呼び方を細かく分けるのは、間違いなく儒教文化の影響ですね。
儒教文化では、日本ではなんとなくの教訓でしかない「年長者を尊重しなさい」という原則が、社会の掟にまでなっています。たとえは悪いですが、日本の役所で課長・課主幹・課長代理の上下の序列を役人たちが間違えることが許されないのに、似ていると言えましょうか。役所の世界では、名簿の順番も、会議の席次も、発言の重要性さえも、序列によって決まります。
現在の韓国社会がそこまで親族の序列を重んじているのかは別として、歴史として儒教文化の洗礼を受けたことは、その名残りとして色濃く韓国社会に残っていると観察できます。

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