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『ロシアとソ連』下斗米伸夫

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ロシア史の基礎知識がないと読み切れない本だが、日本人のロシア国家観をくつがえしかねない面白い視点でまとめた著作であった。
ロシア正教には、古儀式派(スタロオブリャドトツイ)と呼ばれる非主流派がある。17世紀のピーメンのロシア正教改革に反対して、ロシア帝国当局から不服従教徒として断続的に弾圧を受け続けてきたセクトである。私は、この古儀式派のことがドストエフスキー『罪と罰』において主人公ラスコリニコフの物語での役割を象徴していたこと、あるいはロシア革命前に成長した大資本家たちが大方この古儀式派から出てきたこと、そのぐらいしか知るところがなかった。この著作では、この古儀式派がロシアの国家観において当局が掲げる正教世界を統合するリーダーとしてのウルトラナショナリズムに対抗して、ロシア土着の宗教を守る保守主義を保ち続け、宗教的敬虔主義により勤勉・蓄財の担い手となり、権力から距離を置く立場から相互扶助の精神を育てて、これが下からのロシア革命運動の原動力となったこと、さらに遠く時を離れて1991年のソ連解体・ロシア復活の瞬間に、上からのソ連帝国を否定して下からのロシア国家復活に向けての運動の思想的背景となったであろうこと、これらの近代ロシアソ連史に果たした決定的に重要な意義が叙述されている。著者は、エリツィンもプーチンもそのルーツはおそらく古儀式派であろうと示唆してこの本を締める。

すると、正教世界のリーダーとしてウルトラナショナリズムを掲げたかつてのロシア帝国、そしてコミュニズムを掲げて世界を変革しようとしたソ連帝国は、それらに対抗するロシア土着の宗教と文化を守ろうとする古儀式派の保守主義を抑圧した国家思想の下で運営されていたということになる。それに対してエリツィン、それを継いだプーチンが保守的なロシア主義に立つ国家観の持ち主であるとすれば、現代目の前にあるロシア共和国の行動原理は、ソ連とは全く異なっている。ロシアの領域を守りロシアの伝統を守ることには敏感であるが、他の国にまで領域を広めて征服するウルトラナショナリズムには訴えることはないであろう。ロシアの権益を守る手法は乱暴であるが、かつてのソ連帝国の領土復活を目指しているかといえば、そうではないということになる。

類似した大陸国家である中華人民共和国は、その始原の国家統合原理は五族協和である。漢・満・蒙・回・蔵の五族を包摂したテリトリーを清帝国は保有していた。また清帝国は中国の皇帝でありかつ周辺地域のハーンであるという二重の正当性をもって、その版図を支配していた。

それを受け継いだ中華人民共和国は、清帝国とは違うテリトリー保持のイデオロギーとして五族を混交した「中華民族」を掲げた。テリトリー内部に住まう住民を民族として下分類し、その上位に統合する大民族として中華民族を置く。これはスターリンの民族政策の引き写しであった。

現在の中国は、国家統合のイデオロギーとしての中華民族が試されている。ウイグル人のテロは、政府が五族を対等に扱っておらずに非漢族の間に不平等感が広がっていて、中華民族に亀裂が生じかねない危機に面している事態が浮上し始めていることを示しいてる。

今後の中国の動向であるが、彼らが中華民族のイデオロギーを保守するのであれば、周辺諸国は限定的な紛争はあれど、独立が脅かされることはないであろう。ただし、そのためには指導者が中華民族のイデオロギーを誠実に実行し、非漢族を差別しない政策を真剣に遂行する必要がある。

別の道として、指導者が中華帝国を掲げる可能性もある。中華帝国は、ウルトラナショナリズムである。これは周辺諸国の侵略を正当化するイデオロギーであり、極めて危険である。もし国内の亀裂を治めきれず、経済の矛盾を治めきれないならば、彼らはウルトラナショナリズムによって矛盾を飛び越えようとするかもしれない。だがそれは、結局彼らの解体に必ずつながるであろう。五族協和思想を共有せず、毛沢東を建国者として認めない台湾を彼らがどう扱うかが、まず躓きの石である。