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台北四十八時間 06/06/29AM08:00

(カテゴリ:台北四十八時間
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でこぼこの歩道



ホテルに帰って缶ビールを2本流し込んで、寝た。目覚まし時計が部屋に備え付けられていないのが、ちょっと困った。

という心配も杞憂(きゆう)。きっちり朝食の時間、朝8時に起きることができた。自分の体内時計の正確さに、感謝するばかりだ。誰に感謝するのか?うーん、神さまにだろうか。


完全フリーツアーなのだが、朝食だけホテルで摂ることができるのがありがたい。バイキング形式で、好きなお惣菜をを選ぶことができる。私も昔勤め人だったが、社員旅行などに行くと朝からビールなどあおって酔っ払いつづけるのが旅の流儀だと考えている人が多かった。だが、あれはいかん。昼には酒を飲んでも一向にかまわないと思うが、朝は普通に腹を充たしておくべきだ。そうしないと、一日観光する元気など出てこない。きっと朝から酒をあおっている人々は、本音では社員旅行などばかばかしくて、シラフで上司や同僚の顔などと仕事以外の場で対面なんかしていられるかと思っているのだろう。そんな集団の行事こそが、ばかばかしい。



夜、商店街の歩道を歩いた。
ここでいう歩道とは、商店のならびの軒先の道のことである。ここばかりは、車が襲って来ない。
が、歩道も、歩行に安らかとはいえない。
「ここは、一段低くなっていますから」
産経新聞台北市局長の吉田信行氏が、先導しつつ声をかけてくれる。
「ああ、こんどは一段低くなりました」
山を歩いているようである。とくに、近眼に老眼がまじって足もとへの距離がつかみにくい家内には、この親切はありがたかった。

いうまでもなく、歩道は、公共のものである。
が、台北では商店ごとのが優っている。自店の都合で店頭の歩道を盛りあげたり、そのままであったりする。
「戦前の台北では、ありえないことでした」
と、ある老台北(ラオタイペイ)が、日本時代のことをほめて(?)くれた。
「蒋介石氏がきてから大陸の万人身勝手という風をもちこんだんです」

(司馬遼太郎『台北紀行』より。太字は原文では傍点)

このくだりを読んでいたので、果たして司馬氏が旅行した十年以上経った今ではどうなっているだろうかと思って、朝の西門町の「歩道」を観察してみた。


はっきり言って、あぶない。
あるね。


バリアフリーからは遠い。
確かに、店ごとに見事に段差がついている。


そういえば、香港も似たようなもんだったな。

「店の前の敷地は俺のものだ」という発想を一旦立てれば、きっと大抵の人は自分の敷地を趣味に応じて改造したいという欲に駆られることだろう。その後で店の主が別の人に代わってごらんなさい。前の店主が己の趣味でヘンテコ(?)なタイル装飾を盛り上げていれば、気に障ります。気に障るから、さらに改造を加えます。そうやって順送りされていき、このようになったのだろう。だから、一人一人の罪だとは言い切れないものがある。


旅行中に、李筱峰という台湾では著名な歴史学者の『馬英九と台湾史を論ず』(原題:與馬英九論台灣史、玉山社)という本を買った。今年五月初版の、ごく最近の著作である。その中に、タパニー事件の指導者、余清芳の思想傾向についての論議が収められていた。

タパニー事件とは、1915年(大正四年)に起った大規模な反日蜂起である。その指導者である余清芳は「大明慈悲国」の建国を唱えて革命檄文を回覧し、群集を動員して蜂起した。結果は農民の貧弱極まりない武器で日本当局の近代的装備に立ち向かったので、明らかであった。鎮圧の後に蜂起の一行は法廷に掛けられて、866人に死刑判決が下った(執行されたのは95人)。李筱峰氏は、余清芳の蜂起は宗教的迷信に基づいて信徒を集めて動員した「前近代」的革命思想に留まっていて、「近代中国の義和団とどこが違うのか?」と評している。(この書は現国民党党首の台湾史上の人物への認識の妥当性を論ずるのが主眼であって、だからと言って李筱峰氏が日本統治時代を必ずしも肯定しているわけではない点は、誤解のないように付け加えておく)

このタパニー事件について評価したいのではなくて、本の中の引用で余清芳が群集に宣伝したところによると、彼は日本人を追い払った後には、

人民不分貧富一概免税、也不受法律約束、享有絶對自由。
― 人民は貧富を分かたずことごとく税を免れ、また法律の約束を受けず、絶対の自由を享有するであろう。

と唱えたという。これは神がかりの雰囲気の中で発せられた宣伝文とはいえ、いや神がかりの雰囲気の中で発せられた宣伝文だからこそ、当時の農民たちの心の奥底にある願望をストレートに表面化した言葉ではないだろうか。この政府の統制と法の支配を忌み嫌って「絶對自由」を夢見るメンタリティーは、まさしく土から生計を得て土との関わりだけで生活を完結させることのできる、農民たちのものではないか。他人との取引によって生計を立てなければならなず、取引と貨幣の秩序に飯の種の根本がかかっている都市民ならば、このような願望を恐らく持たないであろう。その意味で、「帝力、何ぞ我に有らんや」(『十八史略』より)というのを理想とする漢族人民たちの心は、根っからの農民なのであろう。

タパニー事件からもう90年以上も経ったが、この目の前のでこぼこの歩道だけはどうやらまだ「絶對自由」流であるようだ。しかしこれだけ取引社会が発達して、IT産業に力を入れている人民である。昔ながらの「絶對自由」流では経済が立ち行かないであろう。このようなことをつらつら思いながら、私は西門町の西寧路から進んで北に向けて歩いてった。時々つまづきかけながら。それにしても、ちょっと蝿と犬の糞が目立つなあ。



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