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台北四十八時間 06/06/29PM10:00

(カテゴリ:台北四十八時間
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Orz....的節目(プログラム)



昨日の晩と同じように台湾ビールを二缶コンビニで買って、西門町のホテルに戻った。途中でインターネット喫茶に入ってみようかとのぞいて見たが、料金がべらぼうに高いのでやめにした。


ホテルに戻って、テレビを点ける。私は、日本に住んでいる時には、すでにテレビを基本的に観ない人になってしまっている。だが、外国に来たら興味本位でついつい観てしまう。

CMが面白い。フォード(だったかな?)のCMで、ナイスガイが華麗に乗り回す車を見て、青い目の男の子たちがつぶやく、

「Orz.....」

いうまでもなく、この「Orz」は、日本発のAA(アスキーアート)だ。もともとの形は、○| ̄|_である。これをヒイキのチームが滅多打ちに打ち込まれているときや肝心のシュートを逃したときなどに、何も言わずに掲示板に貼り付ける。やがて○| ̄|_は○| ̄|_○| ̄|_となり、○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_となり、しまいには



         \○/
           |
          /ゝ
        ○| ̄|_
      ○| ̄|_○| ̄|_
    ○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_
  ○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_
○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_○| ̄|_

となるのだ。

そういったネガティブな意味合いの記号で始まった○| ̄|_(これを簡略化したのがorzまたはOrz)だが、どうやら台湾ではいつのまにか「お願い!」とか「ごめんなさい!」という意味が派生し、さらには「ほんとにありがとう!」とか「参りました!」というような、プラスの意味にまで転化して使われているようなのだ。「五体倒地」と言う言い方さえ作られているらしい。日本では「ガクーリ」とか言われるのだが。


歴史ドラマをやっている。『大漢風』という「項羽と劉邦」ものの再放送だ。私はこの時代の歴史をよく知っているから、終わりまで見てしまった。

時代は紀元前二〇八年、始皇帝の死後に爆発した反秦討秦運動は、秦の名将章邯(しょうかん)の登場によって鎮圧されかかっていた。危機を打開するために反秦の楚軍は、章邯が包囲する北の趙の都邯鄲(かんたん)の救援に、宋義(そうぎ)と項羽を派遣した。楚はさらに加えて、第二戦線を作るために劉邦らを西に向けて進撃させたのであった。劉邦は儒者の酈生(れきせい)や天才軍師の張良(ちょうりょう)を幕下に迎えて、少しずつながら着実に秦の首都に近づいていた。一方項羽は宋義の副将として趙救援作戦に北上していたが、主将の宋義は秦との小ずるい取引などを考えていたのか、まるで戦意がない。このままでは劉邦らに先を越されると憤った項羽は、宋義を斬り捨てる。そして自ら主将に成り代わると宣言して、人心を奪った。この後から、章邯率いる秦軍は項羽の恐るべき強さを思い知ることになる、、、

ドラマは、項羽が章邯の軍を撃破するくだりが中心だった。項羽は黄河を渡河した兵たちに釜や甑(こしき)を叩き割らせて船を焼き払い、このまま進んで勝たなければ死あるのみという状況を作って戦う。結果は大勝利で、以後あれだけ強かった秦軍は、項羽軍との戦いに連敗して嘘のように崩壊していく。虞美人(ぐびじん。演じているのは、楊恭如という有名な女優らしい)がもうこの時点で話に絡んできて、遠い陣中にある項羽の身を案じていた。


歴史ドラマも面白かったが、私が一番面白かったのは、(不謹慎ながら)政治報道番組だった。「2100全民開講」という、台湾では非常に有名な番組らしい。番組の歴史も1990年代にまでさかのぼる。毎日二時間の番組で、終了した後もすぐに再放送されている。内容は、古館のような進行役の人(李濤という名で、番組をやっているテレビ局「TVBS」の現CEO)の周りで、コメンテーターたちが政治問題についてひたすらしゃべりまくる番組である。途中、視聴者からの電話意見がさしはさまれる("Call-in"と通称されているらしい)。「報道ステーション」のようなバラエティー性は一切ない。私が台北にいた頃の話題は、陳総統の家族をめぐる金絡みのいくつかの疑惑で一色だった。番組では邱毅という立法委員(台湾の国会である立法院の議員)がコメンテーターの一人として出演していたが、この人はこの番組内で爆料(暴露ネタ)を爆発させるので有名らしい。

番組の内容はコメンテーターたちが「阿扁」(陳総統の通称)を叩きまくるのがもっぱらで、反民進党的に偏向しているという評価がどうも台湾ではなされているようだ。だがそれを観ていた私はしょせん外国人だから、総統の親族のスキャンダルのような全くの国内問題について、どのような意見も持っていない。ただただ、コメンテーターたちが皆何とまあ長広舌をふるうのかと、感心して観ていた。よどみもせずに、長々と演説する。日本の国会議員では無理な芸当だ。途中ではさまれるイメージ映像は、人民の政治への怒りのシーンが映し出される。半端ではなく激しい。総統のパネルに人民が一斉に卵を投げ付け、講堂に掲げられていた総統の顔写真を、誰かが走り登って引きずり下ろしてしまう。正直言って「ヤラセじゃないか?」と疑ってしまった。

デモクラシーなのだから政治を批判するのは当然であって、こういったトップへのバッシングが許されない社会よりはずっといい。それに、平均的な生活水準としてはもはや先進国であるとは言うものの、この国にはかなり厳しい貧富の差が見え隠れする。政治家の関係者の保釈金として千万元単位の金が報道されるのに対して、『RIVER'S543』の風刺漫画で出てきた市の清掃作業員の月給は、わずか三万元でしかない。金と力をうんと持っているトップクラスの者たちに人民が頭まで下げることを要求するなどは、おそらくバランス感覚に欠ける物言いだろう。それよりは上に立つ者がスカタンであれば人民が容赦しない方が、健全なはずだ。だから、大陸中国はちょっと心配だ。台湾よりもさらに激しく貧富の差が存在して、しかも人民は上に立つ者への批判が許されない。この台湾の政治番組などを見ると、中国文化圏の人たちは「人の上に立つお方は偉いのだから、下々の者は何も言わずに素直に頭を下げる」ような性根をおそらく持っていないだろう。「だから、人の上に立つ者はスカタンではいかんぞ」と教えたのが儒教の孟子であって、「だから、下の連中の口を封じるためには法で縛るしかないんだぞ」と見切ったのが法家の韓非であった。そのような人民だから、必ず誰もが何か言いたいはずで、それを言える場が確保されている状況は少なくとも人民の精神的健康にとって健全であるだろう。

国の大きさが日本の九州ぐらいだから、国にとって重要な政治的課題も比較的はっきり整理できるはずだ。台湾の政治では周知の通り、大陸中国とどのようなスタンスを取るべきかの問題を巡って大きく二つの陣営が分かれている。恐ろしく重たい問題である。重たい問題であるからこそ、現実的な選択肢の幅はおそらく大して広くない。政治家たちが人民のために生きるという初心を忘れさえしなければ、舵取りを誤ることはたぶんないだろう。だからこの面積も人口もたぶん最もデモクラシーに適切な程度の大きさの国で、人民が人の上に立つスカタンを健全に突き上げることはよい現象なのではないか、などと思った。ただし健全に突き上げることが大事であって、メディアに誘導されては意味がないが。現状は、ちょっと政治報道がエンターテイメント的になりすぎているかもしれない。