甜美回憶中沒有的東西 ←漫畫(まんが)ページへ
というわけで木柵動物園に来た、二人。小さい頃にウ○コの臭いに気付かなかったのは、子供はそれだけウ○コと自然に向き合っていたということだ。大人になって清潔の味を覚えたとき、ウ○コが意識の脇に置かれるようになった。ウ○コじたいは変わらないのに、ウ○コに向き合う人間が変わったのだ。だが大人たちに関わりなく、ウ○コは今日も生産され続けている、、、(しつこいな。)
このような卑猥語は、どこの言語でも存在する。日本語は、いまだに相当に保守的である。多くの卑猥・野蛮とされる言葉が、公共放送や出版はおろか、大人の会話の上でもほぼ追放されたままになっている。英語ではすでに"damn"は普通人のくだけた会話で許されるようになっており、"f**k"すらロックミュージシャンなどはインタビューなどで平気で乱発している。さすがに"c**t"はまだ厳禁なようだが。大陸中国では、若い連中どもがサッカーの試合などで「SB」という卑猥語を敵や審判に連呼する状況が見られるそうだ。意味は、書きたくない。卑猥語の使い方・受け止め方は文化によって様々なのは、私は十分に理解しているつもりなのだが、、、
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
愛莉森「動物園なんて、ずいぶん来たことがないなー。小さい頃には、行く前には興奮して寝られなかったもんだけれど、、、」
小隊長「オレが前に行ったのは、確か國小の頃だよ、、、」
愛莉森「うーん、この顔に当る風!心がすがすがしくなってくるよ!最高ー!」
小隊長「そうだな、天気も最高にいいし、、、もうすぐ着くぞ、ん?」
愛莉森「こ、、、この風に乗ってやってくる香りは、、、動物の、、、」
小隊長「ウ○コの臭い、、、」
愛莉森「いきなり、こんな人に期待させないものが、、、動物園なのか、、、はあ」
小隊長「小さい頃には、こんな臭いは感じなかったんだが、、、」
― 動物たちの野性美を見るならば、彼らの香りに耐えなければならない。さあ、こうしてウ○コの香りに向って、前進だ!