« Korea!2009/02/17その一 | メイン | Korea!2009/02/17その三 »

Korea!2009/02/17その二

(カテゴリ:韓国旅行記

%E7%94%BB%E5%83%8F%20017.jpg

慶州は、じつに雄大な規模を持った、古都であった。
現市街地の南に、新羅王国にとっての「王家の谷」がある。
円形の古墳群が、野の中からにょっきり顔を出す。
残念ながら、今は冬の季節で、芝が枯れてあまり見栄えがしなかった。
司馬遼太郎は慶州の古墳群の美しさを絶賛していたが、これが春にもなれば芝も緑となって、さぞかし美観を呈するのだろう。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20023.jpg

南山に登るために、バスで登山口に向かう。
慶州の市街地は小さくて、すぐ農村地帯になる。
降りたところは、一望のど田舎。
雲ひとつなく晴れて、風もない。そして、空気が乾いて、冷たい。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20025.jpg

地図の通りに登山口に向かう。
国道に沿った鮑石亭のバス停から南に歩けば、いかにも日本の登山口の風情をした、二、三軒のお食事所とでっかい登山地図がある地点に、出くわした。
山に、分け入る。
登山口近くにある、三陵ゴル。
新羅初期の王一人と、最末期の王二人の、墓だという。
古い方の新羅第八代阿達羅王の在位は紀元154~184年だというから、中国では後漢時代の後期である。本当ならば、とてつもなく古い。
古墳作りの発想は、中国から流入したものなのだろうか。
それとも、古代遊牧民の墓であるクルガン(Kurgan)の発想が、新羅人にもとからあって、君主のために塚を作ったのだろうか。
新羅王の古墳は、長い歴史のどの王のものであっても、丸っこくて愛らしい。
日本の仁徳・応神天皇陵の、あの異様なほどに巨大な古墳は、どこで半島との間に発想の転換が起こったのであろうか。
ひょっとして、かつて日本人は中国の長安にお登りとして赴いて、秦の始皇帝とか漢の武帝とかの、とてつもなく大きな陵墓を見て、仰天したのかもしれない。
それで、半島の諸国に対抗して、こっちは本場中国のスケールを真似たどでかい墳墓を作ってやる、と権力者が意気込んだのかもしれない。
田舎者が力を誇示するために、いかにもやりそうなことではないか?

山に分け入ろうと思ったものの、日本の山と少し勝手が違う。
南山は、韓国の山々の典型の樹相として、全山が疎な松林だ。
松林の下は空間だらけで、いったいこれが登山道なのか、ただの林の間なのかが、判別し難くなった。
歩いているうちに、これは間違ったのではないか、と不安心が沸き起こった。
引き返した。
外国で山に迷ったら、きっと恐ろしいことになる。とにかく、慎重に慎重を重ねることにした。
二度、中途で引き返して、ようやく三度目に、他の登山客の一行に遭遇して、その後を着いていくことにした。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20031.jpg

しばらくすると、整備された登山道が、現れた。
これで、安心だ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20030.jpg

松林の木陰に、動く影、、、
リスが、いた。
しかも、いっぱいいた。
松の木をするすると登り、梢を伝って軽々と駆け回っている。
きっと松の実を食って、生活しているのだろう。
これは、素晴らしい。
だが、あまりに素早く逃げ去ってしまい、写真に撮ることができなかった。
撮影できたのは、上の一枚だけ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20034.jpg %E7%94%BB%E5%83%8F%20043.jpg
%E7%94%BB%E5%83%8F%20044.jpg %E7%94%BB%E5%83%8F%20040.jpg

岩肌が露出した、荒々しい山塊の途上に、自然石を彫琢して作った石仏が点在する。
大変な、山道だ。
この南山に仏を奉納し続けた新羅人たちは、きっと山深い世界にこそ、神霊な空気が宿っていると、確信していたのだろう。
日本の修験道などと、同じ信仰心ではないか。
むしろ、日本人の山好きは、かつて日本に大挙して渡来した半島の民が持ち込んだものなのかもしれない。
日本には、山の世界と、海の世界がある。
この両者は、私の直感では、たぶん起源を別にしている。
海の世界は、おそらくポリネシア諸島やマレーと起源を同じくする。韓国では、南端の済州島に海の文化が濃厚に残っている。
いっぽう山の世界は、半島の民の文化なのではないか。
日本人には、海を見たとき郷愁を感じる人と、山に入ったとき郷愁を感じる人とに分かれるのではないか。
私は海を見ても別段何の感慨も起きないが、こうして南山の山々に分け入ったとき、心が清清しくなる。

%E7%94%BB%E5%83%8F%20047.jpg

空気は、冷たい。
渓流が、凍り付いている。
山は、険しい。
途中地点の金鰲山(クモサン)にたどり着くまでに、1時間30分かかった。
私は山を歩くペースが常人より少し速いから、この南山の石仏巡りは、本物の山登りコースだと思ったほうがよい。標高は低いものの、足場は岩が露出して滑りやすく、道は狭くて険しい。なめてかからない方が、よい。私は金鰲山から先に進む道を迷って、岩山で滑り落ちてしまいそうになった。先ほども言ったように山の木々は疎な松林なので、道でないところを道に間違える恐れが、ある。

048.jpg

道を、下っていった。
平日の冬なのに、山を歩く人が結構いる。
向こうからやって来たおばさんの一行が、私とすれ違った。
「アンニョンハセヨ?」
おばさんたちは、私に挨拶した。
ああ、こう言っていたのか。
登る途上で、すれ違った人たちが何か言い合っていたのだが、よく聞き取れなかった。
山道ですれ違っても何も言わない人もいるが(男性は、何も言わない人が多いようだ)、言う場合には、アンニョンハセヨ。つまり、「こんにちは」。
どうして、こんなにも日本と似ているのだろうか。
道の途上で、頭の後ろからトントントントン、、、という何かの音が、聞こえてきた。
何だ?と振り返ると-
啄木鳥(きつつき)が、松の幹を叩いていた。
実は、名前だけ有名なこの鳥が木を叩く姿を見たのは、これが初めてだった。
日本の山とは違うが、韓国の山は、自然に覆われている。
愛すべき山河ではないか、と感じ入った。
山道は、下っていく一方だった。
途上でどうやら道をまた間違えたようだな、と思ったが、もうずいぶん下ってしまった。
おじさんにもおばさんにも、後続からずんずん追い抜かれていく。
ここの人たちは、山を歩く足が速い。
とうとう、麓の統一殿(トンイルジョン)付近に、着いてしまった。
元々の予定では、金鰲山奥の石仏にまで足を運ぶつもりだったのが、もういいや。
仏とは風のようなもので、像を拝まなくても後ろからそっと押して、衆生の我らを前に進ませるものだ。なんぞ、石仏をあえて見んや。
リスとキツツキと、アンニョンハセヨ。
これがあったので、南山を登った甲斐は十分にあった。