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Korea!2009/02/18その一

(カテゴリ:韓国旅行記

はっきり言って、疲れた。
一日目に恥の限りをかいて、二日目に昨日のダメージをひきずりながら歩き、三日目に本格的な登山をしてしまった。
猛烈に、風呂に入りたくなった。
私は温泉というものが嫌いな日本国異人で、旅行に行って風呂につかるだけで観光した気分になる輩の心情が、理解できない。だから、旅行に行っても、地元の温泉なんぞに目もくれない。
しかし、この日の朝には、とにかく湯の中で体をほぐしたいと思った。
ホテルの近くに、サウナらしきものがある。早朝まだ暗い頃、ビルの十階にあるサウナ(「チムジルパン」などと名乗っているが、内実はサウナそのものだ)に行って、汗を払った。
サウナの中でも、本当に韓国語オンリーだな。
私がゆっくり英語で話しても、店員の誰も理解できない。掃除のおじさんだけが日本語を理解しようという心構えがあって、シャンプーを欲しがった私に、「サンプル!」と言って、渡してくれた。
だが、風呂から上がって、フロントに借りたシャンプーを返しに行くと、おじさんがどこかに行っていた。残った店員の誰も、日本語は当然として、英語も一言すら理解できない。何か犯罪者であるかのように、じろじろ見られてしまった。
私は、手でモップをかけるボディーランゲージをして、「掃除の、おじさんに、借りた!」と表現してみせた。
ようやく、理解されたようだ。ボディーランゲージが、一番通じるのだ。
だが、にせインテリの私にとって、ボディーランゲージはちょっと気恥ずかしい。その恥ずかしさが、国際理解への障害なのだって?、、、悪かったな。

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朝の、チャガルチ。
台北の朝は、機車(ジーチョ、原付単車)の群れが道路を占有していたが、この釜山では、単車を見ることが、朝はおろか日中を通して、ほとんどない。通勤は、どうやっているのだろうか。地下鉄はあるものの、大きな釜山市街で三路線しかなくては、家からよほどに不便であろうに。(JRに当たるKorailは、本数が思いっきり少ない。それに、韓国には私鉄が存在しないのですぞ。)
何となくだが、この国の人々が、痩せ我慢をしている風景を、頭に描いてしまう。自宅から駅まで、2kmあるって?、、、それが、どうした。ポス(버스、「バス」)が、あるだろうが。バス停もないだと、、、お前は、足を持っていないのか、、、
とにかく、自転車すらほとんど見かけないこの釜山の街は、旅行者にとっては天国のように、街が美しい。

朝方はやる気が出なかったが、一風呂浴びて寒い釜山の市街地に出ると、俄然気合が入って来た。
よおし。今日は、予定通り、海印寺に行くことにしよう。
海印寺は、大邱の郊外(いや、ずっと山の奥)にある、仏教寺院。あまりに山の中にあるために、ここには秀吉軍も、攻め入ることがなかったとか。私は、海印寺に行くために、釜山駅からKorailに乗り込んだ。

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乗った列車の車窓に広がる、豊かな水の流れ。
洛東江(ナットンガン)。
私は、もう中流に差し掛かっているはずなのに、この水量の多さを見て、驚いた。
-これは、堂々たる川だ。
広々とした流れが、山の合間を縫って、流れている。山、尽きるところに水あり。洛東江の山水は、まさしく水墨画にふさわしい風景であった。私は、車窓から見える華麗な風景に、ほれぼれと見とれてしまった。

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しかし、美しい川の姿を鑑賞しながらも、思った。
-この大河は、ケチな川だ。
こんなに豊かな流れなのに、川の周辺に、平野がほとんどない。
これだけの水があれば、野が左右に広がってさえいれば、数百万石の米を作ることができるだろう。
なのに、河口の近くにすら、大阪平野のような沖積平野がない。河口の釜山・金海は、山だらけなのだ。
井上秀雄氏『古代朝鮮』から、引用する。


淀川は河口から約七五キロで海抜八五メートルの琵琶湖に達する。淀川の傾斜度は一キロあたり一・一三メートルである。これにたいし洛東江は河口から約一二〇キロの咸安(ハマン)邑で海抜八メートルである。また三〇〇キロ上流の安東市で、洛東江の水位は海抜八〇メートルである。咸安邑までの洛東江の傾斜度は一キロあたりわずか六・七センチで、淀川のそれにくらべ実に十七分の一である。また安東市までの洛東江でもその傾斜度は一キロあたり二六・七センチで、淀川の傾斜度の約四分の一である。
この傾斜度のゆるさは流域の開発を遅らせることになり、その河岸の沖積平野が近代まで農耕地として利用できなかった理由でもある。弁韓・辰韓の小国はかなり上流まで洛東江を避け、その水位より一〇メートル以上も高いところに位置している。
(井上秀雄『古代朝鮮』講談社学術文庫より)

さらに、

また、洛東江やその支流などによって作られた沖積平野が少しはあるが、この沖積平野を部分的にしろ農地として利用するのは、近世の朝鮮王朝時代になってからである。この沖積平野は四周の山に振りそそいだ雨がここに集中するが、洛東江が超緩傾斜であるため、その雨水はこの沖積平野に停滞する。そのためせっかくの沖積平野が農地にならず、この点が日本の古代農業ひいては古代国家と大きな違いを生じた理由であろう。

井上氏は、日本の淀川が古代国家形成を促進する役割を果たし、洛東江はそれを阻害する役割を果たした、と批評している。洛東江の豊富な水が、超緩傾斜の流れによって利用することを阻み、川から離れた地域に小国が分立する結果を招いた。
洛東江の流れは、筆を取りたくなる風景であった。もちろん、使う具材は、西洋の油絵具ではない。黒い、墨一色だけ。
しかし、鑑賞して美しいこの川は、生活者にとって何とうらめしい流れではないか。

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てなわけで、東大邱駅に着き、バス停まで地下鉄で行く。
写真は、プラスチック製の乗車券。これをセンサーにかざして入場し、出るときはスロットに入れて、回収される。
リサイクルと、いうわけだな。その意気は殊勝であるが、せめて英語くらい構内に表示してくれよ。路線図がハングルだけでは、外国人が迷う。