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Korea!2009/02/18そのニ

(カテゴリ:韓国旅行記

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バスに揺られて、寺の構える伽倻山系の真ん中へ。
空気はいよいよ冷たいが、雪なんか山上にもないね。内陸気候だ。

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伽倻山海印寺。
高麗大蔵経の版木を収める、名刹だ。あまりに山奥にあるため秀吉の侵攻においても焼かれなかったが、残念なことにその後に火災に逢ってしまった。これだけ空気が乾燥していて寒ければ、冬に暖と食のために火を起こせば、何十年かに一回は火事となるのは、もう致し方なかろう。韓国の寒さは、やせ我慢では過ごしきれない。

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山門を入った先にあった、枯死木(コサモッ)。
9世紀初頭の新羅王エジャン(Ae-jang、哀荘王)が、王妃の病を祈祷によって治癒させた二人の僧への感謝として、多くの寺院・僧院と共に、この海印寺を寄進した。枯死木は、寄進したエジャン王の記念として、境内に植えられたという。それから1200年生き続け、光復の年1945年に、枯死したという。
以上は英語の説明から引き写したものであるが、説明板の中の"zelkova"という木の名前が、分からなかった。
ホテルに帰ってから英語と日本語のwikipediaを並べて参照してみると、あらまし答えが出た。
ケヤキ。
この伽倻山の植生もまたやっぱり貧相なものであるが、寺院の中のケヤキの大樹は、人の記憶として生き続けて来た。今、死んでしまった。誰かが記憶しておかないと、忘れ去られてしまう。

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ここは、まさしく名刹ですね。
背後の借景が、じつに美しい。
境内正面の大寂光殿を撮影しようとしたら、「チャルヨンクンチ」のハングル表記が、目に入った。
「チャルヨンクンチ」(촬영금지、撮影禁止)のハングルだけは、この旅行で目で読み取れるようになった。
インフォメーションセンターに行って、紙に「大寂光殿」とペンで大書して、その後に書き記して、見せた。
「大寂光殿 의 outside 는-」
私は、「チャルヨンクンサ?」と言いながらカメラを取るしぐさを、インフォメーションセンターのおねえさんに示した。本当は上のごとく「チャルヨンクンチ」なのだが、このくらいの間違いならば、相手にも通じる。
おねえさんは、私の漢字を見て、「あー、テジュグァンジョン?」と読んだ。
さすがに、仕事をしている寺の漢字名は、知っていた。
おねえさんとの英語のやりとりはたどたどしかったが、とにかくチャルヨンクンチなのは、仏を拝む殿の内側だけだということが、分かった。

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大寂光殿は、建物そのものは新しい。
屋根の反りが、美しいと思った。
韓国の寺院には、台北の寺院のような華やぎがない。
この国民がたぶん好きな色なのであろう、緑色基調をしている。
石ばかりで出来たような山の中に、緑色の寺院を置けば、枯れたような味わいとなる。
この国の街や山河で感じることは、風景に使われる色合いの数が、少ない。
絵具を取ってみても、墨の黒に加えて、後は緑色さえあれば、表現できそうな気がする。
今は冬だからかもしれないが、釜山の街でも大邱の街でも、花を見かけることがない。
今、日本ならば、梅の季節。
紅、白、黄色の梅の花が、京都ならばそちこちに顔を出して、見る人の目を喜ばせる。
日本人はたとい枯れた冬であっても花の華やぎを風景に求めてやまないが、韓国人はそうでないようだ。
春には芝の緑があれば、それでいいのだろうか。冬はもう、華やぎをあきらめた境地に安住しているのだろうか。
大寂光殿の奥に、世界遺産の高麗大蔵経がある。
写真は、撮っていません。
こちらは、本当にチャルヨンクンチ。

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寺の入り口にある建物で、ただの土産物屋だ。
だから、歴史なんぞ、何もない。
だが、屋根が古さびて、上に木が生え出していた。
後ろの雄大な山々を背景とすれば、何とも一幅の絵になっていた。
山水画の巨匠たちがこの景色を見れば、筆を取らずにはいられなかったに、違いない。
この国は、新しいものまで古さびさせて石と緑の中に埋もれさせる、風水とでもいうべきなのだろうか、何かの力があるようではないか?