今日は、これからヤンドンミンソンマウルに、行く。
日本語に訳せば、「良洞民俗村」。
市外バスターミナルで、日本語も英語も通じない世界の中で、四苦八苦しながらバスに乗る。
まあ、着いたんは、ええものの、、、
どないして、行けばええん?
日本の常識として、バスから降りれば、すぐに観光地だと思っていた。
この国は、旅行者に根性を要請する、剛毅な国だ。
さきほどの写真にある道を、えんえんと歩き続けた先に、ヤンドンミンソンマウルがあった。
このマウル(韓国語で、村)の説明は、慶州市発行のガイドブックに任せよう。
月城孫氏と驪江李氏によって形成されたヤンバン(両班)ムラで村全体が文化財(重要民族資料第189号)として1984年12月24日に指定された。全国に6カ所の伝統民族村があるが、村の規模、保存状態、文化財の数と伝統性、そして美しい自然環境とおかされていない郷土性などで他のどんなところよりも優れており、みどころも多く1993年には英国のチャールズ皇太子もここを訪問された。
李朝社会の中核であった、両班。
現在、韓国人のほとんど全員が、両班の子孫に当たるという。
それは李朝末期から近代にかけての激しい社会変動の結果であろうが、このマウルの両班は、正真正銘の本物、李朝を支えた功臣・学士を輩出した、名門中の名門である。
孫氏と李氏の両家を合わせて、科挙の文科及第26名、武科及第14名、生進士科に合格したものが76名で、人材の輩出がもっとも多い地域として名高いヤンバン(両班)ムラである。
上のパンフレットの引用における「生進」(センジン)とは、科挙の受験資格を得るための一次試験の司馬試のことで、進士試と生員試の二つの受験コースに分かれていた。だから両方を併せて「生進」とこのパンフレットは呼んでいるのであろう。司馬試は、中国でいう学校試に当たる。中国では、この試験に受かって「生員」(ションユァン)と呼ばれるだけでも郷里ではたいへんな名誉となり、地方の官に就職できる道が開ける。李朝でも、たぶん同様の事情であっただろう。
華やぎは、いらない。
それが、両班の美学であった。
村は、全体として、土っぽい。
本瓦をした家屋の屋根が、重々しい。本瓦とは、写真のような平瓦と丸瓦を交互に組み合わせた葺き方で、古代中国から受け継がれた様式である。日本では、由緒ある寺院は必ずこの本瓦葺きになっている。徳川時代以前まではこれが標準であり、徳川時代までは、日本に瓦なんぞ寺院と大名の天守閣にしか、なかった。徳川時代になって、平瓦と丸瓦を一体化した桟瓦(さんがわら)が、発明された。軽くて安いこの瓦はたちまちに広まって、現在の日本の家屋はほとんどが桟瓦となっている。韓国でも見かけるが、あればそれはたぶん日帝時代以降の建築であろう。
今でも、人が住んでいる。
村は、坂が多い。
楽々と、見学させてくれない。
観光客をもてなして、楽にきれいな風景を見せるというサービス精神は、両班の魂からは遠いようだ。
韓国では、どこに行くにも、足を使わなくてはならない。
畑で、コチュ(唐辛子)を、植えていた。
韓国では、これがなくては料理ができない。
コチュはビタミンCが豊富で、その上火を加えても栄養分が消え去りにくい。
ビタミンCは人間が最も必要とする栄養であるが、毎日コチュさえ食べ続けていれば、欠乏症になることはない。
同じくビタミンCが豊富なお茶を、仏教と共に捨て去った李氏朝鮮の人々は、コチュを愛して食することによって、代替としたというわけか。
無忝堂(ムチョンダン)の写真を、撮らせてもらった。
説明によれば、1460年ごろに建てられた驪江李氏の宗家だという。
梁(はり)が、わざとしたように、歪んでいる。
真っ直ぐな木材を作る技術がなかったわけではなかろうから、これは全く美意識の問題であるはずだ。
大地主の宗家であるはずなのに、家そのものは貧しい空気を放っている。
柱も、大歪みに歪んで、ぞんざいな空気を作り出している。
茅茨(ぼうし)、剪(き)らず。(十八史略)
上の言葉は、儒教がその統治を黄金時代として理想とする、いにしえの聖王である堯帝(ぎょうてい)の宮殿の質素さを称えた、表現である。堯帝は、民を慈しみ暦を作り、庶民の中から舜(しゅん)を見出してこれに政治を任せて、死後には自分の息子ではなくて舜に位を譲った。彼は中国最高の君主の一人であるにも関わらず、その宮殿は剪り揃えもしない、茅茨(かやぶ)きであった。
さすがに両班の屋敷じたいは、周辺の一般農家がいまだに茅茨きであるのとは違って、瓦葺きであった。だが、儒教の本場の中国人が君子の質素さをどこかに忘れ去ってしまい、富貴を求めて楽しむ楽天的な人間たちになってしまったのと違って、ここの国の君子たちは、儒教の経典が教える道を、大真面目に実践しようとしていたに、違いない。それが、偽善だって?、、、それは、このムラに入ったからには、言ってはならないよ。
床の木材は、段違いになっている。
これは、明らかにわざとやった結果だ。
金をかけて、わざわざ貧しく見せる。この家は、冬の日に何とも寒そうだ。
堂の高さは数仭(すうじん)、榱題(しだい。よこはり)は数尺。我は志を得るとも、為(な)さ弗(ざ)るなり。 (孟子、盡心章句下)
地主であっても、豊かな生活を求めない。それが、儒教の君子である。
ゆがんだ梁と、段違いの床柱は、そんな美意識のなせるわざなのであろう。
人名が記載されていて失礼に当たるので写真は撮っていないが、無忝堂の壁に李氏一族の行事担当者たちの名簿が、墨書で掲げられていた。
韓国人の男性名には、伝統的に木・火・土・金・水の五行(ごぎょう)のどれか一つが、漢字に組み込まれている。
名簿の人名で調べたら、確かに全ての人名に、水と火を確認することができた。たとえば水ならば、「さんずいへん」を使った字を一字、名前に組み込む。火ならば、「ひへん」であったり、「れんが」であったり、あるいは太陽を表すために「日」の字を組み込む。
私にはそのシステムがよく分からないが、一族の始祖から始まって代を重ねるごとに、この木・火・土・金・水をぐるぐると回していくらしい。だから、本貫(ポングァン、始祖の墳墓がある土地)を同じくする同姓の韓国人であれば、名前を見ただけで祖先から何代目かが、分かるようになっているという。それで、小学生の男の子が五十代のお父さんのおじに当たるようなことが、ありえるというのだ。もし現在そうであることが判明したら彼らがどのように対応しているのかは、知らない。五十代のお父さんが、小学生の男の子におじおいの礼を取るのであろうか。
山道に分け入ると、陶器の破片が落ちていた。
拾ってよく見たら、釉(うわぐすり)がかけられている。
-李朝陶磁の、破片かな?
一瞬、そう思ったが、、、まさかね。
村だから、鶏がいる。
静かな村で、聞こえる音といえば、鶏と犬の鳴き声ばかりだ。
-鶏犬、相聞こゆ。
『老子』の、そんな一節を思い出した。
そのとき家の中からとつぜん大きな音が鳴り出したので、何だと思って振り返ると、斧で薪を割り始めていた。
いにしえの古俗を守るのも、ここまで来ると愉快になってくる。
空から、とうとう雨が降って来た。
傘は、一日目に紛失してしまった。中途で買おうと思ったが、コンビニよりも慶州市内で買ったほうが安いだろうと思って後回しにしていたら、買うのを忘れてしまった。
戻ろう。雨が、本降りになる前に。
私は、ヤンドンミンソンマウルを後にして、またえんえんと続くバス停への道を、歩いて行った。