「見えます」
李進熙氏は、陰気なほどのしずかな声でいった。
「絶影島です」
言われてみて、海を見た。せまい湾口に区切られたみじかい水平線上に、なにかあるらしい。凝視しつづけると目が疲れてしまい、淡い影がとらえられなくなってしまう。そのうちにしみのような影が、分別できるようになった。
(『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)
絶影島(ぜつえいとう、ジョリョンド)というかつての島の壮絶な名前から連想したのか、それともこの『街道をゆく』の旅行で、司馬遼氏の同行者であった金達寿(キム・タルス)氏と李進熙(リ・ジンヒ)氏が、国籍の関係上韓国に渡航できないという苦悩を下敷きにした旅行であったことが、私の心を重くさせたのか。とにかく、影島(ヨンド)とは波頭の中の僻地であると、勝手に思い込んでいた。
ところが、橋を渡って入ってみると、そんなことはない。
司馬遼氏は、この島を「ビスケットのカケラのように小さな島」と形容していたが、ここは釜山市の一区を為すほどに、大きくて人口の多い島だ。いっぱい、人がいる。きれいなマンションが、うんと立ち並んでいる。だが交通の便は、市内バスしかない。
見たまい、この船の群れ。
釜山港(プサンハン)は、栄えている。
衰退する一方の関西に住む私として、この風景は、うらやましい。
きれいな歩道が、海岸沿いに造り付けられている。
歩くというレジャーを、この国民がいかに愛しているかが、道を歩けば分かる。
影島どころか、ここは光の島だ。
途上の一軒の家の裏で、白梅が咲いていた。
やっぱり、梅を咲かせることができる、気候なのだ。
単に、咲かせることに、あまり興味がないだけなのだろう。
海へ降りることができる、遊歩道。
ちょっとしたところにも、石のモニュメントがある。
石を愛する、韓国人。
花を愛する、日本人。
この両者が手を結べば、必ず世界に冠たる大文明を打ち立てることが、できるだろう。私は、今本気で、そう思っている。
釜山といえば、椿。
なのに、この影島まで来て、ようやく植えられているのを、こうして見かけた。
絞りの椿が、清楚である。
椿咲く春なのに
あなたは帰らない
たたずむ釜山港に
涙の雨が降る
一日目に屋台の居酒屋に飛び込んで、この歌を高歌放吟したような、記憶がおぼろげにあるなあ。
クソバカ、だねえ。
何じゃ、こりゃ?
自動販売機で、買ってみた。
-松のつぼみ、ドリンク。
英語での表記は、そうなっている。
韓国人は、松の実ばかりでなく、松のつぼみまで食しているというわけか。
韓国人は、日本人のように梅(ウメボシ)と竹(タケノコ)を好んで食しているようには、見えない。
だが、日本人にとっては食べ物ではない松の木を、逆に食べられる木として、尊重しているようだ。
さすが、木といえば松の林の山を持つ、国民だ。
飲んで、みる。
、、、形容し難き、味がした。
晴れた日の、影島と釜山港の風景は、美しい。
街全体が、清潔である。
香港も確かに夜景は美しいのであるが、華麗なビルと隣り合わせに、おそろしく貧しくて不潔な昔のアパートが平然と並んでいたりする。香港は、遠くから眺めたらダイヤモンドのように見えるが、近寄って見ればあちこちがケシズミになって、汚れている。
隅々まで清らかである、釜山の勝ちだ。
所々で、釣りを楽しんでいる人がいる。
バス一本で、こんな結構なリゾート地に行くことができる釜山人の暮らしは、ぜいたくだ。