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Korea!2009/02/20その五

(カテゴリ:韓国旅行記

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私は、この旅行で、韓国に対して満腔の愛着を、感じることになった。
だが、本稿に関してだけは、厳しく批判させていただく。それは、ひるがえってわが国日本に対する、批判でもあるのだ。
見たくない人は、本稿を飛ばしてください。

上の写真は、太宗台からの戻り道で見かけた、南天の実。
そうそう、花の乏しい日本の冬には、この赤い南天の実が、淋しさを和らげてくれる。
日本でいっぱい見かけるこの実もまた、こんなところまで行かなければお目にかかれなかった。
帰りは、バス停からバスで帰る。さすがに、ここから歩いて市街地まで帰るには、足がもう進まない。

バスで、西面(ソミョン)の市街地に向かう。
ロッテ百貨店で、買い物をするためだ。
バスのアナウンスは、韓国語オンリー。
睡魔が、襲って来る。眠たい。しかし、寝れば、乗り過ごす。
バスは、中心街に、近づいて来る。
地図で見当を付ける限りにおいては、間もなく西面だろう。
アナウンスが、よく聞き取れない。
あ!
乗り過ごした!
西面のバス停が、通り過ぎて行く。
あわてて、次の釜田市場で降りて、西面に舞い戻る。
どうして、西面だけにでも、英語のアナウンスがないのですか。
西面といえば、釜山で一番重要な、駅ではないですか。
外国人は、バスに乗るなと、言いたいのですか。
だったら、影島に行った外国人の観光客は、どうやって市街地に戻れば、よいのですか?
田舎は、まだ現状では、しようがない。
しかし、釜山は大都会ではないか。
大都会が、自国人にか使えないサービスを、提供している。
それでよいと圧倒的多数の人が思っているから、この現状なのだ。
だが、そんなことで、これからよいのですか。
私は、疲れた体を引きずりながら、怒り心頭に達していた。

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ロッテ百貨店の中は、美しい。
日本語も英語も通じないが、サービスをちゃんとしてくれていることが、店員の応対を見れば、よく分かる。
かつて司馬遼氏が、韓国人の文化の古層には李氏朝鮮時代の商人蔑視の思想があって、それがひょっくりと顔を出したりすることが、時々あるのではないかと、書いていた。
しかし、司馬遼氏の死後から十三年経って今韓国を旅行している私には、この国で働いている人々のサービスの悪さなど、みじんも感じない。司馬遼氏が始めて韓国に行った時、釜山行きの飛行機でのステュワーデスの仏頂面には、閉口したと書いていた。しかし、彼の旅行から三十八年後に私が乗り込んだ、釜山行き大韓航空のサービスは、完璧なものであった。
結局、両班の文化などでは、なかったのだ。昔の韓国人が、ビジネス社会に、単に慣れていなかっただけのことだったのだ。今の韓国人はもう、日本と同水準のサービスを、提供してくれる。むしろ困った時に助けてくれる人情の厚さにおいては、薄情で対人恐怖症な日本人とは比較にならないほどに、心が優しい。
だが、しかし。
私は、この国が、今病気にかかっていると、思った。
この病気を治癒しなければ、おそらくこの国に、更なる発展はない。
その病気とは、あえて名付ければ、「内向き症候群」だ。
韓国人は均一な民族で、自国の常識が通じない分子は、国内にほとんど存在しない。
だから、アメリカやEU諸国ならば当然分かっている、異なるバックグラウンドの者たちでも安心して使うことができるサービスを構築しなければならないという努力が、著しく欠けている。
人情は、いいんだ。素晴らしい。
だが、異邦人にとっては、人情で手間を掛けて助けてくれるよりも、機械じかけでもわかりやすかった方が助かることが、多いのだ。非常に、多いのだ。
おそらく、この国の政府だって、国際化の掛声だけは、日本同様に掛けていることであろう。
だが、旅行者の目にとって、細かな点で次々と、韓国オンリーの世界にぶち当たる。
私は、英語が日本語並みに速く読めるし、しゃべる方はずっとヘタクソであるものの、何とか通じさせることができる。
だから、韓国の辺地に行っても、何とかなるときもあるし、ならないときもある。
だが、日本語しかできない圧倒的多数の観光客は、韓国に来た時、淋しいながらもロッテ百貨店で買い物をするぐらいしか、為すところがない。列車の切符すら、買えない。コンビニでキャッシュすら、下ろせない。
何と、淋しいことではないか。不幸である。現状は、思いっきり、不幸である。

地下鉄で、中央洞にまで向かう。
さきほどバスに乗った際、人々がキーホルダーをセンサーに当てて、乗車していた様子を見ていた。
そういえば、地下鉄のハナロパス販売機の横に、キーホルダーの販売機が併設されていた。
全文韓国語だからこれまで読もうとも思わなかったが、ははあ、キーホルダー型のハナロパスなのだな、と理解できた。
手持ちのハナロパスが、うまいぐあいに残金がほとんど尽きていた。
早速、キーホルダーを買う。六千ウォン。昼食二人前分だ。
くまさんのキーホルダーを、買った。
そのまま、地下鉄に乗ろうと試み、センサーにくまさんを当てる。
、、、乗れない。
なぜ?
自販機コーナーに舞い戻って、くまさんの残金を調べる。
残金、ゼロウォン。
私は、歯ぎしりした。
こんなしょぼくれたデザインのキーホルダーごときが、昼食二人前分!
こんな商売は、日本では決して、通らない。
失礼であるが、私の目から見れば、販売していたキーホルダーの日本での価値は、六百ウォンにすらならない。
もっとデザインを考えなければ、日本人の目は、韓国人よりもずっと厳しい。
私は、もうくまさんのキーホルダーを、一切使わなかった。以降は、全て切符を買った。今も、私の携帯にくくりつけてある。マイナスの、土産物として。
地下鉄に乗ると、ロッテ百貨店の買い物袋を提げた、日本人観光客たちが、群れて談笑していた。
群れて、単語を並べただけの日本語を用いて、黄色い声を挙げる若者の姿は、残念ながら見苦しいとしか言いようがない。
-日本が韓国より優れている面があったとしても、それは決して君たちのおかげでは、ないぞ。
私は、内心でそう思った。

明日のための、キャッシュが足りなくなった。
今日は、金曜日。時間は、もう夜だ。
以前、クレジットカードでキャッシュを下ろした、外為の銀行に向かう。
そこのATMを、操作する。
、、、、、、、、、

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叫び出したく、なった。
-この表示で、どうやって操作しろというのか!
ご丁寧にも、この表示が示された背後で、きれいなアナウンスで"Please select your transaction."と声が掛かる。
怒りで、手が震えて来た。
思い出した。
前に、おっさんに教えられてこの銀行に来た時、ATMの操作が分からなくて、「ハングンマル、モッラヨ~!」と、助けを求めて操作してもらった、ことに。
あのときはキャッシュを下ろせたから何とも思わなかったが、なぜ私が途方に暮れたのか、もう一度操作してよく分かった。
しかしキャッシュは必要なのだから、ごそごそと韓日辞典を持ち出して、何とか訳そうとする。
ページをめくる暇もなく、ATMから時間切れの警告ブザーが、鳴り始める。モタモタするな、さっさと操作しろ。
操作できない自分は、機械に追い立てられようとしていた。
三度トライしたが、もうそれ以上は腹が立って、やめにした。
「飾りじゃないのよ、英語(ヨンオ)は、ハッハァ~」と、私は歌いながら、英語を飾りにしているATMを、後にした。

もう、いいや。明日は、何とかなるだろう。
一日目の醜態で、メガネのフレームが見事にひん曲がっていた。
どうせだから、南浦洞あたりで、フレームを交換するか。
私は、日本語ができそうな大きなメガネ屋に、入った。
おねえさん一人だけが、日本語ができた。
フレームを、買う。
安い!
私のメガネを削って、フレームに合わせて作ってくれる。
店長は日本語ができないが、応対は丁寧だ。この店は、いい店だ。入って、よかった。
私は、メガネを作って待っている間に、日本語のできるおねえさんに、聞いてみた。
「沙上(ササン)の市外バス停では、クレジットカードが使えますかね?」
このメガネ屋では、当然クレジットカードが、使える。だが、財布の中には、さきほどのキーホルダーのせいもあって、ほとんどキャッシュが残っていなかった。
私は明日のために、西面のインフォメーションセンターで、統営行きの市外バスのバス停の場所と時間と料金を、あらかじめ聞いていた。
インフォメーションセンターのおねえさんも、残念ながら日本語が怪しかった。それで、英語で聞いた。
バス停は、沙上。10分から20分間隔で、運転。料金は、だいたい一万ウォン。
メガネ屋のおねえさんは、店員たちと韓国語でああだこうだと話しながら、情報を交換していた。
振り返って、言った。
「残念ですが、使えないようです。」
そうか。
じゃあ、仕様がないな。明日は土曜日で、銀行は休業。もう、さっき行った外為銀行の店員に操作させることも、できない。
おねえさんは、両替屋のおばあさんの店に行くことを薦めたが、私は両替屋が嫌いだ。
明日のことを諦めかけていると、店員の皆さんが、PCの画面の前でまたああだこうだと、議論を始めた。
おねえさんが、一転してにっこりと笑って、私に言った。
「今、ホームページで調べたところ、沙上でも二月十五日から、カードが使えるようになったそうですよ!」
私は、思わず「やった!」と叫んで、おねえさんと皆さんに、合掌して感謝した。
人情の、国だ。この国は、心が暖かい。旅行者ごときのために、インターネットで情報収集してくれる。
だが、もし私がこのメガネ屋に入らなかったら、私は明日統営に行くのを、あきらめていたところであった。
この国の良い面と、悪い面を見せ付けられた、一日であった。