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Korea!2009/02/21その七

(カテゴリ:韓国旅行記

チェさんが、私に言った。
「僕は、父と共に、昔日本にいた。」
私は、聞いた。
「どちらに?」
上の問い、日本語に訳しているから、敬語にしている。本当は英語で話しているから、英語に敬語なんかない。しかし、韓国語には、敬語がある。ちなみに、漢語にはない。
チェさんは、言った。
「旭川にね。」
私は、言った。
「旭川ならば、私は学生時代に旅行したことがあります。旭川、札幌、紋別、根室、釧路、稚内、小樽、函館、、、」
チェさんは、自分の記憶を手繰り寄せるかのように、都市の名前ごとに、わたしに相槌を打った。
「紋別で、釣りをした。田舎町だ。」
チェさんは、釣竿を引き上げる、仕草をした。
チェさんは、言った。
「父は、もう余命いくばくも、ない。パーキンソン病って、知ってる?ああ、知ってるか。それだ。酒の、飲みすぎさ。もう、自分で食べることも飲むことも、できない。とても悲しい。」
チェさんは、口をパクパクさせて、父上のヨイヨイの状態を、説明した。
私は、"I hope he'll get healthy again."と、祈った。
彼は、静かに首を横に振った。
"No. There's no hope."
この国の人は、家族を本当に、大事にしている。
私は、この旅行で、それを強く感じた。
チェさんは、私に言った。
「君のご両親は、元気かい?」
私は、答えた。
「はい。二人とももと公務員で、すでにリタイアしています。年金をもらって、健康に暮らしています。それが、うれしいです。」
チェさんは、それを聞いて、喜んでくれた。
それからチェさんは、私に俳句を書いてくれるように、頼んだ。
「バショーのやつを、書いてくれないか。ボチャーン!ってやつ。」
チェさんは、「ボチャーン!」と言って、手でモノが落ちる、ポーズをした。
帰国してから飲んだ夕映舎氏に、このエピソードを話したら、
「あ、それは『古池や、蛙飛び込む、、、』のことを、言っていたんやろ」と、私に示唆してくれた。
あ、そうだったのか。
私は、正直申すとこの句を秀句だと思っていなかったので、チェさんに言われても、思い出せなかった。
それで、私は自分の好きな古典俳句を思い出して、ノートに書いて渡した。

菜の花や 月は東に 日は西に
蕪村(18C)

静けさや 岩にしみ入る 蝉の声
芭蕉(17C)

「これらは、俳句の二大巨人です。」
私は、チェさんにノートを渡して、説明した。
チェさんは、平均的な韓国人よりも、漢字が分かる。
だが、ひらがなは、読めないようだった。
いずれ勉強する、と言いながら、私の詠む句を、暗誦しようと試みていた。
私は、大阪生まれで、東京の大学を卒業して、いま京都に住んでいる、と説明した。
チェさんは、私の通った大学について、言った。
「その大学には、韓国の文学者が、いっぱい通っていた。だから、その大学は韓国でも、有名だよ。」
私は日本人の学歴誇りが嫌いなので、自分のブログなどでも出身大学を、通常は書かない。まあ、、、早稲田大学、なんだけれどね。
だがチェさんの息子さんが通っている大学を、失念してしまった。確か「ヨンイ」と発音していたから、延禧大学(延世大学の旧名)だったと、思うのであるが。
チェさんは、言う。
「東京語と、京都語は、どれくらい違うのかね?」
私は、答えた。
「ぜんぜん、違います。東京語をたとえ覚えたとしても、京都語を聞いても、全くわかりません。」
私は、一つ例を、挙げた。
"I love you."
「これを、東京語で言えば-」
もちろん、このとき言うのは、いわゆる「標準語」だ。

私は、あなたが好きです。

私は、アナウンサーのイントネーションで、言った。
「そして、京都語ならば-」
私は、地の関西弁を、出した。

うち、あんたのこと、好きやねん。

全くのネイティブの発音で、言った。
チェさんは、しみじみと聞いて、批評した。
「僕は、京都語の方が、好きだね。東京語は、サムライの言葉だ。サムライも、いい。だけど、京都語の方が、僕を感動させる。」
私は、ネイティブの東京弁をしゃべることができないし、しゃべってみようとも、思わない。ネイティブがしゃべったら、彼に違う印象を与えるのかも、しれない。だが、「標準語」は、聞く者に温かさを伝える言葉では、決してない。