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Korea!2009/20/21その二

(カテゴリ:韓国旅行記

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この、美しい川の流れ。
洛東江の、河口付近。
もし今後、私の前で韓国が不潔だなどと言う日本人が現れたならば、私は今回撮った慶尚道の写真を見せて、その誤りを正す。

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慶尚南道の農村風景は、日本の農村風景と、あまりにもよく似ている。
山があり、美田がある。
所々に無粋なコンクリートの構造があって、風景を汚している。
しかし、そのような工業社会の強姦行為にも耐え忍んで、全体としてやっぱりまだ美しい。
それは、元が美しいからだ。汚れた水が、ない。ゴミの山が、ない。
慶尚道の気候は西日本よりも寒く、冬空は澄んでいる。山には木々が少なく、岩肌が露出している。しかし、これも我らが文明の、もう一つの形だ。日本と韓国が同一の文明圏にあることは、慶尚道の農村風景を見れば、すぐに分かることだ。サミュエル・ハンチントンは、韓国を中国文明圏に含んで、日本を孤立した文明圏だと定義した。だがそれは、真っ赤な嘘だということが、今の私には分かる。日本と韓国との違いは、たとえるならばイギリスとフランス程度、いやむしろイギリスとドイツ・オランダ程度の差にすぎない。
私は学生時代にヨーロッパのイギリス、フランス、オランダの三国を、回った。三国ともに、美しかった。私はフランス人については余り感心せず、オランダ人の親切さと、イギリス人のユーモア精神に、大いなる感銘を受けた。それぞれの国民の気質は、確かに違っていた。だが、同じヨーロッパ人たちであった。過去の悲惨な戦争と支配・被支配の残虐をくぐり抜けて、仲良く喧嘩できる間柄に、なっているようであった。その後、イギリスはいまだにポンドを捨てていないが、オランダ、ドイツ、フランスは、独自通貨を捨てて、ユーロを作り上げた。
彼らヨーロッパ人と我ら東洋人は、もとより違う。私は旅行中、始終酒を飲んでいたが、そんなヨッパライの私に"Are you drunk?...Ha!ha!ha!"と笑ってくれたのは、イギリスの辺境、ウェールズ人のにいさんただ一人だった。ヨーロッパでは、いっぱんにヨッパライは、喜ばれない。
そんな私であるが、今週の私は、昼酒だけは飲まない。この目で見て、この耳で聞いたことを、克明に記録するためだ。とか言いながら、これからしばらく後に、結局昼酒するんだけれどね。
今は、まだソルラル(설날、お正月)明けから、一月経っていない。
家々の門に、新年を祝う張り紙が張られているのを、所々で見かける。
韓国のお正月は、旧正月だ。日本と、ずれている。
この二国、正月をいっしょにするべきでは、ないだろうか。
その方が、地域で共に祝うことが、できる。
私は、日本も旧正月に新年を移してしまうことを、このさい薦める。
そうすれば、日本、韓国、中国、台湾で、同じ日がお正月になる。どうせ日本のお正月は、世界標準でない。西洋では、クリスマスこそが、新年の祝いに相当する。西洋の一月一日は、年越ししてシャンペン飲んで、それでおしまいだ。
東アジアの大同平和を望むために、私は雄大な戦略として、日本の正月を旧暦で祝うように改めることを、薦める。
韓国では、新年のための門の張り紙に、「立春大吉、萬事亨通」と書いて、貼っている。
私は、読める。だが、たぶんこの国の人たちは、悲しいことに大部分の人が、この字をもう読めない。
だが、だから私には、面白い。
これは、中国の春貼(チュンティエ)と、同じ習俗だ。いま、中文Wikipedhiaで調べると、韓国ではこれを立春榜(입춘방)、立春書(입춘서)、あるいは立春貼(입춘첩)と、呼んでいるようだ。
日本には伝わらなかった、新年の習俗であるが、中国の春貼がたいてい赤地に金字ではでやかなのに対して、韓国のイプチュンバンは、白紙に墨で、控え目である。呪術的な文字も、「立春大吉、萬事亨通」と、おだやかなものになっている。「恭喜發財」とか「年年有餘」などという、お金儲け祈願のまじない言葉は、決して使わない。これらは、中国の春貼で、よく使われる言葉。

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統営への途上、固城(コソン)附近の、風景。
この写真を見てまだ日本と韓国が別文明だと言う輩がいたならば、それは脳細胞が死滅していると、診断した方がよい。
慶尚南道は、いにしえの弁韓に相当し、ここに日本と密接な関係にあった加羅(カラ)国があった。
加羅が日本の植民地であったか、それとも日本を征服した大和朝廷の故国であったのか、そんなことは、この際どうでもよい。
千五百年を遡れば、この土地と日本列島が、海峡を隔てて断絶していたのだろうか。
同じジャポニカ種の米を、両国は太古から今でも育てて、食っている。水田の風景は、あまりにもよく似ている。そして、韓国人と日本人は、「ウマミ」が共に分かる。互いに、道端にゴミを捨てない。貧しさを尊いとする、痩せ我慢の心意気がある。
友好か外交的利用か、あるいは争いであったかは、様々であったろう。
しかし、いずれにせよ、かつての半島と日本とは、現在よりもむしろ近かったはずだ。
白村江の戦い以降、両者を隔てたのは、互いの「内向き症候群」なのだ。だから、両国は経済的に頑張っていながらも、二十一世紀の今になって、次の道を見つけることができなくなって、立ちすくんでいる。
我らの文明を、今こそ再発見するべきなのだ。
日韓の文明は、世界に冠たる文明であることが、いずれ分かる日がやって来る。
必ず、やって来る。我らだけが、地球環境を、人の命を愛しながら、救うことができる。西洋文明の極致であるアメリカにモノを申しながら、互いに切磋琢磨できる文明は、おそらく日韓に中国・台湾を加えた、東アジア文明を置いて、他はない。これからの人類には、対立しながら高めあうという、弁証法が必要なのだ。いま、西洋文明は全てアメリカという大河に流れ込んで、オルタナティブが枯れてしまっている。だが東アジアの文明は、少しの政治的工夫だけで、アメリカ文明に匹敵できる、オルタナティブを作ることができる。この慶尚道の田園の美しさ、そしてそれを共有している日本ならば、できることだ。やらなければ、ならないのだ。東アジアのために。そして、人類のために。